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「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の四」を読みました。

《以下引用》
…中国文明は宇宙の真実や生命の深秘についてはまるで痴呆であり、無関心であった。たとえば中国文明の重要な部分をなすものが史伝であるとすれば、史伝はあくまでも事実を尊ぶ。誰が、いつ、どこで、何を、したか。そのような事実群の累積がいかに綿密でぼう大であろうとも、もともと人生における事実など水面にうかぶ泡よりもはかなく無意味であると観じきってしまった立場からすれば、ばかばかしくてやる気がしない。

インド人は、それとは別の極にいる。

この亜大陸に成立した文明は奇妙なものであった。この亜大陸には、史伝とか史伝的思考とかいった時間がないのである。生命とは何かということを普遍性の上に立ってのみ考えるがために、誰という固有名詞の歴史もない。いつという歴史時間もなかった。すべて轟々として旋回する抽象的思考のみであり、その抽象的思考によってのみ宇宙をとらえ、その原理をひきだし、生命をその原理の回転のなかで考える。自分がいま生きているということを考える場合、自分という戸籍名も外し、人種の呼称も外し、社会的存在としての所属性も外し、さらには自分が自分であることも外し、外しに外して、ついに自分をもって一個の普遍的生命という抽象的一点に化せしめてからはじめて物事を考えはじめるのである。…
《引用終わり》

人生のツボを外し、道を外した私にピッタリ?中国文明は確かに、今も、人種にこだわってますね…

《以下引用》…
空海とは別な方法で科学を知ってしまった後世が、この空海をあざけることは容易であろう。しかし密教の断片において科学の機能を感じた空海のそれと、後世が知ったつもりでいる科学との、はたしてどちらがほんものなのか。つまり自然の本質そのものである虚空蔵菩薩に真贋の判定をさせるとすればどちらがその判定に堪えうるかということになると、人間のたれもが(つまりは所詮自然の一部であるにすぎない人間としては)、回答を出す資格を持たされていない。
《以下引用》

結局、20世紀の物理学者たちも現代科学に虚しさを感じ、インドにその答えを求めたりしました。

《以下引用》…
…十九歳の空海は、文明の成熟の遅れた風土に存在しがちな巫人能力(超自然的な力に感応しやすい能力)をもっていたかと思われる。言葉をかえていえばその感応しやすい体質でもって天地を考えたあげく、それに応えようとしない儒教的な平明さという世界が食い足りなくなったともいえるであろう。おなじことを別の面からいえばかれに儒教的教養があったればこそただの土俗的巫人にならず、ぼう大な漢字量のかなたにある仏教に直進したといえるかもしれない。…
空海はその生来の巫人的体質によって諸霊の存在を積極的に肯定していた。ただかれが、のちにインドにも中国にも見られないほどに論理的完成度の高い密教をつくりあげるころには、そういう卑小の諸霊たちはすべて形而上的になり、ほとんど記号化され、ついにはその体系のなかに消えこんでしまっただけのことである。

《以下引用》

そういう能力の人、めっきり少なくなりました。文明が成熟したということなのでしょう。

《以下引用》…
…諸霊をしずめる方法として、当時の日本には古俗的な鎮魂の作法があったが、しかしどうにも効き目がうすく、そういう神道にかわるべきあらたな効能として仏教が国家的規模でうけ容れられた。日本における仏教の受け容れ態度はあくまでも効能主義であった。たとえば医薬のように効能として仏教がうけ容れられるということは、この思想をつくりあげたインド文明の正統な思想家たちにとって意外とすべきものであったにちがいない。仏教の祖である釈迦はこの点ではとくに厳格で、弟子たちが庶人に乞われて呪術をほどこしたりすることをかたく禁じた。釈迦はあくまでも理性を信じ、理性をもって自己を宇宙に化せしめようとする思想の作業によって解脱の宗教をひらいた。…
《以下引用》

仏教に効能を求めたのは、唐も同じだったようです。中国でもインドでも衰退していく仏教が、空海たちに身を委ね、海の向こうの小国に疎開した…そんなふうにも感じます。

《以下引用》…
仏教が日本に入って二百年になる。
最初のころこそ、壮麗な伽藍と芸術的な礼拝様式、そして金色のかがやきをもつ異国の神々に対して日本人たちは効能主義であったが、しかしやがて冷静になった。正統の仏教が組織に入ってくるに従って仏教が即効的な利益をもたらすものでなく、そのぼう大な言語量の思想体系に身を浸すこと以外に解脱の道はないということを知るようになった。日本人の知性が、知識層においてわずかに成熟した。仏教における六つの思想部門が、奈良に設けられた。華厳、法相、三輪、倶舎、成実、律である。しかしながらそれらは多分にインド的思考法を身につけるための学問であり、「だからどうなのか」という、即答を期待する問いにはすこしもこたえられない。

そういう日本的環境のなかで、空海は雑密というものをはじめて知る。
雑密は純密のかけらでしかないにせよ、南都の六宗などとはちがい、効能という点ではおどろくべき即効性をもっていた。論理家である空海が、それとは一見矛盾する体質――強烈な呪術者的体質――をもっていたことが、この即効性をはげしく好んだことでもわかるであろう。…
《以下引用》

仏教にもいろいろな顔があります。「哲学としての仏教」というか、インド的思考法の断片がじんわりと浸透し、ゆっくりとこの国の国民性を作り上げて来たように思います。そういう意味で、仏教は、この国をここ何百年と守り続けてきたと言えます。

しかしながら、当時の人が望んだのは即効性だったようです。

《つづく》