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第17章「新しい「人間の運命」の始まり2」を読みました。

《以下引用》…自然の征服に見られる長足の進歩も、それに呼応する道徳的な発展がなければ、わたしたちが当然望んでいる幸福をもたらすことはないだろう。現代社会において、この道徳的発展は、合理的なもの―科学―と、非合理的なもの―信仰―すなわち予測可能なものと予測不能なものとの統一や調和のうえにのみ成り立つ。それはまた、物質と精神とのさまざまな関係の解明、および自然進化において本能の奴隷となっている動物と、自由にふるまえる人間との役割の区別のみを土台として成り立っている。こうした解明や区別こそが本書の目的であり、そのためにわたしたちは、進化の未来が人間の手中にあること、そしてそれが精神の未来と同一であることを明らかにしてきたのである。
 このような考察は、すでにふれたように、少数の人々にとっては役立つだろうが、無意識のうちに基本的、絶対的、超人的な真理を求めている大多数の人間を満足させるにはいたらない。今後も長いあいだ人間は、平均的に見るならば、日常生活のおこないと、進化において責任ある行動をとるという任務とを調和させることは不可能だろう。
…《引用終わり》


この著者は「このような考察」をしてきたわけですから、「少数の人々」に自分が属すると思っているのでしょうが、「無意識のうちに基本的、絶対的、超人的な真理を求めている大多数の人間」の方に属しているように私には見えます。

道徳というものが大切であることに異論はありませんが、宇宙の中ではとんでもなくちっぽけなローカル・ルールであることは疑いようがありません。人間の歴史という時間軸で見つめても、その時代時代に通用するものをその都度作るべきもので、要するにローカル・ルールであることに変わりはない。

ただ、その中から、普遍的な要素は抽出できると思います。それを土台として、時代に合わせたリフォームを繰り返していかなくてはいけない。だから模索する人間の苦悩は永遠に続くことでしょう。でも、うまく抽出することで、その苦悩を最小限にすることはできるんじゃないかな…と思います。

科学者の割には宇宙的視野が狭いように感じるのですが、考えてみるとこの本はガガーリンの「地球は青かった」よりも昔に書かれているわけだから、仕方がないのかもしれません。まだ天動説を信じているということは無いにしても、ガガーリンの後に、地動説は格段に説得力を増したでしょうから。

《つづく》