トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2016年09月

きょくたく:PC03(心包経 合水穴)

〈取穴〉:肘窩横紋上、上腕二頭筋腱の尺側に取る。
〈標準〉:肘前面、肘窩横紋上、上腕二頭筋腱内方の陥凹部。

〈筋肉〉:上腕二頭筋上腕筋

〈運動神経〉:筋皮神経。

〈知覚神経〉:内側上腕皮神経、内側前腕皮神経。

〈血管〉:上腕動脈。

〈主治〉:心胸痛、動悸、胃痛、嘔吐、肘関節障害、正中神経麻痺。

〈特殊〉:

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」

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時代が急速に変化する中で、それに対応するというか、適応するというか、新しい考え方(ミーム?)が必要だ。この本では、その新しいミームをWorld View 2.0と呼んで提示している。メモるついでに何か書き添えてみようと思う。

1つ目は…「世界は恐ろしい場所だ⇒恐れるものは何もない」

ニュースを見ると、恐ろしいことばかりだ。「恐れるものは何もない!」と宣言するのはかなり難しい現状。楽観主義者には現実認識が正しくない傾向があるとも言われている。現実を直視したら、楽観的にはなれないのが普通だ。

ただ、サスペンスやホラーよりも恐ろしいニュースが多い中、感染症や天変地異などを除けば、一部の人間が引き起こしている事件がかなり多い。

その人たちがそうしてしまったそもそもの原因は、恐ろしいニュースを見て「世界は恐ろしい場所だ」と思い、居ても立っても居られなくなったからかと思う。とっても大雑把ではあるけれども。

ドラッグとかやって「恐れるものは何もない」と思って凶行に及ぶ人もいるけれども、そもそもドラッグをやらざるを得なかったり、偏った精神状態になったりしたのは「世界は恐ろしい場所だ」という恐怖なのではないだろうか。

とすればWorld View 2.0は処方箋となり得る。

〈つづく〉

***

書影
[オーディオブック版]
こうして、思考は現実になる(2)
著者:パム・グラウト/著、 桜田直美/翻訳
再生時間:5時間19分
オーディオブック配信サービス「FeBe」
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触察Plainプラン33分2000円
触察Mediumプラン54分3000円
触察Premiumプラン74分4000円

詳細は以下のとおりです。

触察料:
・33分で 1643円 (前月比-57円)

出張費:
・人数に関わらず:359円 (前月比+63円)

追加項目:
・鍼50円(1本)、灸50円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.6は7月のものです。
※当院の価格に対する考え方はこちら

・9月の価格
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平均:2558円
最安値:1800円
最高値:4400円

※当院の価格に対する考え方はこちら

・7月の客単価
・8月の価格
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ブログネタ
中高一貫校の素顔 に参加中!
今回は岩手県立一関第一高等学校附属中学校(p74〜)の問題。

知らないうちに世の中はいろいろ変化している。今回も随分勉強になった。そのひとつが「ノンステップバス」(p76)。単に昇降口の段差が小さくなっているんだと思っていたら、車が傾いて昇降口を低くするようなことが書いてある。

「最近のバスって、そうなのかな?」と子供達に聞いてみたが、首を傾げる。

ちょうど、バスに乗る機会があったので気をつけて見てみると、確かに乗り降りする時に車体が傾いている(二―リングというらしい)。「ノンステップバス」と表記されているバスは随分前から見かけているが、こんなふうになるとは全然気づかなかった。

シャンプー(p78)の容器のギザギザも、あることは気づいていたが、そんな意味があるとは知らなかった。尤もリンスを使わない人間には余り関係ないが。

p79の自転車の止め方については、24時間テレビで視力を失った教師が再び教壇に立つために奮闘するドラマを見たばかりで、ドラマの中でステッキの先が自転車のスポークの間に入ってしまって転倒してしまう場面を見たばかりだった。

p82の面積を出す問題は、半径の長さを一辺とする正方形から円の1/4の面積を引いて算出していく、頻出問題なのだけれど、何個も組み合わされて、しかも「七宝模様」なんて言葉を出されると、戸惑って手が出なくなる子が多い様だった。

《つづく》

※個人情報保護のため、登場人物が特定できないように、イニシャルはエピソードごとに変えています。同じ人なのにイニシャルは違っている場合があります。また、Zまで行った場合にはAに戻りますが、この場合は同じイニシャルであっても違う人物ということになります。ご了承下さい。

◆◆◆公文式小林教室◆山形県東根市◆◆◆
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訪問日記(12)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「旧街道沿いの家」他

訪問日記(11)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「さくらんぼの森」他

訪問日記(10)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「二人の娘」他

訪問日記(9)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「3つの木目込み人形」「動脈瘤の思い出」「小さなお家」他

