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「意識の形而上学」
第三部「実存意識機能の内的メカニズム」の「15.「始覚」と「本覚」」の後半を読みました。

始覚は4つの段階に分けられています。

1.「始覚」の初位(滅相):「不覚」形成過程の最後の二つ(起業相と業繋苦相)、つまり人が身・口・意三様の「業」の集積の苦果を蒙り、「煩悩」無尽の繋縛で己の本性を見失い、実存の苦に喘ぐ状態。最も粗大な表層的「不覚」。修行としては、過去に犯した悪業を自覚し同じ過ちを二度と起こさぬよう努力すること。始覚の名に値しない。まだ「不覚」。特定の悪業は止めるが、「煩悩」はまだ止まない。

2.「始覚」の第二段(異相):主・客が自・他として対立する実存状況において、自我意識に住著する段階。修行としては、主・客に分裂した「アラヤ識」の主体的側面を対象化し、真実在であると妄想して固執する「我」の意識(我執)を払い棄て、そこから離脱しようとすること。始覚の本格的な第一歩。異相が完全に克服された状態を「相似覚」という。

3.「始覚」の第三段(住相):法執(一切諸法は「妄念」の所産にして悉く非実体的な妄象にすぎないのに、それを客観的実在と誤認し、現象的存在世界を主体の外に成立している外的世界と考えてそれに執著すること)を一挙に捨離する修行の段階。これが完了した状態を「随分覚」という。

4.「始覚」の第四段(生相):「不覚」形成過程の最初の業識、つまり「妄念」が起動しようとする微妙な瞬間、を覚知してそれを捨離する修行の段階。これが完了した状態を「究竟覚」という。

ほとんど不可能に近い「始覚」修行を達成すると、「滅・異・住・生」四相の「不覚」離脱の修行の全過程は終了し、「始覚」は完全に「本覚」と合致する。

本覚の側から見つめ直したときに、次の2つの本覚があります。

随染本覚:現象界においては、「覚」は「不覚」と密接不離で、少なくとも表面的には全く区別がつかない。「覚」でありながら、現実には「不覚」の姿を取って働く。このような形で、「不覚」と結びついている「本覚」のこと。

性浄本覚:現象的「有」の次元で働く「本覚」が、現象的「染」にまつわりつかれ覆い隠されて、表面的には「不覚」と見まがうばかりになっているとはいえ、深層的には、本来の清浄性を、そのまま、一点の損傷もなしに保持している。「無明の風」が止みさえすれば、直ちに本来の完全無欠な様態で顕れてくる。一切の現象的「有」のしがらみを超脱して、その純粋自体性において開顕する境位での「本覚」のこと。

「風さえ止めば、本来の自分を取り戻せるのだ」と信じること。信仰の神髄はこれなのかもしれませんね…

《つづく》