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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「4空の論理」を読みました。「中論」の第二章(第一〜第十七詩)に書かれている「運動の否定の論理」というのが「中論」の論法の基礎なのだそうです。

【運動の否定の論理】(三時門破または三世門破の論法)
「まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに<すでに去ったもの>と<未だ去らないもの>とを離れた<現在去りつつあるもの>も去らない」

【その理由】
もしも「去りつつあるものが去る」ならば、主語の「去りつつあるもの」の中に含まれている「去」と、新たに述語として附加される「去」と二つの<去るはたらき>が付随することとなる。

去る主体を離れて去るはたらきはありえないから、二つの去るはたらきが付随するということは、二つの<去る主体>が付随することになる。

これはおかしいから、「去りつつあるものが去る」ということはいえない。

Q.E.D.(証明終わり)

以上、わかったようなわからないような…です。これが、前回の有部の「法有」という考え方を否定したことになるそうです。後でまた取り上げるみたいなので、それを待ちましょう。

前回、有部の「かた」の考え方はイデアみたいだと書いたのですが、著者もプラトーンの対話篇を持ち出しておりまして嬉しいです。

運動の否定の論理に関しては、ギリシアのゼーノーンの論証を比較しています。「アキレスは亀に追いつけない」というパラドクスですね。

《つづく》