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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第四章 釈尊、仏教」の後半を読みました。

仏教が誕生したころ、インドはアーリア人に支配されていて、ヴァルナ(カースト制度の前身)という厳格な身分差別社会を作っていた。頂点に立つのはバラモン(祭式を司る祭官)で、神との交信を独占していた。王はたいていクシャトリア(第二の階級)であったが、バラモンには頭が上がらない。この身分は血統で決まるため、異なるヴァルナ間の交雑は極端に嫌われ、生まれた後のいかなる努力でも変更が不可能であった。

紀元前600年ころにはガンジス川流域での農耕文化が成熟し、余剰生産物すなわち「富」が生まれてくる。それと共に王侯・貴族階級のクシャトリアの中でバラモンに対する不満が鬱積してくる。「神を操ったところで真の幸福にはつながらない。自分自身の努力によって幸福を獲得しよう」という反バラモン教の動きが出てくる。この人たちは「努力する人(シュラマナ)」と呼ばれ、「沙門」の語源となる。

釈尊は沙門の一人であり、沙門宗教で現存するのは仏教とジャイナ教だけである。ジャイナ教は厳格さゆえにインド国外に広まることはなかった。一方、仏教は周辺国に猛烈に広まったが、インド国内では八百年前に滅んだ。

最初期の仏教の特徴は3つ。

1.超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する。

仏教では、この世界全体を司るような超越存在を認めない。世界は特定の法則に沿って自動的に展開していく

釈尊は、世界に通底する法則性を見抜き、生き物がその法則性の中で真の安らぎを獲得するための方法を自力で見出した人である。決してその法則性を自在に操れるわけではない。同じ人間であり、別次元の超越者ではない。ただ、他の人たちより、勇気や智慧などの能力が格段に優れているに過ぎない。

釈尊が悟ったのは法則世界に束縛された状態にありながらも、その中での真の安らぎを得るための道である。そして、自分だけの専有とせずに、他の生き物たちにも告げ、できるだけ多くの者が同じ道を進むように呼びかけた。自分で道を切り開いた後で、もう一度皆のいる所まで戻って、非力な隊員たちを励ましながら連れて行くリーダーの姿である。

「自分は確かな安らぎへの道を見つけた。もし私を信頼するのなら後についてきなさい。途中でいくらでも手助けはするが、実際に歩くのは君たちなのだから、精一杯頑張りなさい」と言うだけ。道半ばで倒れる者や、信頼せずについてこない者まで救う力は釈尊には無い。

2.努力の領域を、肉体ではなく精神に限定する。

法則性だけで世界を理解しようとする仏教の立場は、現代の科学的世界観と共通するものがある。科学は物質だけを考察対象とし、仏教は精神だけを考察対象とする。

但し、仏教は精神の法則性の解明のみならず、それを基に自己の精神における「苦」の消滅を目指す。自己改造を目指すのである。ゆえに仏教は宗教なのである。

仏教の修行とは、釈尊の言葉を理解するための経典の勉強と、それに沿って行う瞑想の実践に集約される。反復練習の修行を繰り返すうちに精神は次第に練り上げられ、ある段階に達すると急激にレベルアップする。このレベルアップを何回か繰り返す度に、我々の精神は純化され、悪い要素(煩悩)を滅していく。煩悩がすべて消滅し、再発の危険がなくなった時、人は悟ったことになる。

煩悩がなくなれば、その煩悩のせいで生じていた苦しみの感覚もまた消滅する。肉体的側面からの苦痛の消滅(たとえば、信じれば病気が治るとか、長生きするとか)、そういった面には目も向けず、ひたすら自己の精神を改造することで苦の消滅を目指す。そこに仏教の本領がある。

3.修行のシステムとして、出家者による集団生活体制をとり、一般社会の余り物をもらうことによって生計を立てる。

仏教では、瞑想・経典読誦の修行を徹底的に行わなければ悟りは開けないという。日常のあらゆる生産活動を放棄して、自分のすべての時間を修行に使わなければならない。そんな修行者が生きていくための方法として「乞食」という方法を採用した。一般社会の人たちが食べ残した食べ物を分けてもらう生活方法である。

他の人が鉢の中に入れてくれた物しか食べてはならない、つまり一般の人々の好意に頼って生きねばならないという規定は、修行のための便利な状況を作り出すとともに、在家の人から「立派な人だ」と思われる必要性をも生む。

釈尊は、篤信の信者が布施してくれた食べ物で食中毒になり、激しい下痢に悩まされた末、沙羅双樹の間に横たわって亡くなった。

人間として生まれ、人間としてできる限りの努力によって悟りを開き、そしてごくごく普通の、人間らしい亡くなり方でこの世を去っていった…

やはり、天ぷらを食べ過ぎて死んだ家康とは、ちょっと違うなぁ…

《つづく》