「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?.ナーガールジュナの思想」の「1.大乗仏教の思想」「2.空観はニヒリズムか」を読みました。大乗仏教と旧来の仏教との比較(当時の情勢)が書いてあります。
《以下引用》…まず第一に、旧来の諸派は、たとえ変容されていたとしても、歴史的人物としてのゴーダマの直接の教示に近い聖典を伝えて、伝統的な教理をほぼ忠実に保存している。これに反して大乗仏教は全然あらたに経典を創作した。そこに現れる釈尊は、歴史的人物というよりもむしろ理想的存在として描かれている。…《引用終わり》
ここでお釈迦さまが超人化したんですね…
《以下引用》…第二に旧来の仏教諸派は国王・藩候・富豪などの政治的・経済的援助を受け、広大な荘園を所有し、その社会的基盤の上に存立していた。ところがこれに反して大乗仏教は、少なくとも初期の間は、民衆の間からもり上がった宗教運動であり、荘園を所有していなかった。…富者が寺塔を建立し莫大な富を布施することは非常に功徳の多いことであるが、しかし経典を読誦・書写し信受することのほうが、比較にならぬほどはるかに功徳が多いといって、経典の読誦を勧めている。…《引用終わり》
法華経とか大乗起信論などでも、「この本を読むことが他の本を読むよりもずっとずっと功徳がある」という自画自賛的な表現があって、私はこれが嫌なんですけど、歴史的背景に由来するようですね。
《以下引用》…大乗仏教においては、三世十方にわたって無数に多くの諸仏の出世および存在を明かすに至った。諸仏の中でも阿閦仏・阿弥陀仏・薬師如来などがとくに熱烈な信仰を受けた。また、菩薩も超人化されて、その救済力が強調された。弥勒菩薩・観世音菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩などはとくにその著しいものである。かれらは衆生を救うためには種々なる身を現じてこの世に生まれてくる。そうして衆生に対する慈悲ゆえに自らはニルヴァーナ(さとりの境地)の入ることもない。…《引用終わり》
平泉が表現している浄土は薬師如来の浄土だと聞いたことがありますが、阿弥陀仏の極楽の他に、阿閦仏の妙喜国、弥勒菩薩の兜卒天などもあるようです。
《以下引用》…大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である。…《引用終わり》
その最も典型的なものが法華経のようです。以下の引用を見るとわかります。
《以下引用》…大乗仏教徒は、小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれもその存在意義を有するものであるといわねばならない。この道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて明瞭に表現した経典が『法華経』である。…従来これらの三乗(声聞乗(釈尊の教えを聞いて忠実に実践すること)・縁覚乗(ひとりでさとりを開く実践)・菩薩乗(自利利他をめざす大乗の実践))は、一般に別々の教えとみなされていたが、それは皮相の見解であって、いずれも仏が衆生を導くための方便として説いたものであり、真実には一乗法あるのみである、という。…法華経の宥和的態度はさらに発展して、『大薩遮尼乾子所説教』や『大般涅槃経』においては、仏教外の異端説にもその存在意義を認めるに至った。…《引用終わり》
ほう…、涅槃経というのにもちょっと興味が出てきました。
《つづく》
「?.ナーガールジュナの思想」の「1.大乗仏教の思想」「2.空観はニヒリズムか」を読みました。大乗仏教と旧来の仏教との比較(当時の情勢)が書いてあります。
《以下引用》…まず第一に、旧来の諸派は、たとえ変容されていたとしても、歴史的人物としてのゴーダマの直接の教示に近い聖典を伝えて、伝統的な教理をほぼ忠実に保存している。これに反して大乗仏教は全然あらたに経典を創作した。そこに現れる釈尊は、歴史的人物というよりもむしろ理想的存在として描かれている。…《引用終わり》
ここでお釈迦さまが超人化したんですね…
