トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2012年02月

「つながっているアルバム」に使用する写真の加工が終わりました。子どもたちの名前入り写真48枚、クラスごとの写真が5枚×2、先生方の名前入り写真20枚とメッセージカード20枚、タイトル2枚を入れてちょうど100枚でした。

試しに「きみのママより」をBGMにして、100枚のスライドショーをDVDに焼いてみました。たった5分程度ですが、結構ディスクを使ってる感じ。ちょっと不安が残ります。

テレビで見てみました。凝視すると輪郭が少しボケてますが、何とか許せる範囲内の画質だと思います。DVDに収まらなくなって、更に画質を落とすようなことが無いよう祈るばかりです。

あとは、年少・年中・年長それぞれの写真を、今週いっぱい、時間の許す限り作り続けます。

(2012/2/21記)
《つづく》

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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「2、自分から学ぼうとしない(1985〜1988)」の「4 教材が高くても自習できる方法、六項目」を読みました。(小林教室収蔵

ある指導者から、質問が出されました。

《以下引用》
…この問題の裏には、公文式は長く続ければ続けるほど、教材進度が上がれば上がるほど、自習ができなくなっていく、学習を始めたときには、こうではなかった、親が言わなくても、一人でやっていたのだ。それが今では、言ってもやろうとしない。学習枚数も減った。まさに公文式にとって致命的な質問である。長く学習すれば、自習力が落ちる。先に進めば進むほど、自分からしようとしない。子どもたちは、いつもやらされている、と感じている。そして、やめていく。

この質問に答えられないようでは、公文式に将来はない。逃げていれば、いつまでも根本的な解決法は見つからないし、今後の指針も立たない。たった一人でも教室で指導がうまくいかない生徒がいれば、正面からこの生徒の問題を解決していくしかない、これが教室という現場である。いろいろな雑事をつくって、問題を忘れようとしても、問題がなくなるわけではないのだ。

公は思う。いつもやらされている、という感覚。しかし、教育はやらせるものではないのか。どうあろうと、教育はやらせるのだ。コーチの言うことに、やろうと思ったら、やります、こう答えたプロ野球の選手がいたという。なるほどと思っても、ここに教育はない。

教材が進み、未知の問題にぶつかってもなお、生徒が自学自習で学んでいく、まさに、やらされているという思いを上回る自学自習力の存在がこの問題をけちらす。公文式教育の値打ちがあるとして、それはこの生徒自身の雄雄しい自習力に賭ける点にある。
《引用終わり》

この本質的な質問を受けて、指導者に6つの注意を与えました。

 峩戯犖Φ罎禄淑やっているか」
一つ一つの学習課題は、そこにたどりつくまでの前提となる知識と、その学習課題のあとにつづく問題との間にある。これまでにやったどのプリントの内容が理解できていないか、ここがわからないと今後どの教材で再びつまづくことになるか、を即座に指摘できるように指導者はなるべきである、ということのようです。

◆屬修寮古未どんな問題ができないかを、きちんと把握しているか」
どんな問題ができないか、どんな知識の定着がないからその問題ができないのか、が(指導者は)分かり、必要と思えば新しい単元に入る前に関連箇所を復習させることもできなければならない。

「親と子どもに対して、十分な話し合いができているか」
公文式が目指しているのは、単に正解か不正解かという指導ではなく、自習で進む力をつけさせること。これを理解していただいているかどうか。

ぁ屬修了劼旅餮賣呂どのくらいあるかをつかんでいるか」
国語力の欠如が、足を引っ張っていないか、を見てあげる。

ァ崑召龍飢覆凌陛戞λ膺瑤両況を正確につかんでいるか」
一教科だけでなく、他の教科の進度や枚数の状況を把握し総合的に判断できているか。

Α嵜陛拜蠹の教科書を渡しているか」
J教材に入ったら数1の教科書を持たせ、生徒の関心と誇りを高めているか。「Eの前のE五冊」の読書指導をやっているか。

以上、私なりにまとめてみましたが、詳しくは本書をご覧ください。

《つづく》

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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第六章 自己認識と神認識」を読みました。

《以下引用》
このように自己を認識するものは、自分がどこから来て、どこへ行くかを知っている。彼は酔いしれており、酔いから醒めた者のように自己を知るのである。彼はおのれに帰って、自分のものを整えたのである。(『真理の福音』)

…この真の自己に目覚める時、夢から覚めれば、夢はすべて消え去るように、これまであなたが見ていた幻影の世界はそこにはなく、あなたは視力を回復したかのように世界を新たに見ることになる。つまり、真の自己に目覚めることと真の知識(真理)に目覚めることは同時なのだ。私が真の自己を知ることが宗教であると言うのもそのためであるが、今日、いかがわしいものの代名詞のごとく思われている宗教という言葉を持ち出すことに、私自身あまり気が進まないが、ともあれ、宗教を自己認識への道とするならば、そこに東洋と西洋の区別もないことだけは言っておかねばならない。しかし、宗教を快く思わない能天気な人はそんな世界などありはしないと言うだろうが、違うのだ。今のあなたである限り、決して見えてこない世界であるからこそ、宗教は自己認識への道、分かり易く言えば、今のあなた(仮我)から真のあなた(真我)に至る道を説くのであり、そのためには外に向かうのではなく、自己自身に帰り、自己の内なる真実を整える必要があるのだ。
《引用終わり》

