トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年12月

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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第一章 危ういかな人間」を読みました。

老子によれば、上士、中士、下士という区別があるようです。これは、坂本竜馬の時代に土佐藩で見られた武士内部の階級とは当然関係が無いようです。

《以下引用》
上士は道を聞けば、勤めてこれを行う。中士は道を聞けば、存するがごとく、亡するがごとし。下士は道を聞けば、大いにこれを笑う。笑わざれば以て道と為すに足らず。(『老子』)

これまで私が「言わずもがなの繰り言」を書き連ねてきたのは、もちろん「上士」のためではない。…いわんや、嗤って聞く耳を持たない「下士」を相手にしているのではない(そう言えば、イエスは繰り返し「耳あるものは聞け」と言っていた)。…私の繰り言は道(真理)があると聞いても、もう一つしっくりと理解されず、ややもすれば挫けそうになる「中士」に向けられている。
《引用終わり》

密教の「密」も、下士にとっては秘密(言っても通じない)という意味のはずです。

《以下引用》
イエスが言った、「私はこの世の只中に立った。そして、彼らに肉において現れ出た。私は彼らが皆酔いしれているのを見出した。私は彼らの中に一人も渇ける者を見出さなかった。そして、私の魂は人の子らのために苦痛を受けた。なぜなら、彼らは彼らの心の中で盲目であり、見ることがないからである。彼らは空でこの世に来、再び空でこの世から出ようとしているかである。しかし今、彼らは確かに酔いしれている。彼らが彼らの酒を振り切ったときに、そのときに彼らは悔い改めるであろう」。(『トマスの福音書』28)
《引用終わり》

酒池肉林の宴会の如き下士の人生。「酒の席で堅い話はやめろよ」と言って戯言に明け暮れるのが酒宴のルール。酒に酔いしれて、盲目であり続けようとする。

酒はもちろん例えですね。でないと、アル中の話になってしまう。

彼らが見ようとしないものとは…

《つづく》

しんちゅう:GV12(督脈

〈取穴〉:第3胸椎棘突起の下に取る。
〈標準〉:上背部、後正中線上、第3胸椎棘突起下方の陥凹部。



〈筋肉〉:棘上靭帯、棘間靭帯

〈交感神経〉:涙腺,心臓,気道・肺。
〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:胸神経後枝

〈血管〉:肋間動脈背枝

〈主治〉:発熱、頭痛、動悸、不眠、咳嗽、喘息、背筋痛。
〈特殊〉:小児の養生保健穴

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」

娘たちが冬休みに突入し、コタツが混んできました。コタツを開けると異臭…ということになると、大気汚染が問題になります。

2011/12/23 09:14:50
コタツでオナラ…温室ガス問題について家族会議中。


「臭いのはするな!」ということになります。(温室ガス問題勃発)

「私はまだしてないからいいでしょ?」という意見も出ます。(排出枠の議論)

「ママがしてない分、してもいいでしょ?」という意見も。(排出枠の取引)

しかし、結局、自分の立場しか主張せず、結論は持ち越し。

うちの娘たちも国際会議(COP)と同じレベル。うちの娘たちのレベルが高いのか、世界のレベルが低いのか…。

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K教材の70番まで終わりました。

『平家物語』と『海道記』を読みました。今回も鎌倉時代の作品です。

『平家物語』は、冒頭の部分しか分かりません。そして、「仏教」「無常感」というイメージしかありません。でも、引用されている小林秀雄氏の『無常という事』という文章では、このイメージは誤りではないかと指摘しています。『平家物語』は平家衰亡の叙事詩であり、無常感があることは否めないが、それがメーンとは思えない。これは、ビックリでした。

以前、インドに行ってきた方から「祇園精舎に鐘は無いんですよ」と教えていただき、とってもビックリしました。それと同じくらいのビックリ。祇園精舎がらみのビックリです。勝手に抱いたイメージは、まさに無常。風の前の塵のごとくすぐに消え去ります(笑)

