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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第三章 数学」の前半を読みました。

《以下引用》…
数学という学問は外部からの情報とは無関係に、人間の思考だけで成り立っている分野だと考えられているから、「直覚の想定する世界が、外部情報によって訂正されていく」という人間化のパターンが当てはまらないように思える…《引用終わり》


まさにそこ、気になります。でも、一緒だよ!著者は言います。

《以下引用》…
物理学の場合、直覚が承認する神の視点を否定するのは、観察や実験によって得られる、外部世界からの情報だというのだが、情報そのものが神の視点を否定するわけではない。その情報を受け取り、解釈し、その結果「従来の世界観では、この情報を合理的に解釈することができない。だから世界観は変更されねばならない」と考える、我々自身の論理思考が、神の視点を否定するのである。
…《引用終わり》


数学史はほとんど今まで知らなかったので、とても新鮮でした。ピタゴラスが神秘宗教教団の教祖というのも興味深い。「霊魂の輪廻転生を認め、宇宙の基本原理は数、特に自然数で成り立っている」という教義を持った教団。ニュートンもオカルト錬金術師でしたが、「ピタゴラスよ、おまえもか」。

物理の勉強をしていたときに思っていたことなのですが、なぜ歴史の流れに沿って教科書を作らないのでしょう?朝永振一郎の著書「量子力学」は歴史の流れに沿って書いてあったので、面白くて夢中になりました。残念ながら、この本と出会ったのは就職した会社の近くの書店ででした。もう少し早かったら…という思いがあります。

著者も同じことを書いていて「私だって今頃は立派な集合論学者になっていたはず」というのは笑えました。

無理数、虚数などは非日常的概念なので、「何でこんなことしないといけないの?」という疑問が学なり難き少年時代の言い訳になりやすいのです。でも、こういった概念も歴史的要請があって、必要だったから考え出されたわけです。その過程に沿って、名を残した数学者がぶつかった壁を一緒に体験しながら勉強を進めていけたら、数学の時間もみんなワクワクドキドキだと思うんですが。

《つづく》