ここの文章は真我に目覚めることに関する記述なわけですが、「宗教を自己認識への道とするならば、そこに東洋と西洋の区別もない」という指摘がいいですね。

真理に宗教の別も無いはずだし、宗派の別もないはずだし…。真理を言葉に翻訳する過程での違いはどうしても生じるでしょうから、それを由来と見なせる範囲での相違は許容されるでしょうけど。

この辺りの視点を、可藤さんからしっかり吸収したいと思っています。

《つづく》

「新・人体の矛盾」の「8 毛根をさぐる」を読みました。(小林教室収蔵

ヒトの体の表面は死んだ細胞で覆われている…という言い方をするとゾッとしてしまいますが、表皮をはじめ体毛も爪も死んだ細胞なのだそうです。今回の主役は体毛です。

毛と同様に皮膚を覆うものとしては、爬虫類のウロコと鳥類の羽毛があります。発生過程から比較すると、いずれも表皮(上皮)と真皮(間葉)の両者で作られます。しかし、最終的にはウロコと羽毛には真皮性の要素が含まれるけれども、毛には表皮性の要素しか含まれないそうです。

このことから、羽毛はウロコが変形してできたものと考えられるが、毛はウロコとは別物らしい。その状況証拠として挙げられるのが、ネズミのしっぽ。ネズミのしっぽはウロコで覆われており、ウロコの後ろに3本1組で毛が生えているのだそうです。

子どもの頃、ネコが食べ残したネズミのしっぽを観察したことがあるのを覚えています。哺乳類らしからぬ物体だと思ったのですが、やはりウロコだったんですね。でも、その間にまばらに毛が生えてたことまでは覚えていません。

ところで、ヒトが持っていない感覚器官としての毛、すなわちネコなどに見られるヒゲがあります。構造や発生の仕方は毛と同じなのですが、やはり体毛とは区別すべきです。

爬虫類のワニやオオトカゲの上顎の皮膚には、俗に「ニキビ」と呼ばれるウロコがあって、触覚と熱を感じる働きがあると考えられるそうです。ヒゲとの関連を指摘できるような材料はないようですが、非常に類似点があるそうです。

《つづく》

卒園児48の写真に名前を入れました。

「思い出アルバム」には、一人づつ撮影した写真に名前を入れたスライドショーが入ります。幼稚園で撮影していただいたものをSDカードの形で受け取りますが、当然名前と顔は一致しないので、娘に鑑定してもらうことになります。「これは、えーっと、苗字はなんだっけな」とか、不安なコメントをしながら48人の名前を教えてくれました。

間違いは絶対に許されないので、プリントして先生に確認して頂きました。結果、100点でした(笑)

今年度は「つながる」という言葉を行事を行うごとに噛みしめることになり、このスライドショーも「つながっているアルバム」というタイトルで、みんなとのつながりを感じられるような画面構成にしようと思っています。

BGMは下の曲を選びました。2年前の「思い出アルバム」にも使われているようですが、聞く度に涙してしまう温かさと、親ならば誰でも抱くであろう我が子へのメッセージが込められているので、この曲しかないという気持ちで選ばせて頂きました。



(2012/2/17記)
《つづく》

この度、大雪が降りまして、突如雪はき作業を連日続けなければいけなくなったわけですが、こういうときに痛くなるのが今まで使ってなかった筋肉です。いわゆる筋肉痛ならまだいいのですが、攣ったように筋肉が硬くなって、とても痛くて動けない状態になることがあります。

パソコンの停止状態として、スリープとスタンバイというのがありますが、筋肉にも似たようなことが言えるんじゃないかと思います。

日頃よく使う筋肉はスタンバイ状態になっていて、いつでも運動神経からの指令があると動ける状態。一方、日頃あまり使わない筋肉はスリープ状態になっていて、運動神経からの指令があってもすぐには動かない状態。

いつもしなかった動作を突然やると、このスリープ状態の筋肉が急に動かざるを得なくなってトラブルが発生するんじゃないかなと思います。

○○筋という筋肉のまとまりで、スリープ傾向とかスタンバイ傾向とかがあるでしょうが、筋線維ごとにも違うようです。

人でもこういう違いがありますね。「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」という言葉があるそうですが、反応がすぐ返ってくるスタンバイ状態の人に頼んだ方が、反応が鈍いスリープ状態の人に頼むよりも(いくらスリープ状態の人が暇だったとしても)早いということです。つまり、「さあ、すぐに動くぞ!」という指令が運動神経から来ても、すぐに動く筋線維と、なかなか動き出さない筋線維とがあるらしい。