『海道記』は、初めてお会いした古典かもしれません。難解でとっつきにくいけれども、格調の高い文章で、京都では鎌倉を憎み京の文化を誉め、鎌倉に来ては鎌倉の文化を誉めるという内容だそうです。実際難解なのでよく分かりませんが、鎌倉時代にこんなインテリがいて、素晴らしい文章を書いているというのは、日本人として誇りに感じます。

【グラス片手に大人の公文】国語〔K-070〕

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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第一章 危ういかな人間」を読みました。

《以下引用》
イエスが言った、「もし彼らがあなたがたに、『あなたがたはどこから来たのか』と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。その光は自ら生じたのである。それは自立して、彼らの像において現われ出た』。もし彼らがあなたがたに、『それがあなたがたなのか』と言うならば、言いなさい、『私たちはその光の子らであり、生ける父の選ばれた者である』。もし彼らがあなたがたに、『あなたがたの中にある父のしるしは何か』と言うならば、彼らに言いなさい、『それは運動であり、安息である』と」。(『トマスの福音書』50)
《引用終わり》

この問答はどんどん核心に迫っているわけで、最後のQ&Aが最も重要な気がするんですが、回答の意味が分からなくてズッコケます。

「光」というのも何なのか。ビッグバンのことを意味するのか。何も答えにはなっていない。私たちが来たところは「光」という名前を与えられたけれど、ブラックボックスであることに変わりはない。

それは後の展開を待つとして、ここでは以下の指摘が重要です。

《以下引用》
…つまり、人間は原初の光から自然に形(像)をとって現われてきたというのだ。仏教はそのような生成の仕方を胎生や卵生と区別して化生と呼ぶ。そして、イエスひとりが神の子ではなく、われわれもまた神の子であり、あらゆるものがその源泉である神から自然に生じてきたということだ。しかし、伝統的なキリスト教はこのような思想を彼らの教義の基本に悖る不遜として、決して容認しないだろう。

「永遠なる父はわれわれが同じ神の子であることを教えようとしている」という考えを持っていたエックハルト(1260-1327)が異端の疑いをかけられ、弁明に勤めたにもかかわらず、彼の死後、異端として断罪されたように、『トマスの福音書』がイエスのアポクリュフォン(隠された言葉)として歴史の表舞台から秘匿され、埋蔵される運命を辿ったとしても何の不思議もない。
《引用終わり》

大乗仏教を信仰する人は、将来は仏となることを目指す菩薩という立場に自動的になります。宗派によっては即身成仏まで唱えています。ここに仏教の救いの一つがあるように思います。それに対して、キリスト教では、神と人間の間に絶対に越えられない境界があることになっています。

しかし、神と人間の間に絶対的な隔たりがないという考え方がキリスト教にもあったとしたら、大乗仏教の中に見出せる光明をキリスト教の中にも見出せることになります。『トマスの福音書』はキリスト教のその「光」の部分なのかもしれません。

その「光」が、暗い箱の中に封じ込められていた…。

私自身、キリスト教には途轍もなく暗いイメージを漠然と感じています。これはクリスチャンの方々には不愉快かもしれませんが、私の勝手な感覚として、御勘弁下さい。

一番象徴的なのは十字架。要するに処刑台なわけです。それを祭壇の上に高々と掲げ、蝋燭で照らして、皆で拝む…原罪に苛まれ、近寄ることの許されない「神」としてひたすら拝む…現代のストレス社会で、キリスト教ではどうしても救われずに、仏教を信仰し始める人々が欧米にいると聞き、何となく納得できる思いがしました。

『トマスの福音書』が明かすイエスのアポクリュフォン。これがキリスト教に取り込まれていたら、その人々は改宗することもなかったかもしれません。

《つづく》

はたから見ると何もしていないように見える筋トレというのを考えました。まあ、大した新発見でもないので、誰かが考えているかもしれないのですが…。

一番有名なのは、仏様を拝むみたいに胸の前で両手を合わせて、グーッと押すという筋トレ。はたから見たら、どのくらい力が入っているかは分かりません。でも、目いっぱい力を入れれば、かなりの筋トレになるはず。毎日やっていれば、だんだん力がついてくるから、どんどんすごい筋トレになるはず。

