トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2012年05月

「新・人体の矛盾」の「11 オトガイの謎」を読みました。(小林教室収蔵

お年寄りが「オトガイ」と良く使うので方言だとばかり思っていました。解剖学で出てきたときにはビックリ。

でも、この章はオトガイが主役という感じではなくて、進化の過程でヒトが失ったものと獲得したものを総括しています。オトガイは獲得したものの中のひとつ。

そんなわけで、今回は失ったものの方を並べていきたいと思います。自分的には、「優しい心」とか「ゆったりした生活」を挙げたいところです。詳しく知りたい場合は本書をご覧下さい。

尻尾。もともと長い尻尾を持っていたが、樹上生活のとき腕でぶら下がって移動するようになってから、無用となり退化した。つまり、二足歩行になる前から退化していた。尾骨は現在、肛門を固定する役目を担っている。

足の母指対向性。二足歩行には、都合がいい。

ヒゲ。感覚毛。

歯の退化。噛み合わせた時に犬歯が入る歯の隙間。歯根の数が減少。

顎骨の短縮。上顎骨と前上顎骨が融合。下顎骨の「サルの棚」(舌の筋肉が付着する骨の隆起)。

肋骨が一本減少。

耳介の退化。

色素の減少。

尻だこの消失。

陰茎骨の消失。

嗅覚や聴覚の退化。

《つづく》

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くもんのすいせん図書(Dの13番)「野尻湖のぞう」を読みました。(小林教室収蔵

「人体の矛盾」と同じ著者です。

野尻湖の位置や大きさなど、具体的な数字で表されています。発見や発掘が行われた日付、発見された物の数や大きさも、数字が明記されています。発掘された物もしっかりスケッチされています。

客観的なデータから、根拠を述べた上で、推論を立てています。

優しい絵が描かれた絵本ですが、非常にしっかりした理科の本だと思います。

発掘に携わった人々の内訳も、グラフが描けそうなくらいきちんと数字が出ています。

あとがきには、これからの発掘に参加したい人のために、連絡先まで明記してあります。

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「ちょうどの学習×ちょうどにする指導」の「はじめに」を読みました。(小林教室収蔵

「現代ソフィスト伝」の村田一夫氏の御著書です。公氏没後の公文式…という形で、大河小説の続きのようです。バッチリつながっています。

創始者公文公氏の逝去。時代もまた大変革の予感…というか、世紀末!
《以下引用》
こうした危機的な状況に、長崎県佐世保市で公文式教室をいとなむ斉田美保先生が声をあげられました。「指導について勉強したい人だけ集まりましょう」、1999年5月のことです。九州の全県から先生方が集合されました。わたくしはそのときの先生方のやや緊張した、それでいて、なにかに突破口を見出したいという切実な表情をいまでも忘れません。

一ヶ月に一回のわりで、各地から早朝に出発された先生方はほぼ終日、熱心な討議に没頭しました。帰りの電車やバスのことも気になりますが、話し合いはなかなか終りません。ときにはげしい意見がとびかい、ときに心痛なる反省の弁も出たりしましたが、形やメンバーは変化しつつも、今日まで十有余年の月日を経過しました。
《引用終わり》

この本は教育一般について参考になると思われるけれども、公文式をテキストとして書いてあるので、「公文式とは」という概略が前提として必要になります。現行の公文式を知っている場合でも、教室によって異なるところがありますので、村田氏が前提とする公文式とはどんなものかを書き写したいと思います。

〈公文式の教材〉
A5版プリントの表裏に問題を配し、この1枚を10枚ノリづけにした1冊を単位に、これを20冊にまとめて1学年分の教材としている(つまり、1教材は20冊、1〜200の番号のついた200枚のプリントが一学年分の教材)。教材にはアルファベットがついていて、A教材が小1、B教材が小2…F教材が小6…G教材が中1…J教材以降が高校生用の教材である。このA教材の下には2A・3A・4Aと幼児用がつづく。教科は数学、英語、国語で、最終教材はいずれも高校レベルになる。

