クリスマスケーキを食べたかと思うと、一週間後にはお寺で除夜の鐘を聞き、その翌日から神社に初詣にでかける…と揶揄されますが、これが典型的な日本人です。でも、これってダメなことですか?
「これだから日本人はダメなんだよ!」という人に言いたい。「こうじゃないから世界平和が訪れないんだ!」と。
宗教はその教団内部に平和をもたらすかもしれませんが、排他的な側面もあるので、逆に他宗教との争いの種にもなります。であるならば、日本人のこのやり方はとってもいいんじゃないでしょうか?
教義に厳格な真面目な人たちが、他宗教と溶け合っていくのは難しいと思います。だから、たとえばキリスト教ならば聖書からではなくケーキから入っていって、みんなでおいしいものを一緒に食べているうちに仲良くなる…
いっそのこと、この年末年始の期間に世界のいろいろな宗教のおいしいところだけ取り入れて、日本の新しい習慣にしてしまえばいいんじゃないでしょうか。それに必要なものが売れるから景気も良くなるし、おいしいことはいいことです。
これが世界平和実現の唯一の方法だと、私は思っています!
「これだから日本人はダメなんだよ!」という人に言いたい。「こうじゃないから世界平和が訪れないんだ!」と。
宗教はその教団内部に平和をもたらすかもしれませんが、排他的な側面もあるので、逆に他宗教との争いの種にもなります。であるならば、日本人のこのやり方はとってもいいんじゃないでしょうか?
教義に厳格な真面目な人たちが、他宗教と溶け合っていくのは難しいと思います。だから、たとえばキリスト教ならば聖書からではなくケーキから入っていって、みんなでおいしいものを一緒に食べているうちに仲良くなる…
いっそのこと、この年末年始の期間に世界のいろいろな宗教のおいしいところだけ取り入れて、日本の新しい習慣にしてしまえばいいんじゃないでしょうか。それに必要なものが売れるから景気も良くなるし、おいしいことはいいことです。
これが世界平和実現の唯一の方法だと、私は思っています!
コメント
コメント一覧 (3)
コービーって人が書いた「7つの習慣」に出てました。私、その本から結構影響受けました。オススメっす。
宗教の大前提は平和だと思うんですよ、私は。例え、教義の上で真理と認めざるを得ないことでも、それが争いの種となるようなことであれば真理とすべきではない、教義を変えるべきである!と。だから、聖戦という考え方も気持はわかりますが、本末転倒だと思うのです。
大陸では逃げ場があるから、教義とかイデオロギーとか、正義を大切にできますが、狭い島国では正義よりも和を大切にしたいという気持ちが強くなるんじゃないかと思います。
一見、でたらめに見える日本の習慣ですが、私はすごく画期的なことだと思います。
そういえば、モーリシャスという国が「いろんな宗教を受け入れ、その相違を尊い、祝う」ということを政府、国民が強く主張しているそうですね。
そういう考え方って世界平和を考える上で一番大切な気がしますよね。