訪問日記(8)2015/6/30〜

訪問日記(7)2015/4/2〜

訪問日記(6)2013/3/16〜

訪問日記(5)2009/5/9〜

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訪問日記(3)2007/10/01〜

訪問日記(2)2006/5/28〜

訪問日記(1)2005/9/15〜
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栗原さんの紹介で神田ウメさんのお宅に初めて伺ったとき、もう一人、お婆ちゃんがいた。それがタケさん、ウメさんのお姉さんである。ウメさんの家のすぐ近くに住んでいるので、ウメさんの所には、シルバーカー(老人用手押し車、タケさんはベンツと呼んでいた)を押して、毎日のように訪れていた。

このお婆さん、見たことがある…。

私も半世紀生きているので、どんな人に会っても、前に一度会ったことがあるような感じがする。要するに、今まで会った誰かさんの中に必ず似た人がいるということだ。だから、「以前、どこかで会いましたよね?」なんてことは、かなり確信があっても言わないことにしている。変な下心があると誤解されたら面倒だから。

しかし、タケさんくらいの年齢になると皆かなり個性的になるので、見間違えることはない。人間の範疇を広げるべく果敢に攻めているような雰囲気さえある。私がここまで失礼な言い方をするのは、それに嫌悪は抱いていないからだ。ゆるキャラのような…そう、カワイイのである。

タケさんの家とウメさんの家を結ぶ区間、ここは私がよく行き来するエリアである。そこで、立ち話をしているタケさんを頻繁に見かける。立ち話と言っても、タケさんはベンツに腰かけている。タケさんと道でバッタリ出くわして話しかけられた相手は立っている。ひたすら立って話している。もっと、正確に言えば、タケさんが話しているのを聞いている。立ち聞きだ。だから、どちらも立ち話には該当しないのだけれど…。

タケさんが話すのを至近距離で初めて見て、驚いた。話が途切れない。コンスタントにずっと話している。鳥と同じ呼吸器を持っているのではないかと思うくらい、ブレスの痕跡が見当たらない。

これはスゴイことである。90歳近い年齢の筈なのに、呼吸器はずっと酸素を供給し続け、頭脳はずっと話題を供給し続けて、このハードユースに耐えているのだから。

「そんなに話せるのは頭がしっかりしているからですね…」という一言を、絶え間ない話の間にはさむのに、かなりの時間が必要だった。

〈つづく〉
「訪問日記」一覧

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てんせん:PC02(心包経

〈取穴〉:腋下横紋の前端から、曲沢に向かい2寸に取る。
〈標準〉:上腕前面、上腕二頭筋長頭と短頭の間、腋下横紋前端の下方2寸。

〈筋肉〉:上腕二頭筋烏口腕筋

〈運動神経〉:筋皮神経。

〈知覚神経〉:内側上腕皮神経。

〈血管〉:上腕動脈。

〈主治〉:心胸痛、動悸、胸脇苦満、上腕痛。

〈特殊〉:

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」

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バイリンガルになるということ、それは頭の中で考える言葉が日本語と英語になるということ。その時の場面でどちらかの言語が選ばれて、頭の中でつぶやかれる状態。この時、日本語の人格と英語の人格は別人格になるという。

最初は突拍子もないことのように思ったが、苫米地作品を読んでいるうちに理解できるようになった。

英語の特徴は、言いたいことがセンテンスの最初で分かること、「誰」が「何」をという部分が明確に効率よく表現できることだと思う。だから、私のように英語力はまだまだの人間であっても、英語で考えようとしてみると思考の細かい所がしっかり決まっていくのを感じることができる。

そして、更に重要なのは、頭の中でつぶやく言葉というのはセルフトークであり、マインドセットにつながるものであり、その人の性格を左右するものである。ここまで考えれば、英語人格は別人格と言うのは突飛でも誇張でもない当然のことだと分かる。

外国語を学ぶということは、親という最大のドリームキラーの影響を排除するという大きな意味があるのではないだろうか。そう考えると、外国の人と話をするためとかいう学習の動機はとてもちっぽけなものに思えてくる。

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日本人が流暢な英語を話したって何の値打も無い、という指摘は面白い。逆のパターンを想像してみれば納得できる。

日本人よりも上手じゃないかと思えるような日本語を話すけれど見た目はどう見ても外国人というような人。英語で話しかけてみようとか、日本に来て何か困ってることは無いだろうかとか、外国人に対して抱きがちな感情は湧かない。失礼ながら、見た目は外国の人なのにつまんないな…と思うだろう。

英会話教室に行ったからと言ってなかなか流暢に話せるようになるものではないが、もしなったとしたら、それは外国人から見てつまらない日本人になるということだ。

著者が言うように、大切なのは話し方ではなくて話す内容である。どんなにたどたどしい日本語で話していても、枕草子がどうだとか、夏目漱石がどうだとか、難しい四字熟語とかを駆使して話していたら、もう日本人からは注目の的である。

英語学習で大事なのは、今やスマホで翻訳ができそうな日常会話などではなくて、英語文化の古典を原文で読むことだと著者は言う。その一例として挙げられているのが、キング牧師の「I have a dream」演説である。

すごく公文と相性が良い。

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