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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「一章 ブッダの生涯」を読みました。

お釈迦様に対する尊称「世尊」、仏弟子たちが使ったもので、経典にもよく出てきます。これが「バガヴァッド」で、漢字で書くと「婆伽梵」(ばがぼん)。「天才バカボン」の語源になったとも言われ、「バガボンド」もここから来ているとか。

普門品偈を毎日あげておりますが、これも「世尊…」で始まります。原語であげると「バガボン…」となるんでしょうね…。

世尊の生涯における4大事件は…
1.ルンビニーにおける誕生
2.ブッダガヤーの菩提樹下における成道
3.サールナート(鹿野苑)における初転法輪(最初説法)
4.クシナーラーにおける入滅

1と2の間の出来事として、王子という身分を捨て、妻子を捨てて、沙門になります。並々ならぬ志ある行動と言えますが、妻子を捨てるというのはどうかな…。後世にこれだけの影響を与える人になれるという確約があれば、できますけどね。ただ、王家ということであれば、妻子が路頭に迷うということも無かったでしょうから、いいのかな。

2と3の間の出来事として、伝道を決意するところが重要だと思います。
《以下引用》
自分の悟った真理は「深遠で、見にくく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の領域を超え、微妙であり、賢者のみのよく知るところである。」ところが世人は執着心をもっていて、道理を見る力がない。だから、「わたしが教えを説いても、他人がそれを理解してくれなければ、徒労に終わる。わたしはそのことを憂慮する。」と内省して黙然としていた。そのとき世界の主、梵天がブッダの心中を察して、「それではこの世は滅んでしまう。正しく悟った人の心が、何もしたくないと思っているのでは」と思い、ブッダの前に姿を現わして、
  願わくはこの甘露の門を開け。
  無垢なるものの覚った法を聴け。
とよびかけて、その説法を勧請した、とある。
梵天の勧請は史実とはいえないが、説法躊躇は心理的事実であったろう。説法を勧めるのは誰であってもよいが、その役目をヒンドゥーの最高神にさせているところに、仏教徒の意図が見られる。いわばインド世界における布教公認の願いである。さらに言えば、梵天より上に立ち、梵天に代わって世の崇拝をうける者としてのブッダの強調である。
《引用終わり》
「天才バカボン」扱いされるのを恐れたのでしょうね。梵天のセリフは、それを恐れるな!という、仏教を知った人間ひとりひとりへの勧請とも言えます。

3と4の間にサーリプッタ(舎利弗)と出会います。般若心経の「舎利子」です。懐疑論者サンジャヤの弟子であった彼が、モッガラーナと共に集団改宗します。サンジャヤの弟子250人を引き連れたということで、ブッダの教団にとっては大きな助けとなりますが、サンジャヤさんは気の毒だな。

ブッダの生涯については、後に別の本で詳しく見ていきたいと思います。

《つづく》