第二章の教判論を読みました。
釈迦教(釈迦牟尼仏を本尊・教主とする)、弥陀教(阿弥陀仏を教主とする)、大日教(大日如来を中心とする)という分類を恥ずかしながら初めて知りました。同じ仏教でも、拝んでいる対象が違っていたとは、ちょっと驚きでした。
釈迦教は小乗仏教,法相宗,三論宗,天台宗,華厳宗,禅宗,日蓮宗。弥陀教は浄土教の諸宗派。大日教は真言宗。
弘法大師が創作された十住心は、凡夫,声門,縁覚や、法相宗,三論宗,天台宗,華厳宗、そして真言密教を分類・ランク付けしたもののようです。まあ、ひとつひとつ修行して階段を上っていくというものでもないのでしょうね。そうだとしたら、次々と宗派を変えていかなければならなくなる。
私の場合は凡夫の中でも、宗教的に目覚めて第一歩を踏み出した段階(第二住心:下から2番目)というところでしょうか。まずは十善戒を守るよう頑張ってみたいと思います。
《つづく》
釈迦教(釈迦牟尼仏を本尊・教主とする)、弥陀教(阿弥陀仏を教主とする)、大日教(大日如来を中心とする)という分類を恥ずかしながら初めて知りました。同じ仏教でも、拝んでいる対象が違っていたとは、ちょっと驚きでした。
釈迦教は小乗仏教,法相宗,三論宗,天台宗,華厳宗,禅宗,日蓮宗。弥陀教は浄土教の諸宗派。大日教は真言宗。
弘法大師が創作された十住心は、凡夫,声門,縁覚や、法相宗,三論宗,天台宗,華厳宗、そして真言密教を分類・ランク付けしたもののようです。まあ、ひとつひとつ修行して階段を上っていくというものでもないのでしょうね。そうだとしたら、次々と宗派を変えていかなければならなくなる。
私の場合は凡夫の中でも、宗教的に目覚めて第一歩を踏み出した段階(第二住心:下から2番目)というところでしょうか。まずは十善戒を守るよう頑張ってみたいと思います。
《つづく》
コメント
コメント一覧 (2)
他宗派からは異論も出るところでしょうが、弘法大師による仏教の分類ということで、宗派に限らず参考になる考え方だと思います。
仏教全てを集大成しようという意思、真言密教が最高だという自信、膨大な思想体系を整然とまとめ上げた能力、とにかくスゴイ人ですね、大師さまは。
まず、トトガさんの言われるように、教理教派の大雑把な分類。
次に、個々人の心の進捗状況の目安。
これらは「九顕一密」と言われるものです。
一方、「九顕十密」という捉え方もありまして、これは万物がすべて大日如来であり、真言以外の教えであっても、それは大日如来の意密の表出に他ならないという点で、他宗教や共産主義・無神論も含めてすべて実は真言密教である、というものです。
どんな反社会的思想であれ、根本は大日如来です。
ただし真言密教を知らない状態では人間の無明が大日如来の意密を歪めてしまっているので、非常に「いかがなものか」という考え方も蔓延している、と。
その大日如来の意密の度合いが濃く顕れているか、まだ薄いのかが十住心の階梯ですが、いずれにしても大日如来の枠内です。
問題はあくまでも自己の無始無明です。