《以下引用》…第二に旧来の仏教諸派は国王・藩候・富豪などの政治的・経済的援助を受け、広大な荘園を所有し、その社会的基盤の上に存立していた。ところがこれに反して大乗仏教は、少なくとも初期の間は、民衆の間からもり上がった宗教運動であり、荘園を所有していなかった。…富者が寺塔を建立し莫大な富を布施することは非常に功徳の多いことであるが、しかし経典を読誦・書写し信受することのほうが、比較にならぬほどはるかに功徳が多いといって、経典の読誦を勧めている。…《引用終わり》
法華経とか大乗起信論などでも、「この本を読むことが他の本を読むよりもずっとずっと功徳がある」という自画自賛的な表現があって、私はこれが嫌なんですけど、歴史的背景に由来するようですね。
《以下引用》…大乗仏教においては、三世十方にわたって無数に多くの諸仏の出世および存在を明かすに至った。諸仏の中でも阿閦仏・阿弥陀仏・薬師如来などがとくに熱烈な信仰を受けた。また、菩薩も超人化されて、その救済力が強調された。弥勒菩薩・観世音菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩などはとくにその著しいものである。かれらは衆生を救うためには種々なる身を現じてこの世に生まれてくる。そうして衆生に対する慈悲ゆえに自らはニルヴァーナ(さとりの境地)の入ることもない。…《引用終わり》
平泉が表現している浄土は薬師如来の浄土だと聞いたことがありますが、阿弥陀仏の極楽の他に、阿閦仏の妙喜国、弥勒菩薩の兜卒天などもあるようです。
《以下引用》…大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である。…《引用終わり》
その最も典型的なものが法華経のようです。以下の引用を見るとわかります。
《以下引用》…大乗仏教徒は、小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれもその存在意義を有するものであるといわねばならない。この道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて明瞭に表現した経典が『法華経』である。…従来これらの三乗(声聞乗(釈尊の教えを聞いて忠実に実践すること)・縁覚乗(ひとりでさとりを開く実践)・菩薩乗(自利利他をめざす大乗の実践))は、一般に別々の教えとみなされていたが、それは皮相の見解であって、いずれも仏が衆生を導くための方便として説いたものであり、真実には一乗法あるのみである、という。…法華経の宥和的態度はさらに発展して、『大薩遮尼乾子所説教』や『大般涅槃経』においては、仏教外の異端説にもその存在意義を認めるに至った。…《引用終わり》
ほう…、涅槃経というのにもちょっと興味が出てきました。
《つづく》
コメント
コメント一覧 (2)
やはり当時の状況を考慮しないと読み違えてしまうんですね。そこを真に受けてしまうと、仏教全体が胡散臭いものと捉えられかねなくて、残念です。無味乾燥な客観的記述が好まれる現代は、歴史的にも特別な時代なのかもしれません。最近、子供と一緒に読む荒唐無稽な童話や昔話がとても面白いのです。
「中論」は論争の書ということで、次回から小乗と龍樹の論争を見ていくことになりますが、論理と論理のぶつかり合いという感じですね。仏教が、荒唐無稽な超人の教えではないことがはっきりします。
「仏」というとおとなしいことの代名詞ですが、「仏」をめぐって激しい論戦が繰り広げられていたということは私にとっては驚愕の事実でした。まあ、不勉強だということなんですけどね…
恐らくこれは、インド特有の交替一神教的な表現形式ではないかと。
リグ・ヴェーダという讃歌集にも、「その時に祀っている神を唯一最高神のように描き、讃える」ことが決まりです。違う神の時は、唯一最高神も交替します。
もちろん仏典と神典は事情も違いますし、「小乗」との論争も原因でしょうけれど、少なくともこういうメンタリティーがインド人の中にあったことは事実で、「自画自賛」もここらあたりに由来する部分があるんでは…と愚考(妄想)してます。
因みに、お釈迦様の超人化ですが、私は小乗のほうが超人化しているように感じますよ。釈尊は我々と隔絶した存在であるとするのが小乗ですから。
大乗はあくまで、どれほど描写が超人的であれ、我々こそが「それである」とする立場ですし。その描写によって何を示そうとしているのか、が重要でしょう。
もっとも、その超人的な描写だけを取り上げてしまう危険性は常にありますけれども…それを防止するのが僧侶の役割です。助長してる僧侶もいますけどね。