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チャプタ気痢崟こΔ蓮岼媼院廚鯢要としない?」「言語の恐ろしさ」「ニーチェとカツ丼」を読みました。

《以下引用》…世界の本質が、絶えざるダイナミクスによる世界の発展にだけあるのであれば、世界は意識を必要としない。すべては、無意識に進行していればよかったはずだからだ。《引用終わり》

うーん、世界が必要とするとかしないとか、世界自体が意識を持っているんだったら、お友達(となる意識)が必要なのでは?というか、比喩がかえって分かりにくいな。読みにくいな。

《以下引用》…ある概念の普遍性は、その概念の翻訳可能性と一致するとは限らない。たとえば、世界の中のある言語圏だけが到達し、把握している普遍性が存在するということはありうる。それでも、私たちは往々にして翻訳可能なものだけを普遍項として立てることを当然だとみなす。流通性と普遍性を安易に等式で結んでしまいがちなのである。《引用終わり》

漢文のまま取り込んで読み下してしまう日本人。英語をカタカナに置き換えて、そのまま使ってしまう日本人。おそらく他の言語でも同様のことは行われていると思うので、そんなに深刻でもないような気はしますけど。私は国際人じゃないから、分かんないのかな。

《以下引用》…意識とは、個別が普遍に接続する形式のことである。…人間は、個々の生という個別を生きていると同時に、時空間的な限定を受けない普遍をも生きている。「心ここにあらず」とは上の空の空想屋を揶揄する言葉であるが、まさに私たちは一人残らず、意識などというものを持ってしまったがために、世界という土壌をのたうち回るミミズには徹することができなくなっている。《引用終わり》

意識の超個的性格という話のようでもあるし、人間の宿命的な苦悩でもありますね。

《つづく》