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漂流する船の中で人々が絶望に包まれる中、空海は自分の目標を捨てず、「自分が大きな使命を負っている以上、自分が助からないわけがない」という確信を持っていた。「自分が助かる以上、この船に乗っている人たちも助かる」

これは事実かもしれないし、司馬遼太郎の虚構かもしれません。でも虚構なら虚構で、それが司馬遼太郎のものであるならば、検討する値打ちがあります。

山などで遭難しても助かる人というのは、「ここで死ぬわけにはいかない」という強い意志があって、何とか生き延びる方法を考え出すわけです。それに救助が間に合えば…という「運」の部分もありますが、これは足し算ではなく掛け算のような気がします。つまり、いくら運が良くても、意志がゼロならば助からないのではないかと。

強い意志をもたらすものも「虚構」…僧侶であるならば「信仰」という言葉になるかもしれません。でも僧侶に限らず、一般化できる話です。

遣唐使船のように漂流する現代社会において、力強く生きていくにはこのような「虚構」が必要なのではないでしょうか?たとえ何も立たないような地面でも、たとえ何も手にしているものが無くても、「虚構」ならば立てることができるし、創りだすこともできる。


どんな小さなことでもいいから自分の夢を決めて

それが頼りなくて消え去りそうなら

言葉にして呪文のように唱えてみればいい

何度も何度も…毎日毎日…

その夢に夢中になるまで続ければいい

何もないところに取りあえずこじつけで決めたような夢でも

いつしか自分を支える強い柱になるはずだ