ブログネタ
憂国 に参加中!
さて司法と国民のねじれですが、裁判員制度はこのねじれ解消の方策だと私は捉えています。こういう方向に動き出しているということは、立法・行政に携わる人たちよりも的確に現状把握ができていると思います。

48年の最高裁大法廷判決というのがあるそうで、「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる」という補足意見が述べられているとのこと。司法でも最終的な判断は民意に委ねられるべきですね。専門家がどう考えようが、国連が何と言おうが。

最近の殺人事件の判決について一般国民の80%が「軽い」と回答したというアンケート結果もあります。先日の広島高裁の死刑判決(光市母子殺害事件差し戻し審)は妥当なものと言うべきでしょう。

「心神喪失状態ならば責任能力はなく無罪」という専門家の常識も、一般の人間にはなかなか受け入れられないものではないかと私は思います。心神喪失状態と刑罰は別々に考慮すべきことなのではないかと。心神喪失状態になると人を殺してしまうような人ならば、なおさら野放しにはできないのではないかと。先日の三橋歌織被告に対する東京地裁の有罪判決も妥当なものだと思いました。

裁判員制度の施行を一年後に控え、問題点を挙げる論調ばかりが目立つのですが、少なくとも上記2つの判決は画期的なものだと思います。街頭インタビューでは、他人の運命を自分の判断で変えてしまう責任の重さに耐えかねるという意見が多いようでした。でも、その「他人の運命」を司法試験に合格するような特殊な人たちだけで決めていいのか?という疑問の方が私は大きいのです。

司法と国民のねじれを少しでも小さくしていく方法として、裁判員制度は前向きに取り組んでいくべきだと思います。立法・行政も政治家だけに任せていいのか?と心配しているところです。国会議員や大臣の一部も、裁判員のようにくじ引きで決めてはどうでしょうか?

本当にキムタクが総理になるかもしれませんが、今よりはマシになるのではないかと。検事もやったことあるしね。