〈指導法〉
教材指導は『指導についての留意事項』にのっとる。この『留意事項』には指導原理として以下の記述がある。

(1) 指導の目標…入会後1年以内に3教材以上進めて学年に追いつかせ、その後は年間2教材以上進める。したがって通常なら入会して1年後から学年を越えた学習に入り、2年後には1学年分以上、学年を越え、3年後には2学年以上先の教材を学習することになる。

(2) 出発点決定と見通し…学年別にある「学力診断テスト」をつかって、「40人中何番」程度の学力であるかを見定めて、この結果から学習の出発にする教材と見通しを決める。「40人中何番」とは生徒の学力の実態を示す目安である。『留意事項』には、この「40人中何番」を見分けるための表と、学力ごとの学習の見通しを示す「進度モデル」があり、これを参考にして生徒の指導をおこなう。

(3) 学習枚数…教室は週2回、これ以外に家庭での宿題をおこなう。この両方をあわせて、月間で60〜140枚程度の学習枚数を維持するように努める。1回の学習では、数枚から10枚程度をおこなうのがふつうである。

(4) 復習…1枚の教材(プリント)を訂正もふくめて100点にしあげるまでの時間をはかる。教材ごとに定められたこの「標準完成時間」を学習の復習基準にする。「標準完成時間」をクリアできていれば学年にかかわらず先に進むが、クリアできていない場合は、また前にもどって教材の復習をおこなうことになる。

《つづく》
《「現代ソフィスト伝」から読む》

たいえん:LU09(肺経 兪土穴 原穴 八会穴・脈会)

〈取穴〉:手関節前面横紋の橈側端の陥凹部で、橈骨動脈拍動部に取る。
〈標準〉:手関節前外側、橈骨茎状突起と舟状骨の間、長母指外転筋腱の尺側陥凹部。

〈筋肉〉:

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:外側前腕皮神経。

〈血管〉:橈骨動脈

〈主治〉:咳嗽、喘息、発熱、無汗、咽喉炎、胸背痛、手掌熱、腕関節障害、無脈症。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉前斜角筋中斜角筋

参考文献1「経穴マップ」

4月27日に今年度最初の保護者会総会が終わり、会長職も御役御免になりました。ホッとしております。

細々とした大変な役目は全部妻がやってくれました。私が頑張ったのは、スピーチとDVD作成です。

スピーチは、堅苦しいのが苦手なので、自分の言葉で話すことにしました。それは賛否様々だったと思いますが、自分として頑張った部分だったので、このまま忘れてしまうのも嫌だな思い、ここに記録しておくことにしました。

今回は、卒園式です。


良い子の皆さん、今日はご卒園おめでとうございます。そして、保護者の皆さん、今日はお子さんのご卒園おめでとうございます。

思えば、いろいろなことがありました。大きなことでは大震災、最近のことでは2月2日の大雪が挙げられます。しかしながら、どんな時でもこのひがしね幼稚園は子供たちにとって温かくて楽しい場所でした。それは、先生方の機敏で適切な対応があったからだと思います。ありがとうございました。

先ほどから、この会場の一番良い場所で、皆さんが修了証書を受け取る姿を一人一人見ていました。みんな、とっても立派でした。私は嬉しくて、涙をこらえるのが大変でした。これならば、4月から小学校に行っても大丈夫です。新しいお友達を見つけて、また楽しく頑張って下さい。

最後に、ひがしね幼稚園の益々の発展を祈念いたしまして、祝辞と致します。本日は本当におめでとうございます。


昨年の長女の卒園式に続いて2度目。去年と同じにやればいいやというような、若干投げやりな気分で、気持ち的には全く無防備で臨んだ卒園式でした。

午前中は、神町幼稚園の卒園式を見ています。それに比べるとホールは古くて狭い。でも、それは悪いことばかりではなくて、建物が自己主張しない分だけ子供たちに目が行くのでした。そして、子供たちとの距離も近い。一人一人の表情がとてもよく見えます。

修了証書授与。園長先生から手渡されるとき、子どもたちはちょうど私が座っている席の方を向く位置関係にありました。そして、一番最初に貰った卒園児が、名前を呼ばれた時に「はい!」と大きな声ではっきり返事をしました。しかも、渡された時に「ありがとうございました!」ととても立派に言ったのです。会場は、その素晴らしさに、反射的に拍手をしました。

