6月25日にテレビ朝日系で放送されました「キャノンスペシャル ジュラシック・コード」は、脳が継ぎ足しで進化してきたことによる弊害が取り上げられていました。爬虫類の脳と言われる脳幹は自分が生き残るためだけの脳であり、それに哺乳類の脳と言える大脳辺縁系が継ぎ足され、更に大脳新皮質が継ぎ足されて、我々人間の脳ができました。
 面白かったのは、人類の歴史とは爬虫類の脳(が持っている闘争本能)を抑える工夫の歴史なのではないか?という視点です。西洋文明発祥の地としての古代ギリシャで見られたスポーツ,演劇,音楽は、いずれも闘争本能を抑える工夫と見ることができます。


 逆も言えるのではないか?と私は思いました。爬虫類の脳を抑えることに成功している間だけ、人間は歴史を持ち得るのではないか?と。闘争に明け暮れていれば、歴史的遺産は戦火にまみれ消失していきます。島国で外敵からの襲撃に殆ど遭わなかった日本の方が、周囲の異民族からの侵略で王朝の交代が有った中国よりも、古い歴史的資料が残っているという話を聞いたことがあります。
 平和を志向する宗教や哲学が生まれ普及して、比較的平和な時期が続いて、歴史の蓄積が始まるのではないでしょうか?歴史とは平和な時代にできる小さな泡沫。大きな波が来れば消えてしまう。オーパーツと呼ばれる誰が作ったかわからない遺跡は、残念ながら波にのまれて破裂してしまった泡沫のひとかけらなのではないでしょうか?


 前回、私たちには心がけるべき「体の使い方」「心の使い方」「頭の使い方」があるのではないか?ということを書きました。「人間は社会的(ポリス的)動物である」という言葉がありますが、進化論から言えば真実は逆なのではないかと思います。人間はもともと社会的にデザインされているわけではなく、いろいろな人間が発生し、いろいろな文明が生まれる中で、たまたま社会的な人間たちが古代ギリシャなど文明が栄えた地域に多かったのでしょう。
 皆で社会的になろうと努力しないと、反社会的な動きは自然に発生して、私たちの文明や歴史はバブルのごとく簡単にはじけてしまうことでしょう。そういう努力は、我が国の歴史の中でもずっと続けられてきたようです。個人のレベルでは、爬虫類脳が持っている本性を煩悩と呼び、その克服のために修行をしたりしました。国家のレベルでは、「和を以って貴しとなす」の十七条憲法や、争いの種を徹底的に排除した江戸幕府の政策などが挙げられます。「和」を第一目標にするような国は、世界でも珍しいのではないかと思います。その辺りが番組の中で触れられていなかったのは、私としては残念でした。

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