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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「智光明荘厳経」の「一 序章」「二 不生・不滅の法門――九つの比喩」を読みました。

不生・不滅とはどんな法を説明することばですか?というマンジュシリー(文殊師利)の問いに、世尊が答えます。

1.インドラ神の影像
神々の王シャクラの影像は動かず、思惟することもなく、妄想することもなく、主客に分けて構想もせず、誤った判断(虚妄分別)もしない。

これと同じように、如来も構想もなく、誤った判断もなく、思惟もなく、心をはたらかすこともなく、寂静・清涼であり、生なく、滅なく、見られず、聞かれず、嗅がれず、味わわれず、触れられず、相(すがた)もなく、表徴もなく、認識もされない。

如来は不生をよりどころとするけれども、鏡の中に姿が映るように世間に姿を現わす。衆生たちの心の傾け方に応じて、姿の差異や寿命の長短の差異を示して、衆生を成熟せしめ、信仰の力によって悟りを望む器となった衆生たちには影像を現わす。

2.天の太鼓
「華厳経如来性起品」(如来の音声の第三喩)参照

三十三天の神々の大法鼓と同じように…

如来もまた不可視、不可見、非存在、不生で、思い及ばず、無心であり、相(すがた)もなく、形あるものでもなく、音声もなく、実体もなく、無二であって、視野を超えているにもかかわらず、衆生たちの前世の業が成熟すると、彼らの望みや意向に応じて、法の音声を授ける。

如来は存在することがないのに、世間は法の言葉によって、如来という想念を生ずる。衆生たちの前世の善業が成熟すると、それを如来から出た音声であると普く知る。

3.雨雲
「華厳経如来性起品」(如来の音声の第七喩)参照

雨を観察して世間では雲という想念が生ずるが、実際には雲は不現であり、不生・不滅・非存在である。そんな雨雲と同じように…

如来はそもそものはじめから完全な涅槃の境地に入っているのだ。実在することはない。
法を説くのを見て、如来が在(おわ)すとの想念が生ずるのである。

4.梵天
「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第七喩)参照

三千大千世界を支配する梵天と同じように…

如来は空にして虚、生起することなく、文字もなく、音声もなく、はたらく場所もなく、実体もなく、思議も及ばず、根拠となる特質もなく、心・意(おもい)・認識を離れ、不生・不滅である。しかし、衆生たちの善根の集積の力で、如来の住居から動くことなく、あらゆる(行・住・坐・臥の)行動の型をもって、鏡に影像が映るように、世間に出現する。

5.日光
「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第四喩)参照

日光のように…

如来という日輪の放つ知恵の光線はあれこれ分け隔てしないけれども、大地の高・下・中の差異によって、光明も大・小・中の種々の光線となる。

6.如意宝珠
「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第十喩)参照

大海中にある「一切の望みをよく成就させるもの」と呼ばれる宝珠のように…

如来の深い志は純浄なる知恵という宝で、それを大いなるあわれみという幢(はたほこ)の頂に置けば、そこからいかなる衆生であれ、その衆生の志と心の傾け方に応じて、それにかなった教えを説き、衆生たちに普く知らせるが、彼らに対しても全てに平等であって差別しない。

7.こだま
「華厳経如来性起品」(如来の音声の第二喩)参照

こだまのように…

種々の深い志をもつ衆生たちの、言語や、その他種々の報知から(それに反響するように?)、こだまの種々の音声が生じ、ありのままに普く知れわたる。

8.大地

草・木・森林は大地に依存し、大地に根をおろして生長・増大・広大となるように…

全ての衆生たちの一切の善根は如来に依存し、如来に安住して成長する。如来は分け隔てがなく平等である。

9.虚空
「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第二喩)参照

虚空のように…

如来も全てに対して平等で、分け隔てせず、差別せず、不生・不滅であり、過去でもなく、未来でもなく、現在でもなく、根拠となる特質もなく、あれこれ誤った考えもなく、形もなく…である。

最後の一節が面白かったので引用します。
《以下引用》
…如来は、「この衆生は戒、もしくは忍耐、もしくは精進、もしくは禅定に心を傾けているから、この衆生には戒、もしくは忍耐、ないし禅定の法話を説くべきである」とは考えない。…如来は「この衆生は究極・完全なる知恵(般若波羅蜜)に心を傾けているから、この衆生には究極・完全なる知恵について法話を説くべきである」とも思わない。…如来には、そのような分けへだての心はまったくないのである。…如来は真理(法)を体とするもの(法身)であるから、…如来は完全に不生・不滅なのである。
《引用終わり》

《つづく》