世紀末の夜、僕はある本を読んでいました。1995年に出版された「ミュータント・メッセージ」。オーストラリアのアボリジニの生活を、彼らと生活を共にしたアメリカ人の目で描いたものです。
ミュータント(突然変異)とは、われわれ文明人のこと。自然と共に(地球と共に?)暮らすアボリジニが、地球を破壊し続ける人たちに充てた呼び名。
本の中で語られるアボリジニの生活習慣や考え方のひとつひとつが地球と共にある感じがして、文明に毒されたわれわれには非常に新鮮に映ります。縄文時代頃は、日本人もこんな生活をしていたのかな…と、仙台のビルの間から満月を垣間見て、独り考えました。
ミュータントという呼び方が衝撃的だったかもしれない。文明人をガン細胞扱いしているとも取れるから。
地球を一人の人間として見た時、病原体は何にあたるか?地球外から飛来した場合には、細菌とかウイルスにあたると思います。しかし、地球の内部から発生した場合にはガンが考えられます。
細胞分裂という細胞の日常的な活動の中で突然変異は発生し、その中からガンも発生します。周囲の正常な細胞に一切お構いなしに増殖を続けます。最終的にはその人の生命を奪うところまで増殖し続けます。でも、その人が死んでしまったら、ガン細胞も死にます。増殖・発展の先にあるものは自滅でしかない、それがガンの宿命です。
我々はガンという病気に脅威を感じ、日々研究を重ね、闘っているわけですが、自分たちがそれと同じ存在であることに気づいていない。自分たちもガンと同じ宿命を背負っていることに気づいていない。
いや、気づいてはいるんだな…気づいてはいるけど、立ち止まれない。悪性から良性に変わることができない。断崖絶壁に向かって、私たちは突進するしかない。
「あと、どのくらいですか?」
世紀末は、ガン患者に対する告知のようでもありました。
《つづく》
ミュータント・メッセージ
ミュータント(突然変異)とは、われわれ文明人のこと。自然と共に(地球と共に?)暮らすアボリジニが、地球を破壊し続ける人たちに充てた呼び名。
本の中で語られるアボリジニの生活習慣や考え方のひとつひとつが地球と共にある感じがして、文明に毒されたわれわれには非常に新鮮に映ります。縄文時代頃は、日本人もこんな生活をしていたのかな…と、仙台のビルの間から満月を垣間見て、独り考えました。
ミュータントという呼び方が衝撃的だったかもしれない。文明人をガン細胞扱いしているとも取れるから。
地球を一人の人間として見た時、病原体は何にあたるか?地球外から飛来した場合には、細菌とかウイルスにあたると思います。しかし、地球の内部から発生した場合にはガンが考えられます。
細胞分裂という細胞の日常的な活動の中で突然変異は発生し、その中からガンも発生します。周囲の正常な細胞に一切お構いなしに増殖を続けます。最終的にはその人の生命を奪うところまで増殖し続けます。でも、その人が死んでしまったら、ガン細胞も死にます。増殖・発展の先にあるものは自滅でしかない、それがガンの宿命です。
我々はガンという病気に脅威を感じ、日々研究を重ね、闘っているわけですが、自分たちがそれと同じ存在であることに気づいていない。自分たちもガンと同じ宿命を背負っていることに気づいていない。
いや、気づいてはいるんだな…気づいてはいるけど、立ち止まれない。悪性から良性に変わることができない。断崖絶壁に向かって、私たちは突進するしかない。
「あと、どのくらいですか?」
世紀末は、ガン患者に対する告知のようでもありました。
《つづく》
ミュータント・メッセージ
コメント
コメント一覧 (2)
私は喜怒哀楽全てに存在意義があると思っています。「怒」や「哀」も時として必要であると。
こと地球環境問題に関しては、楽観論は禁物な状況だと思います。あくまでも人類の一日も長い延命を望めばの話ですけどね。
それを諦めて、人類が安楽死を望むのであれば、笑うしかない状況ですから「怒」も「哀」も禁物だと思いますけど。
それを選ぶのは我々人類だと思います。地球に感情があったとしても、人類の滅亡を特に悲しみはしないだろうと私は思います。
こういう内容を12日投稿分として既に書き上げております。お気に召さなければ、スルーしていただくしかないかな…
槌田さんのブログは毎日拝見してますよ。ただこんなことばかり考えているので、なかなかコメントする時間が取れないんです(笑)
からきてみました。
「あと、どのくらいですか?」
そう問われたら、「適当なときまででし
ょうね。」と答えます。
ですから、考えるに及ばずです。さいわ
い脳細胞は進化し続けています。このパ
ソコンがいい例でしょう。だから、いず
れ心のがんを征服する日も遠からずくる
はずです。そんなことを考えてばかりい
ないで、もっと人生を有意義にしたいも
のですね。できれば、楽しく。‥