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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「8否定の論理の実践」の「1ニルヴァーナ」を読みました。

ニルヴァーナ(涅槃)とは、仏教が最終目標とする境地と言っていいかと思います。
《以下引用》…
『中論』をみると、「もしも〔五蘊(個人存在を構成する五種の要素)を〕取って、あるいは〔因縁に〕縁って生死往来する状態が、縁らず取らざるときは、これがニルヴァーナであると説かれる」(第25章・第9詩)と説くから、相互に相依って起こっている諸事象が生滅変遷するのを凡夫の立場からみた場合に、生死往来する状態または輪廻と名づけるのであり、その本来のすがたの方をみればニルヴァーナである。人が迷っている状態が生死輪廻であり、それを超越した立場に立つときがニルヴァーナである。
 輪廻というのは人が束縛されている状態であり、解脱とは人が自主的立場を得た状態をいうのである。
 故に輪廻とニルヴァーナとは別のものではなく、「等しきもの」であり、両者は本来同一本質(一味)である。…
 この思想は独り中観派のみならず、大乗仏教一般の実践思想の根底となっているものである。
 人間の現実と理想との関係はこのような性質のものであるから、ニルヴァーナという独立な境地が実体としてあると考えてはならない。ニルヴァーナというものが真に実在すると考えるのは凡夫の迷妄である。故に『般若経』においてはニルヴァーナは「夢のごとく」「幻のごとし」と譬えている。それと同時に輪廻というものも実在するものではない。
…《引用終わり》


これは昨年の大晦日に私が仏教について抱いている考えをまとめたものと合致すると思います。

《以下引用》…
これは実に大胆な立言である。われわれ人間は迷いながらも生きている。そこでニルヴァーナの境地に達したらよいな、と思って、憧れる。しかしニルヴァーナという境地はどこにも存在しないのである。ニルヴァーナの境地に憧れるということが迷いなのである。
…《引用終わり》


すべては気の持ちよう…ということになりそうですが、結局そうなんでしょうね。すべては妄念の所産というところから仏教は始まるわけですから、妄念から自分を解放することが最終目標ということにもなるでしょう。

《つづく》