「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「6縁起」の「5不生」と「6否定の論理の代表としての<八不>」と「7無我」を読みました。
「縁起」に「起」が含まれているから「不生」と矛盾するのではないか?という問題。解答は3つあるそうです。
《以下引用》…
第一、アサンガは、事物の生起は一般に成立しえないから、『中論』が縁起を主張しているのに、その縁起が生起の意味を含むはずがない、と主張した。
第二、バーヴァヴィヴェーカは<縁起>とは世俗的真理の立場(世諦)でいい、<不生>とは究極の真理の立場(第一義諦)でいうから、両者のあいだに矛盾はないと解した。
第三、チャンドラキールティは縁起という語を分解して考えることを承認せず、この一語でもって、ものとものとの論理的相関関係を意味し、生起という意味を始めから含まないと考えていた。
…《引用終わり》
第三が、ナーガールジュナの考えに近いのではないか、とされています。
《以下引用》…
第十二章においては最初の第一詩において、
「苦しみは<自らによって作られたものである>(自作:じさ)、<他によって作られたものである>(他作:たさ)、<両者によって作られたものである>(共作:ぐうさ)、<無因である>(無因作:むいんさ)と、ある人々は〔それぞれ〕主張する。しかるにそ〔の苦しみ〕は結果として成立するというのは正しくない」
…《引用終わり》
このように、自生・他生・共生(ぐうしょう)・無因生という生起のあらゆる型を否定(四不生)することで縁起を成立せしめています。
《以下引用》…
仏教では古来「三法印」ということを説いた。「三法印」とは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」をいうのであり、「一切皆苦」を入れると四法印になる。
…《引用終わり》
『中論』では、無常・無我・苦も縁起によって基礎づけています。
《つづく》
「?ナーガールジュナの思想」の「6縁起」の「5不生」と「6否定の論理の代表としての<八不>」と「7無我」を読みました。
「縁起」に「起」が含まれているから「不生」と矛盾するのではないか?という問題。解答は3つあるそうです。
《以下引用》…
第一、アサンガは、事物の生起は一般に成立しえないから、『中論』が縁起を主張しているのに、その縁起が生起の意味を含むはずがない、と主張した。
第二、バーヴァヴィヴェーカは<縁起>とは世俗的真理の立場(世諦)でいい、<不生>とは究極の真理の立場(第一義諦)でいうから、両者のあいだに矛盾はないと解した。
第三、チャンドラキールティは縁起という語を分解して考えることを承認せず、この一語でもって、ものとものとの論理的相関関係を意味し、生起という意味を始めから含まないと考えていた。
…《引用終わり》
第三が、ナーガールジュナの考えに近いのではないか、とされています。
《以下引用》…
第十二章においては最初の第一詩において、
「苦しみは<自らによって作られたものである>(自作:じさ)、<他によって作られたものである>(他作:たさ)、<両者によって作られたものである>(共作:ぐうさ)、<無因である>(無因作:むいんさ)と、ある人々は〔それぞれ〕主張する。しかるにそ〔の苦しみ〕は結果として成立するというのは正しくない」
…《引用終わり》
このように、自生・他生・共生(ぐうしょう)・無因生という生起のあらゆる型を否定(四不生)することで縁起を成立せしめています。
《以下引用》…
仏教では古来「三法印」ということを説いた。「三法印」とは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」をいうのであり、「一切皆苦」を入れると四法印になる。
…《引用終わり》
『中論』では、無常・無我・苦も縁起によって基礎づけています。
《つづく》
コメント
コメント一覧 (2)
目の前に厳然として有る苦しみをどうとらえたらいいのか。「縁起」と言ったところで雲散霧消するわけではない。私がこんな本を読んでいるのも、その糸口を探すためです。「大いに悩んで自分で見つけなさい」というのが仏教かもしれない、とも思うのですが、今の段階での私の答えを書きますね。
一番わかりやすい悩みとして「お腹が空いた」とします。「気にするな!」と言い続けたら死んでしまいます。何か食べないことには絶対解決しない。この点に関しては、やはり仏教と言えども無力なのではないかと思います。
ただ、苦しみを増幅してしまう「自分」というのが居ると思います。「あいつが分けてくれないから悔しい」とか「何で私はこんなに苦労しなければいけないの?」とか…まあ、いろいろ。これは、己を空しくすることで解消するのではないかと。
そもそも、この世に生きるということは、他の生き物を殺してそれを食べなければ生きていけないわけです。「食べる」ということに限らず、どうしても避けられない苦しみや悩みは必ず転がっているんだと思います。
だから、なるべくそれを自分で増幅しないこと。そして、こんな世の中に生まれてしまった自分、こんな状況にめぐり合ってしまった自分、さらにはその状況で苦しまずにはいられない自分、そんな自分をいとおしく思えたら…
そしていつか、この苦悩から解放されて余裕ができて、同じように苦悩する人に出会ったときに、その人をいとおしく思い、あたたかく包んであげられたら…
今のところ、そんなふうに生きられたらいいな、と思ってます。でも、この問いの答えは、ずーっとこれからも探し続けるつもりです。
何をしようとしても
今かんがえていることも
縁起…
迷うこと、悩むことはどうとらえたらよいのでしょうか
的外れな問いかもしれませんが…