二人目の卒園児も同様でしたので、一人一人に会場が拍手するという形が出来上がりました。この「ありがとうございました!」も、会場の毎回の拍手も、想定外のことでした。指導にあたった先生も驚いて、内心ドキドキされていたそうです。

これで、すっかり私も参ってしまいました。3年前、落ち着きのない頼りない子供たちがこんなに立派になった。感動の涙がこぼれそうで困りました。

祝辞の後半部分は別のことを話すつもりでいましたが、余りに嬉しかったので上記のように、どうしても言いたかったのでした。

《つづく》

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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第二章 アウグスチヌス」を読みました。

肉体から開放されること仮我を死なせて無自己を実現するということ、この大死をここでは「外なる人の死」と呼び、その体験が書いてあります。

《以下引用》
では肉体の死ではない外なる人の死は如何にして可能なのであろうか。その一つの方法が永遠なるものの観想(contemplatio)である。観想は何よりも外なる人を離れ、自己の内側を見てゆく内的行為であり、多のうちに虚しくなった分散の状態から一なる神へ帰還することである。初めそこは様々な感情、思考、記憶が漂う巣窟、気狂いじみた混沌であるだろう。さらに観想を続けていくとやがてイマージュの流れは止まり、何もない暗き闇、スペインの神秘思想家が「魂の暗夜」と呼んだ無の空間に遭遇する。…

私は闇の中に完全に身を委ね、自己を放棄したならば外なる人の死の彼方に、不死なるものが達成されることをとつおいつ思ってみるが、まだ外なる人である私は、意を決してその中に飛び込んだなら、私は死んでしまうであろう。…

肉体の死とこの死の間に見られる相違は、前者が避けることのできない自然の死であるのに対して、後者は個々の人間が自発的・意識的に通過する死であることだ。そして、人はこの神の闇の中に自ら進んで入っていくのでなければ、愛なる神に出会うことはない。人は神の光を知る前に神の闇を知るのである。このような観想は深い孤独の中で、いわば生きながら死を体験する危険に満ちた神の試みといえる。…これを避けて通ることは、情欲(性愛)と死によって滅びゆく神なき悲惨なさすらい人として無限に生と死を繰り返す闇の世界の動物であり続けることだ。…

ここでわれわれは観想者が神の闇の中へ飛躍したと仮定しよう。…

神の闇の中で観想者は、何かとてつもなく大きな未知なるものと融合し始める。そして外なる人(自意識)が落ちる無為の瞬間、忽然と闇の中から一条の光が燦然と輝き出す(agnosia)。闇はすべて消え、突如として観想者は光に包まれ、至高の歓喜(エクスタシー)の中で私はいない。私(自意識)がいたらそこに歓喜はない(愛の体験)。…

「魂の目のようなものによって私が見たものはどんな光とも異なる不変の光だったのです。その光によって、不変なるもの自体を知ったのです」。この照明体験とともに観想者の魂の闇は一瞬消え去り、精神のまなざし(内なる眼)でもって神の不可変的な形相の世界を観照しているもうひとりの内なる人に到達する。そこでは観照者は、いわば神を映す雲りない鏡となっていて、観るものと観られるものが霊的に分かちがたく一つに融合している。…

観照者は、神の非形態的な光に照らされ、至高の歓喜の中にあって、すべてのものが神となっているのを明らかに観る。観想は、神の一瞥を可能にするが、それは文字通り一瞥であって、彼がこの名状しがたい甘美にいつまでもひたっていることはできない。彼は再び現実の世界へと引き戻されるが、神によって与えられた霊の初穂は朽ちることなく日々新たにされてゆくのである。…

外なる人には終りがあるが、神を懐妊した内なる人には終りがないのだ。「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」。
《引用終り》

神秘体験の実況という感じです。アウグスチヌスの『告白』を基にしているようです。抜粋してありますので、詳しくは本書を御覧下さい。

《つづく》

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「現代ソフィスト伝」の「あとがきにかえて」を読みました。(小林教室収蔵

サブタイトルが「さらば、公。さらば、公文式。」となっています。なかなか意味深…。

《以下引用》
しばらく経てば、ある人が公文式はこうだといい、また、別の人が公文式の価値はここにあるという時代がくる、公はこう言った。わたしはこの言葉を聞いたとき、それほど切実なこととは思わなかった。ところが、公がこの世を去って時間をおかずに、言うとおりの事実に出くわしたとき、思わずたじろいだ。
《引用終わり》

