ブログネタ
哲学 に参加中!
「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「3論争の相手」を読みました。ナーガールジュナの主著「中論」は攻撃的な口調で書かれていて、論敵がいることが明らかなのだそうです。その論敵と目されるのが「説一切有部」。小乗仏教の一派で、最大の社会的勢力を持っていたそうです。敵を知ることで、ナーガールジュナの思想も際立ってくるだろうというわけです。

有部の思想は、「一切の実有なる法体が三世において恒有である(三世実有、法体恒有)」ということだそうですが、4つに分けて考察しています。

1.「法」および「法体」を有部はいかに解したか。
2.「実有」とはいかなる意味か。
3.「一切」とはいかなる意味か。
4.「三世において恒有である」とはいかなる意味か。

1.「法」および「法体」を有部はいかに解したか。

《以下引用》…法とは「きまり」「軌範」「理法」というのが原義であるといわれている。そうしてこれはインド一般に通ずる用例であり、これがもととなってさらに種々の意義がこの語に附加されている。…法の原義は「きまり」「法則」「軌範」であるのに、何故後世、伝統的に「もの」と解釈されるに至ったのであろうか。…《引用終わり》

これは私も不思議に思っていました。

《以下引用》…法とは一切の存在の軌範となって、存在をその特殊性において、成立せしめるところの「かた」であり、法そのものは超時間的に存在する。この解釈は「理法」「軌範」という語源的な解釈とも一致する。法は自然的存在の「かた」であるから自然的事物と同一視することはできない。…《引用終わり》

イデアみたいなものでしょうか…

《以下引用》…個々の存在はたえず変化し生滅するが、それの「ありかた」としての「感受されてあること一般」は変化しないものではなかろうか。すなわち法としての「受」はより高次の領域において有るはずである。存在はつねに時間的に存するが、法は、「それ自身の本質(自相)を持つ」ものとしてより高次の領域において有るから、超時間的に妥当する。かくして法は有る、すなわち実在する、とされた。…《引用終わり》

2.「実有」とはいかなる意味か。

・実有とは、時間的空間的規定を受けている自然的存在を可能ならしめる「かた」としての法に関してのみいわれうる。この点で、「仮有」(男、女、瓶、衣、軍、林、などの自然的存在)、「名有」(自然的存在の中に対象を見出しえないもの亀の毛や兎の角のようなもの)、「和合有」(プドガラ:実有なる五蘊の仮の和合に名付けたもの。相待有を特に空間的に限定したもの)と区別される。

・法は自然的存在の「ありかた」であるから、他に依存せず、独立している。故に「相待有」(長と短、これとかれのように相関関係において存する有。例えば、より短いものと比べれば長となるが、より長いものと比べれば短となってしまう)と区別される。

3.「一切」とはいかなる意味か。

・「一切有」とは「一切の方が実有」という意味。法ならざるもの、つまり名有、和合有、仮有は、「一切」の中に含まれない。

4.「三世において恒有である」とはいかなる意味か。

・「かた」としての純粋の法が先になくて後からできたり、先にあって後になくなるということはありえない。自然的存在は過去未来において存在しないが、「法」は三世において存する。

《つづく》