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私たちに与えられているのは、限られた波長の光しか感じない目と、これまた限られた周波数の音しか感じない耳。犬より格段に劣る嗅覚。ちっぽけな脳細胞がいろんな機械を発明して、もともとの能力以上のことができるようになっているけど、全知全能には程遠い。

宇宙というのは複雑多岐。何次元かわからない。3次元空間に時間を足して4次元まで、我々はかろうじて認識できることになっている。だから、それ以上の次元はわからない。

認識能力を超えた次元を見ようとすると、どういうことになるか。これには影絵の喩えがよく使われる。影絵は3次元の物を2次元のスクリーンで捉えるもの。つまり、2次元しか認識できない目で3次元の物を見ること。

角度を変えれば、いろんな形になる。こういうことは大宇宙なんて大風呂敷を広げなくても、日常的に体験できることなんじゃないだろうか。身近な出来事、身近な人、見方を変えると全然違ったものに見える。

たとえば、目の前にいる私の奥さん。一人の人間は60兆を超える細胞でできているとのこと。そして、1個の細胞を構成している原子の数は…と考えたら、これは立派な小宇宙。こういった構成要素それぞれの都合を総合して、一人の人間が動いている。ずっと一緒にいても謎が尽きない。

そんな謎めいた奥さんと、謎めいた私と、その謎を引き継いだ娘たちが影響を与えあっている。我が家の中を見ただけでも何次元かわからない多次元の宇宙。

つゆと落ち つゆと消えにしわが身かな なにわのことも夢のまた夢…

生まれるとは、何か大きな全体からポツンと一滴、しずくが落ちるようなものじゃないかと思う。葉っぱの上を転がるしずくのように、表面張力をもって、なにわの中をコロコロ転がる。

限られた窓からしか他を見ることはできないし、聞くこともできないし、嗅ぐこともできない。そんな窮屈な表面張力が用意されているのは、何か意図があるのではないか?と思う。

見えないようにできているんだから、見えるところだけ精一杯に見ればいいと思う。聞こえないようにできているんだから、聞こえるところだけ精一杯に聞けばいいと。嗅げないようにできているんだから、嗅げるところだけ精一杯に。そして、生きているんだから…

生きる意味がわからない?死なない理由がわからない?じゃあ、死ぬ意味って何なんだ?わかるのかい?

《つづく》