如来寿量品第十六で、弥勒菩薩の問いに答えています。過去についてあまりはっきりと答えていないような気がするのですが、仏の教えはずっと昔からあったという意味なのかもしれません。そして、釈迦がいずれ亡くなると言ったけれどもそれは方便だったのだと告げます。

その方便とは…名医の子供たちが誤って毒薬を飲んでしまいました。父はその解毒となる妙薬を処方し子供たちに飲ませますが、毒がまわっておかしくなった子供は飲もうとしません。そこで、「私は死期が迫っている。この薬は良薬だから飲みなさい。」と言い残して旅に出ます。そして「父は死んだ」という使いを子供たちに送りました。頼るものがない孤児になったと思い込んだ子供たちは薬を飲みました。子らが苦しみから逃れたのを知り、父は帰りました。…例えるとこういうことです!という説明。

これは騙したことにはならないでしょう?と念を押した上で、これと同じ状況だから私も「もうすぐ死ぬって言ったんだよ。私はいつまでも滅びずにここにいる!けれども、方便で出たり消えたりするんだよ。」

分別功徳品第十七では、仏の寿命が永遠であることを信じることが大切であることを重ねて強調しています。五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除いたもの:布施・持戒・忍辱・精進・禅定)よりも、信じることの方がずっとずっと大切だと教えています。

随喜功徳品第十八では法を聞くこと、また一人でも多くの人に法を聞かせることが大変な功徳になると言っています。

私としては日々の行いを正すことの方が大切だと思っていたので、かなり意外です。

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