論語は孔子没後に弟子たちがまとめたものだと思います。仏典もそうだと思います。創始者の没後には、その人の生前の言を下に、預言者のようにふれまわる人たちが現れます。それぞれ遺志を継いでいるつもりでしょうし、それによる新たな発展もあるでしょう。もちろん、新たな混乱もあるでしょう。

《以下引用》
公亡きあと、公文教育研究会は、依然として、公文式のままだ。しかし、おまえはなにか仕事を残したかと問われたならば、返す言葉がない。わたしはまだ、公の墓前に立つ勇気をもたないが、公に対しての責任だけは果たしたつもりである。新しい一歩が踏み出せそうな気がする。

公がいだいた教育への責任は、はたして、これから以後も長く語りつがれていくのだろうか。わたしは少なくとも、公がわたしたちに残した宿題を現代のこの時代において、ほんの一歩の前進にすぎなくとも、築き上げていく考えでいる。
《引用終わり》

著者の村田氏にお会いしたとき、私はこの本を手にしてはいましたが、この文に出会ってはいませんでした。

村田氏が山形に滞在した一日半の間、文字通り寝食を忘れて、指導法に関する議論を続けていました。紅葉の季節に来ていながら、温泉宿に来ていながら、食事が出されているというのに、…この情熱は何なのか?

もちろん村田氏をもてなした我々も、一秒をも惜しんで彼の言に耳を傾けていたわけで、彼がそのような人でなかったら、かなり落胆したであろうけれども…。期待通り、いや期待以上の人であったがゆえに、鬼気迫るような情熱は何だろうと、私は思っていました。

村田氏が帰られる時、午前中の仕事を終えて戻った私は、彼が駅で独り新幹線を待っていると知り、何か一言でも多く言葉を頂きたくて、駅に行きました。ヘビースモーカーの氏を探すのは簡単でした。やはり、喫煙コーナーにいらっしゃいました。

もう一人の先生も私の後から駆け付けて、三人で新幹線の時刻まで、特にテーマの決まっていない話をすることができました。30分ほどの間。

私は尋ねてみました。「こんなふうで良かったんでしょうか…紅葉もきれいでしたのに」。「ええ、いいんですよ。このために来たんですから」。この答えも予想通りでしたが、『このため』の意味が上の文を読んで更によく理解できたような気がします。

真夜中、温泉宿の一室で、みんなと熱く語っているときに、「公文公は私の師匠ですから…」とおっしゃったのを今でも思い出します。この本を読んで、一人のソフィストの人生と、師弟関係、師への思い、その片鱗に触れさせていただくことができました。その師弟関係に羨望のようなものを感じながら、村田氏の鬼気迫る情熱も少し納得できたような気がします。

この大著を読んでいく過程で、少しずつ、私なりに「公文式とは…なのです!」ということを熱っぽく言い切ることができるようになってきました。村田氏から見たときに、それが何パーセント正解であるかはわかりません。

ただ、公文公氏にとっての公文式自体が変幻自在なもので、「子どもたちの成長」が何よりも大切なわけです。そのためならば、それまで築き上げたどんなに大きなものでも簡単に打ち捨ててしまう公氏でした。としたならば、「公文式」として正解であることには何の意味も無いはずです。

村田氏は、公氏を余り良い響きの無い「ソフィスト」と表現したり、公氏のやり方を「悪」の原理と表現したりしていますが、そこに公氏に対する悪意が無いことは明らかです。この皮肉めいた表現をすることにより、公氏が神格化されることを防いだのではないかと私は思っています。

正統な「公文式」という全く意味のないものを追い駆けて、最も大切な「子どもたちの成長」が置き去りにされることを防いだのではないかと。

公氏が生涯持ち続けた「自由」を公文式の指導者たちが失うことを最もおそれているのではないかと。

《最初から読む》
《「ちょうどの学習」を読む》

けいきょ:LU08(肺経 経金穴)

