山口県光市の母子殺害事件に関する裁判は忠臣蔵のようなものかもしれないと、ふと思いました。

被告人は子供の頃どうだとか、人格形成がどうだとか、母親が死んだとか生きたとか・・・そんなにいろいろ調べるんだったら、被害者の方も調べてくださいよ。最愛の妻を失う気持ち、子供は可愛い盛りだったとか。あるいは娘や孫に先立たれる親の気持ち。判決文には、被告人自身について書いた文字数と同じだけ、被害者やその遺族に関する言葉を載せるべきです。その辺はどうなっているんでしょうか?判決文なんて読んだこと無いですけど。

最近の殺人事件の裁判は、被告人にばかりスポットが当てられているとわたしは思います。精神鑑定を徹底的に行い、責任能力が無いんじゃないか?無いんじゃないか?と何回も執拗に問われます。猟奇的で凶悪な犯罪ほど無罪になるみたいです。

一方の被害者側に対しては、「死んじゃったからしょうがないんじゃないの」という久間さん的頭の整理を行っているみたいで、被告人に対するよりもずっと淡白な扱いのような気がします。遺族は感情的になっているからまともな考えは持てないはずだ!と決めつけているようで、裁判から徹底的に排除されている観がありました。最近、改善の兆しはありますが。

だから、近頃の裁判は片手落ちだとずっと思っていました。そう思っている人は、光市の事件では本村さん(被害者遺族)の味方をするでしょう。そうじゃない人は、もういい加減いいんじゃないの?と思っているようです。

忠臣蔵の事件でも、お上の裁定に対して元禄の世論は二分したことでしょう。あれは片手落ちだ!いや、そうじゃない!という具合に。尤も浅野内匠頭が加害者ということになるので、加害者にきつい判決が出たという点は逆かもしれませんが。片手落ちの判決を不服として、何度も再考を促し、認められずに実力行使に出るわけです。大石内蔵助もなかなか執念深いと言えますが、亡き殿の無念を晴らしたいという気持ちを貫く姿は美しいと思います。

現代の司法に問題提起をするという意味で、本村さんをわたしは応援します。とにかく、やれるところまでどこまでも貫いて欲しい。そう願いながら、展開を見守っています。

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