筋トレをすると、すぐに筋力はアップするらしいのですが、筋肉がつくまでには数カ月かかるそうです。だから、筋トレしてすぐの筋力アップは、スリープ状態の筋線維が減ってスタンバイ状態の筋線維が増えたということです。

冒頭に書いたようなことを防ぐためには、筋肉全部を日頃から使う努力をして、スタンバイ状態の筋線維を一本でも増やすこと、これが大事だということになります。

《つづく》

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K教材の200番まで終わりました。というか、K教材終了です。『玉勝間』が、公文教材の古文のトリということになります。

本居宣長は国学者ということですが、その思想は哲学の本にも引用されるほどで、世界に通用する哲学者ではないかと思います。

引用部分では、手当たりしだいに本を読みあさって、契沖を書物の上での師としてその著書を次々に読破したことなどが描かれています。それは、日本の文化に心酔し傾倒していく姿でもあります。

読書による自学自習という点でも、これまでJ・K教材を通して俯瞰してきた古文学習のまとめとしても、とてもふさわしい題材だと思いました。

【グラス片手に大人の公文】国語〔K-200〕

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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第五章 真知の覚(グノーシス)」を読みました。

《以下引用》
仏教に少し慣れ親しんだ人なら「真知の覚」が無著の『摂大乗論』で説かれるキー・タームであることを知っているだろう。なぜ私が敢えてこの言葉を『トマスの福音書』の副題として選んだかを言えば、グノーシスとは本来、真の知識に目覚めること、すなわち「真知の覚」という意味であるからだ。
《引用終わり》

唯識や『摂大乗論』については少し勉強しましたが、「真知の覚」という言葉は知りませんでした。まだまだ勉強不足ですね。

《以下引用》
…真知に目覚め、本源(プレーローマ)へと帰り着いたものは、世界は変わらないのに、盲人(人間)が視力を回復したかのように世界を新たに見ることになる。…

欠乏が起こったのは一者(父)が知られなかったためである。だから父が知られれば、その瞬間から欠乏はもはや存在しないだろう。ある人の無知は、闇は光が現れれば消え去るように、その人が認識すれば直ちに消え去る。そのように、欠乏も完全の中に消え去るのだ。この瞬間から姿形が見えなくなり、一者との融合の中に消え去るであろう。今は彼らの業が同じく残されているのだ。しかし、やがて一者が場所を満たすであろう。一者の内にそれぞれが自己を受け取るであろう。知識の内に彼は自己を多様性から一者へと浄化するであろう。彼は物質を炎のように呑み込むであろう。そして闇を光によって、死を命によって呑み込むであろう。(『真理の福音』)
《引用終わり》

「真知の覚」について無著はどう書いているか、見てみましょう。

《以下引用》
もし覚時において、一切の時処に、みな夢等の如くただ識(こころ)のみありとせば、夢より覚むればすなわち夢中にはみなただ識のみありと覚するが如く、覚時には何故にかくの如く転ぜざるや。
真知に覚めたる時は、またかくの如く転ず。夢中にありてはこの覚は転ぜず、夢より覚めたる時、この覚すなわち転ずるが如く、かくの如くいまだ真智の覚を得ざる時は、この覚に転ぜず。真智の覚を得れば、この覚すなわち転ず。(無著『摂大乗論』)

夢から覚めるように、どうして虚妄の世界(現実)から目覚め、真実の世界を知ることができないのでしょうかという問に対して、あなたが真の認識に達していないから、と無著も答えている。…

このように、真知の覚とは、われわれが真の認識に達するとき、いわば現実という虚妄の世界が消え去るとともに、その後から真実の世界は立ち顕れてくる、そんな体験をいうのだ。それを宗教的に覚醒の体験というが、荘子が「大覚」と言ったことはその意味をよく表している。しかし、何よりも銘記しておかねばならないことは、われわれが確かなものとして捉えているこの現実が、虚妄(仏教)、幻影(グノーシス)、大夢(タオ)であるからこそ、真実の世界に目覚めるということがあるのだ。
《引用終わり》

要は「悟り」ということでしょうが、いろいろな宗教や思想で共通点があるということは興味深いです。

《つづく》

きょうかん:GV18(督脈

〈取穴〉:後正中線上で、脳戸の上1寸5分に取る。
〈標準〉:頭部、後正中線上、後髪際の上方4寸。



〈筋肉〉:帽状腱膜

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:大後頭神経

〈血管〉:後頭動脈

〈主治〉:後頭痛、頭重、めまい、テンカン。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」

先生方の写真と、先生方から卒園児へのメッセージが届きました!

メッセージは、昨年同様、直筆のものをスキャナーで読み込んで映像に組み込みます。今年は、色鉛筆などでカラフルに染めて下さっている先生が多いです。一枚一枚、スキャナーにかける時に読みますが、あたたかいメッセージにジーンとしております。

今年は、雪はきなどにも追われ、作業も遅れ気味ですが、ここのところ降雪も落ち着いているようです。また、降り出す前に一気に進めたいと思っています。

(2012/2/13記)
《つづく》

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