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「.密教の相承」の「二.真言密教の相承」「三.天台密教の相承」
「.真理の具現者」の「一.大毘盧遮那如来」
を読みました。

「真言密教の相承」より
真言宗の中にも、…相承系譜がある。日本においてはこれが唯一の密教の相承系譜のように思いこまれる場合もあるが、広くアジア全域の密教史を考える場合、それは数多くあるうちの一例にすぎないということを一応考慮に入れておく必要がある。


いろいろ微妙に違う密教の流れがたくさんあって、その中で日本に伝えられ生き残った(淘汰?)ものが真言宗と天台宗であるという捉え方のほうが確かに自然ですね。

「大毘盧遮那如来」より
…密教では現実世界の事象がことごとく絶対世界にほかならない(生死即涅槃、即事而真)という大乗仏教の基本的な考え方を継承し、発展させている。


ほう、これは大乗仏教の考え方なのか。

「大毘盧遮那如来」より
等流法身とは、…悟りに導こうとする相手と同じ姿になり、ともに悩み苦しみながら連帯意識をもたせたり、同じ姿で相手を打ち負かして畏敬の念をいだかせたりしたのち、仏法を説き、それに導き入れるわけである。…仏教以外のいろいろな神々とか、あるいは畜生とか悪鬼にいたるまで、すべて仏教化して、曼陀羅の中に取り入れ、密教の諸尊として崇拝するのは、この等流法身の考えかたのあらわれといえよう。


真言宗ではいろんなものを祀っている理由がわかりました。

「大毘盧遮那如来」より
われわれが神秘体験を得て真実を見る眼が開けると、この現実世界のあらゆるたたずまいとかできごと、見るもの聞くもの味わうものこれらすべてが絶対の価値をもつということがわかる。法身大日如来がつねに説法しているのだから、目ざめた人は、それをいつでも聞きとり、味わうことができる。だから密教は、対象とする人の宗教的な能力に応じて説きわけられた教えではなく、また長年月のきびしい修行をかならずしも必要とするわけではない。法身の常恒説法に気づいて、現実世界のありとあらゆるものが無限の生命力と価値といつくしみと活動を本質的にそなえていることを自覚しさえすればよい。


引用が長くなりましたが、気に入ったのでメモらせていただきました。

《つづく》