「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「5論争の意義」の前半を読みました。「中論」は論争の書だそうですが、「空」の哲学は定まった教義を持たず、ナーガールジュナもこんなことを言っているそうです。
「もしもわたくしに何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには論理的欠陥が存することになるだろう。
しかるにわたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない」
教義が無い代わりに否定的表現が多い。ちょっと卑怯な感じもしますが、「本当」とはそういうものなのかもしれません。
否定的な表現として代表的なものが「八不」です。不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去の八つの「不」。このうち、前回取り上げた「運動の否定の論理」が「不来不去」です。
不一不異(一異門破)…「中論」第二章第十八〜二十一詩にある。
不一:「もしも去るはたらきなるものが、すなわち去る主体であるならば、作る主体と作るはたらきとが一体であることになってしまう」(第十九詩)
不異:「もしも<去る主体>は<去るはたらき>から異なっていると分別するならば、<去る主体>がなくても<去るはたらき>があることになるだろう、また<去るはたらき>がなくても<去る主体>があることになるだろう」(第二十詩)
この一異門破の発展形として五求門破がある。
五求門破(五つの見方による論破)とは…
甲と乙が、
(1)<同一であること>と、
(2)<別異のものであること>と、
(3)甲が乙を有することと、
(4)甲が乙のよりどころであることと、
(5)乙が甲の上に依っているものであること
を否定すること。
(1)と(2)とを否定すると、(3)(4)(5)はおのずから否定されることになる…というもの。
不生不滅
不生:「いま現に生じつつあるものも、すでに生じたものも、未だ生じていないものも、けっして生じない」(第七章第十四詩)
不滅:「未だ滅びないものも滅びない。すでに滅んでしまったものも滅びない。いま現に滅びつつあるものもまた同様に滅びない」(第七章第二十六詩)
三世門破のバリエーションですね…
不断不常
元来ブッダは仏教外の諸派の説を断または常の見解に堕するものとして排斥したそうで、ナーガールジュナもその論敵も「不断不常」という点は一致していました。しかし、その説明の仕方が間違っているということで論争していたそうです。
「中論」第十七章第十七詩,同第二十詩〜第二十二詩,第二十一章第十五詩,同第十六詩が、これに関する内容です。
後で訳文を読んでみるつもりです。発狂しなければいいけど…
《つづく》
「?ナーガールジュナの思想」の「5論争の意義」の前半を読みました。「中論」は論争の書だそうですが、「空」の哲学は定まった教義を持たず、ナーガールジュナもこんなことを言っているそうです。
「もしもわたくしに何らかの主張があるならば、
しからば、まさにそのゆえに、わたくしには論理的欠陥が存することになるだろう。
しかるにわたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない」
教義が無い代わりに否定的表現が多い。ちょっと卑怯な感じもしますが、「本当」とはそういうものなのかもしれません。
否定的な表現として代表的なものが「八不」です。不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去の八つの「不」。このうち、前回取り上げた「運動の否定の論理」が「不来不去」です。
不一不異(一異門破)…「中論」第二章第十八〜二十一詩にある。
不一:「もしも去るはたらきなるものが、すなわち去る主体であるならば、作る主体と作るはたらきとが一体であることになってしまう」(第十九詩)
不異:「もしも<去る主体>は<去るはたらき>から異なっていると分別するならば、<去る主体>がなくても<去るはたらき>があることになるだろう、また<去るはたらき>がなくても<去る主体>があることになるだろう」(第二十詩)
この一異門破の発展形として五求門破がある。
五求門破(五つの見方による論破)とは…
甲と乙が、
(1)<同一であること>と、
(2)<別異のものであること>と、
(3)甲が乙を有することと、
(4)甲が乙のよりどころであることと、
(5)乙が甲の上に依っているものであること
を否定すること。
(1)と(2)とを否定すると、(3)(4)(5)はおのずから否定されることになる…というもの。
不生不滅
不生:「いま現に生じつつあるものも、すでに生じたものも、未だ生じていないものも、けっして生じない」(第七章第十四詩)
不滅:「未だ滅びないものも滅びない。すでに滅んでしまったものも滅びない。いま現に滅びつつあるものもまた同様に滅びない」(第七章第二十六詩)
三世門破のバリエーションですね…
不断不常
元来ブッダは仏教外の諸派の説を断または常の見解に堕するものとして排斥したそうで、ナーガールジュナもその論敵も「不断不常」という点は一致していました。しかし、その説明の仕方が間違っているということで論争していたそうです。
「中論」第十七章第十七詩,同第二十詩〜第二十二詩,第二十一章第十五詩,同第十六詩が、これに関する内容です。
後で訳文を読んでみるつもりです。発狂しなければいいけど…
《つづく》
コメント