〈取穴〉:太淵の上1寸、橈骨動脈拍動部に取る。
〈標準〉:前腕前外側、橈骨下端の橈側で外側に最も突出した部位と橈骨動脈の間、手関節掌側横紋の上方1寸。

〈筋肉〉:腕橈骨筋腱。

〈運動神経〉:橈骨神経。
〈知覚神経〉:外側前腕皮神経。

〈血管〉:橈骨動脈

〈主治〉:咳嗽、喘息、発熱、無汗、咽喉炎、胸背痛、手掌熱、橈骨神経の知覚障害。
〈特殊〉:解熱発汗作用。

〈関連痛領域〉前斜角筋中斜角筋

参考文献1「経穴マップ」

「新・人体の矛盾」の「10 大脳皮質は考える」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
もっとも人類的な発達をとげているのは、前頭前野とよばれる前頭葉の前端部分である。この領域では、動機づけや概念的課題の遂行、集中力などといった高度な脳活動と、ふかいかかわりがあるものと考えられている。この領域が高い意識レベルをうみだし、目の前にあるものばかりでなく、これから作ろうとするものの視覚的なイメージを構成することができたり、さらには抽象的な概念の構成にあずかるもの、とみられている。
《引用終り》

これまで、このブログでも前頭前野については触れています。爆問エチカの鏡などテレビでも取り上げられていましたし、川島隆太先生も一時期は時の人でしたから、さぞ新しい研究成果だと思っていたのですが、井尻先生の時代から知られていたことなんですね。

《以下引用》
…ヒトの大脳皮質の発生のようすをみると、これらの言語野や前頭前野など、人類になってはじめて出現した領域は、その脳細胞の構築がもっともおそくなり、小児期に、やっとはじまるのである。このなかでも、運動性言語野の構築がはやく、つづいて聴覚性言語野、前頭前野の順に発達してくる。この順序性は、歴史的な大脳皮質の発達の順序にほかならない。
《引用終り》

人の人足り得る部分は小児期に形成が始まる…これは「頭のデキは生まれた時から決まっている」という意見が間違いであることを示しています。つまり、幼児教育が重要であることにほかなりません。

幼児とは逆の、成人の生活習慣病に関して、興味深いことが書いてあるので、最後に引用しておきます。

《以下引用》
ヒトの脳の大化には、別な側面からの限界性を指摘する学者もある。それは、脳の混乱した血管系が脳に制約をくわえている、という考えである。一般に脳をふくめて外胚葉からつくられた器官は、表皮を典型とするように、血管の侵入が乏しく、血管系の構築が原始的な状態にとどまっている。人類の急速な脳の大化には、血管系の発達がおいつかず、脳血管の障害が頻発する原因となっている、と考えられる。したがって、脳のこれ以上の発達は、血管系の改善なしにはありえないわけである。
《引用終り》

《つづく》

L教材の200番まで終わりました。

『蘇軾』も高校の漢文で習ったような気がします。教材に引用してある「赤壁懐古」だったような…。当時は三国志を知っていたかどうかも定かでありません。それほどに冷めた気持ちで授業を受けていたようです。

私にとっては「三国志」と言えば、NHKの人形劇です。


諸葛孔明や劉備玄徳も、周瑜や孫堅も、浮かぶイメージは川本喜八郎さんの人形です。

最近では、映画「レッドクリフ」があります。


問題を解いている間、頭の中ではレッドクリフのテーマが繰り返し流れていました。

『蘇軾』に戻りますと、この時代(宋代)は詩経的楽観を回復しているとのこと。

『李商隠』は記憶にありません。ただ、「国の大事より、恋人の方が大切」というような色艶があって、こういう詩の方がいいですね。

時代は晩唐ですから、宋代から前後してます。

これまでの詩人は、たいてい科挙を受けていて、運良く官吏になった場合でも勢力争いに巻き込まれて左遷され、不遇の中、年老いて髪が抜けることを嘆くというパターンが多かったような気がします。科挙を受けているので儒教の世界からも抜け切れていない。

晩唐に至ると、この儒教的な雰囲気が官僚の中でも変化してきていたようで、政治的な風向きの変化が李商隠の詩の中にも感じられる…というようなことが解説に書いてあります。私もそう感じます。

これまで恋人のことを、こんなに熱く詠った人は居なかったように思います。日本の古典文学に近いものを感じます。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-200〕

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