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「意識の形而上学」
第三部「実存意識機能の内的メカニズム」の「16.「熏習」的メカニズム」と「17.倫理学的結語」を読みました。
表紙にも模式図が描かれている「熏習」。強烈な匂いを発する物体のそばに、別の物体を置いたままにしておくと、いつのまにかその匂いが染み込んでしまう(移り香)現象のイメージだそうです。

《以下引用》…いま仮に、aが強勢、bが弱勢としよう。両者の相互関係性において、当然、aは積極的にbに働きかける。つまり、強い方からエネルギーが弱い方に向って流れていく。そしてその結果、bの内部にひそかな変質が現われ始め、bの性質は次第次第にaの性質に近付いていく。このような現象が起るとき、それを「熏習」と呼ぶのだ。《引用終わり》

起信論では、 熏習の関係2項(aとb)を、真如(覚)と無明(不覚)に限定しています。また、b→aという逆熏習(反熏習)も熏習構造の本質的な一側面として認めています。さらに熏習する側(能熏)と熏習される側(所熏)のダイナミックな相互交替性も認めています。

熏習の基本的な型として、「染法熏習」(無明→真如)と「浄法熏習」(真如→無明)があります。「染法熏習」は、無明熏習、妄心熏習、妄境界熏習の三段に分けられます。

第一段「無明熏習」
根源的無知(「不覚」)としての「無明」の強力なエネルギーが「真如」に働きかけ作用し、「業識」(「妄心」)を惹き起す。

第二段「妄心熏習」
前段で生じた「妄心」が反作用を起こして「無明」に逆熏習し、「無明」の勢力を増長させ、そのエネルギーが「妄境界」を生み出す。存在が多重多層に分節され、あたかも心外に実在する対象的事物であるかのように妄想される。

第三段「妄境界熏習」
前段で生じた「妄境界」が、今度は反作用で能生の「妄心」に逆熏習し、そのエネルギーを増長させ、人間的主体を限りない「煩悩」の渦巻きにひきずり込み、人生そのものを「我執・法執」(自我への執着・物への執着)の絡み合う陰湿なドラマと化してしまう。

現実が、重々無尽の「業(カルマ)」の実存領域として成立することになりますが、人間的実存のドラマはここで反転し、逆コースを取って向上の道を進む可能性も持っています。それが「浄法熏習」で、「本熏(内熏)」「新熏(外熏)」の二段に分けられる。

第一段「本熏」
全ての人間の「妄心」の中には、常恒不変の「真如」が本覚として内在している。本覚のエネルギーがおのずから「無明」(「妄心」)に働きかけて、「妄心」の浄化が起こる。己が現に生きている生死流転の苦に気づき、それを厭い、一切の実存的苦を超脱した清浄な境地を求め始める。

第二段「新熏」
前段で強烈な厭求心となった「妄心」が「真如」に逆熏習して、人をますます修行に駆り立て、ついに「無明」が完全に消滅するに至る。つまり「始覚」が完了して、完全に「本覚」と合一しきってしまう。

人はいつまでもこの過程を行ったり来たりしているということなのでしょうね…

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