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チャプタ靴痢屐崔里離汽屮ル化」を超えて」「この世界のすべてを引き受けて」「無限と空白」を読みました。

《以下引用》…本書の問題設定である「思考の補助線」というタイトルには、その構想時において、ある危機意識が込められていた。現代の知がはからずも断片化してしまっており、そのばらばらの破片をかき集めてみても、世界の像が一つに結ばない。そのような現状に対する個人的なあせりと悲しみのようなものを引き受けたうえで、じっくりと考えてみたいと思っていたのである。…《引用終わり》

そういうことは私も感じていましたが、西洋の研究の流儀では仕方がないのかな…と思っていました。個々に専門の分野を決めて、横の連携もなく掘り下げていけば、隣の穴でどこまで掘り進んでいるのか?隣の穴を掘っている人と自分の位置関係はどうなのか?わかるわけがない。

《以下引用》…「世界全体を引き受ける」ということが、若いときからの私の密かな野望であった。…《引用終わり》

それは野望というよりも無謀ですね。様々な研究を重ねれば、世界の像が一つに結ばれるんでしょうかね?シンプルな一つの像に収束するのであれば、全体を引き受けるという発想も出てくるでしょうが、収束する気配が全く無い現段階でそれを目指すのは、どうかな…

ただ、それができた後に目指すもの、つまりその延長線上にある目的は「皆の幸せ」だと思います。私は茂木さんほど勇敢ではないので、世界の像が収束しない前提で「皆の幸せ」を目指す方法はないかと模索しております。それが「哲学としての仏教」であり、「私の野望」です。

《つづく》