神様でも仏様でもいいのですが、聖なるものはすべての場所に平等に現れるはずだ、と考えるのが自然だと思います。中近東だけとか、インドだけとか、えこひいきがあるとしたら、聖なるものとは何となく思えないから。ただ、現れているのに気づかないという場合ももちろんあるでしょうけれど。

本地垂迹説というのだそうですが、インドの大日如来は日本では天照大神として現れたという捉え方があります。これによって日本では、古来の神道と大陸から伝来した仏教を両立できたわけです。

これは宗教としてはともかく、文明・文化の発展性という点ですごいことです。自分を保ったまま、異物を取り入れて、発展していく。日本文化のチャンポン性というかハイブリッド性というか、和洋折衷とかが好きなのは仏教伝来の頃からなのですね。

有性生殖の生物は、このチャンポン方式で繁殖し、進化しています。自分の遺伝情報を半分ずつ持ち寄って、次の世代を創っているのですから。この大自然が採用している手法を、日本人も宗教をはじめとしたいろいろなものに採用してきたということになります。うちのカミさんも、残り物をチャンポンして新しいメニューを作り出す天才です。

ふと気付いたのですが、「大日如来」が日本に来たのでしたら、「来日如来」と呼ぶべきではないでしょうか?