脳から出ている神経の全てを完璧な機械に一本一本つないで、頭の中に納まっている時と全く同じように神経信号のやり取りをすれば、脳は頭の外に自分が居ることに全然気付かないのではないか?と、小さい頃に空想したことがあります。これは、まさにSF版「胡蝶の夢」です。自分はそんな機械につながれてなんかいない!と、どうして決め付けることができるだろうか?自分は蝶々なのに、人間だと錯覚させられているんじゃないのか?

 デカルトも、そんなふうに「自分」を徹底的に疑った人だと思います。「我思う、ゆえに我あり」こんなに自分が思い悩んでいるんだから、自分が存在しているということだけは確かだ!と彼は考えました。

 では存在するということはどういうことなのか?箱の中にウサギがいるかどうかは、箱を開けて中を見た瞬間に決まる!というのが量子力学の考え方なのだそうです。箱を開けないうちは、ウサギはいるかもしれないし、いないかもしれない。物事は観測しないうちは決定しない。「あ、自分は今悩んでいる」と自分を観測した瞬間に自分の存在が決定する!?それじゃあ、ボーッとしていると、自分は消えてしまうのだろうか?

 量子力学には不確定性原理というのがあって、小さなものを観測する限界について述べられているそうです。これと似た名前で、数学には不完全性定理というのがあって、論理学の限界が述べられているそうです。論理のパズルをどんどんと組んで広げていくと、どこかで合わないところが出てくる。だから、皆が正しいと思うことをどんどん積み重ねていっても、いつか必ずつじつまが合わなくなるんですよ!ということが数学的に証明されているらしいのです。

 そんなことが、脳の研究のテーマのひとつにきっとなっているんだろうと思います。脳とはどんなものか?私たちが正しいとか合理的だとか思うのはどういうことなのか?そもそも思うというのはどういうことなのか?

 するってぇーと、「思う」がわからなかったら、自分が存在しているかもわからないじゃないか?自分が人間か蝶々かよりももっと肝腎なこと、自分がいるかどうかわからない!デカルトさんは随分簡単なところで結論を出してしまったもんだ。

 こんなどうしようもない問題を一言で表したのが、「色即是空」じゃないかと思います。最近、般若心経を唱えているお年寄りを見ると、スゴイ!と思います。だいたいみんな意味はわからない。でも、それでいい。わかるということがどういうことか、そもそもわからないのだから。

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