そのまんま筋トレは、これをさらに発展(後退?)させたものです。今やっているポーズ、そのまんまで、なるべく全部の筋肉に力を入れるのです。そのまま石になるというイメージ。誰かに体のどこを押されても動かない状態、これを目指すのです。

そして、十秒とか経ったら、スーッと力を抜く。このとき、完全に脱力して床に崩れてもいいですし、周りの目が気になるならポーズは本当にそのままで、ただ要らない力を全部抜く。

これに慣れてきたら、歩いているときとか、日常的な動作をしているときに、要らない筋肉にも力を入れてみましょう。これをやると、ロボットみたいな動きになりますが、結構息が上がってきて体も温かくなります。

極端な話、何をしながらでもできる筋トレです!

これは日頃あまり使わない筋肉を使うことになります。どんな筋肉か列挙しますと、首の前側の筋肉(胸鎖乳突筋など)、胸の筋肉(大胸筋など)、上腕部は振袖になる筋肉(上腕三頭筋など)、腹筋(腹直筋など)、太腿の内側の筋肉(長内転筋内側広筋など)。これらの筋肉を意識して力を入れると効果的でしょう。

《つづく》

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先日、遅刻して受験した認定テストですが、合格しました。

楯、届きました。これで、中学課程の楯が3つ揃いました。



次は高校課程。

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くもんのすいせん図書(Aの49番)「ジャックと豆のつる」を読みました。(小林教室収蔵

「ジャックと豆の木」じゃなかったかな…と思いつつ、開いてみるとビックリするのが登場人物の絵です。頭が爆発している!

牛一頭と豆粒5個を交換してきたジャックをお母さんが怒るのはいいとしても、ほっぺたを3発はひどい。お母さんの絵がホームランをかっ飛ばした後みたいな恰好になっているので、よほど痛かったことでしょう。

雲の上にいる人食い鬼の絵もスゴイです。寝息が竜巻になってます。

話の内容は憶えていると思っていたんですが、細かいところは忘れているものです。金貨とか、金の卵を産む鶏だとか、金のハープとか、忘れていました。やはり、3回繰り返すものなんですね…。

もう、すっかり頭に入っていると思いこんでるおなじみのお話ですが、読み返してみるといろいろな発見があって、いいものです。

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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「序章 隠された言葉」を読みました。

今回から、キリスト教です。私はほとんど素養がありませんので、『トマスの福音書』あるいは『ナグ・ハマディ文書』について全く知りませんでした。大戦直後の12月に、こんな文書が発見されていたとは。

この中では「この言葉の解釈を見出すものは死を味わうことがないであろう」と言われ、殊に「死を味わうことがない」というフレーズがリフレインのように繰り返されるそうです。

可藤氏の著作を拝読してきましたので、「これはニルヴァーナに入ること?」とピンと来るわけですが、結論を急がず、丁寧に読み進んでいきたいと思います。

世界史の時間に、先生が「トマス・アクィナスは…」と言った瞬間、名前を呼ばれたような気がして目が覚めたことがあります(もう少しで返事するところでした)。それから、「トマス」という名前は他人とは思えません。目をしっかり開けて読んでいきたいと思います。

《つづく》

しんどう:GV11(督脈

〈取穴〉:第5胸椎棘突起の下に取る。
〈標準〉:上背部、後正中線上、第5胸椎棘突起下方の陥凹部。



〈筋肉〉:棘上靭帯、棘間靭帯

〈交感神経〉:気道・肺,脾臓。
〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:胸神経後枝

〈血管〉:肋間動脈背枝

〈主治〉:動悸、不眠、ヒステリー、失語症。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」

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