トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年10月

こしようかん:GV03(督脈

〈取穴〉:第4腰椎棘突起の下に取る。
〈標準〉:腰部、後正中線上、第4腰椎棘突起下方の陥凹部。



〈筋肉〉:棘上靭帯、棘間靭帯、棘間筋

〈交感神経〉:直腸,膀胱,生殖器。
〈運動神経〉:脊髄神経後枝
〈知覚神経〉:腰神経後枝

〈血管〉:腰動脈後枝

〈主治〉:腰腿痛、下肢麻痺、無力、坐骨神経痛、婦人病、遺精、早漏、ED。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉大腰筋腸骨筋

参考文献1「経穴マップ」

10月22日のバザー、無事終わることができました。多くの方々のご協力のもと、まずまずの成果を上げることができました。どうもありがとうございました。

昨年は、体験コーナーがどれほど受けるか分からなかったので、極力コストのかからないもの(プラ板・紙飛行機など)を行いました。今年は、ある程度の売り上げが見込めるということがわかったので、当てくじや飴つかみなど仕入れコストがかかるものを試してみました。ポップコーンも昨年の倍の量を準備しました。

結果としては、もっと仕入れても良かったんじゃないか?という意見が出るくらいの盛況ぶりでした。

バザーの方は、出品者に根付けをしていただいたので、作業がかなり楽だったようです。

今回は来年以降のことも考えて、現場での細かい判断は副会長さんや担当の方々にお任せしました。私たちも2年目ということもあり、昨年ほどの気苦労はなかったかなと思います。(昨年の反省を読むと、ウダウダ書いている分だけいろいろ悩んでいたことが分かります。

何より、驚き、嬉しかったのは、役員の皆様の素早い働きぶり。一言指示を出しただけで、どんどんと自分から仕事を見つけて動いて下さいました。反省会でも現場の貴重な意見をたくさん出していただきました。

幼稚園の先生方にもいろいろお手伝いいただきました。雨の中の駐車場係、室内の換気など、我々の行きとどかないところにも細やかな配慮をいただきました。

雨の中、たくさんの方に足を運んでいただきました。

皆様、本当にありがとうございました!!

《ひがしね幼稚園ブログ》

《つづく》

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J教材の100番まで終わりました。蜻蛉日記、源氏物語、枕草子、和泉式部日記を読みました。

2011/10/24 22:40:59
蜻蛉日記の藤原道綱母って、名前を無くした女神みたいだ。 #kumon


著者名として「道綱母」というのは面白い。「名前をなくした女神」を思い出しました。「ミホちゃんママ」とか「ミウちゃんパパ」みたいな呼び方はこの時代にもあったんですね。

「源氏物語」では、臣籍降下の話が興味をひきました。「源氏」とは天皇家と源を同じくする一族という意味だけれども、皇位継承権は無くなる。朝廷の秩序を保つため、「この皇子の皇位継承権を剥奪する」という意味が光源氏の名には含まれている。

このような形で名前を使う伝統が朝廷にはあったのですね。秀吉が藤原姓をもらったり、家康が源氏姓をもらったりしたのも、意味合いは平安時代とは違うでしょうが、何となく納得できました。

「枕草子」は、何ということはない内容ですね。でも、平安の世の人の何気ない感覚を、今になって読むことができるというのはやはりスゴイことですね。

「和泉式部日記」は、後家となった和泉式部を義弟が口説くという話。駆け引きがなかなか面白いです。トレンディドラマのような趣があります。

【グラス片手に大人の公文】国語〔J-100〕

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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第四章「方法論―止観双修」の「自己実現」を読みました。

止観双修によって至る境地心真如の相ニルヴァーナ一元性の世界離言真如転識得智心源(大海水波の比喩)真如門大死(仮我の死)大覚と、いろんな言葉で表現されてきました「悟り」。今回はキリスト教から引用したいと思います。

《以下引用》
一なるものを私は見ることができない。パウロは何も見ていなかったが、それは神であった。神は無であるが、また一なるものである。(エックハルト『無である神について』)

「一なるものを私は見ることができない」とはエックハルトの卓見であり、恐らく彼自らの悟りの体験から得られた結論であろう。というのも、われわれ人間は二なるもの(二元性)しか見ることができず、徒に混乱しているからだ。そして、パウロが目は開いていたにもかかわらず何も見ていなかったというが、実は、すべての被造物が無となったその時、彼は神を見ていたのだと、エックハルトは自らの体験に照らして理解したのだ。この無であるとともに、一なるもの(神)をわれわれは肉眼(衆生眼)を通して見ることはできない。

このように、被造物を無、あるいは空こそ人間にとって最も貴重な時であり、体験的に真理(一なるもの)を知る瞬間でもあるのだ。
《引用終わり》

私はキリスト教についてもあまり詳しくは知りませんが、天地創造は、闇の中に光を創り、昼と夜を創り、天と地を創り…ということになっているようです。この妄念の共同幻想の世界が、二元性の導入によって創造されていると読むことができそうです。仏教もキリスト教も根本的なところは一緒のようです。本書ではイスラームからの引用も多く、イスラームについても同様のことが言えそうです。

《以下引用》
これが仏教(宗教)における自己実現の意味であり、何よりも無自己(無我)を実現することなのだ。決して自己を実現することではない。それはいわば人の道であり、それがどんなものかはこれまで縷々述べてきたところから明らかであろう。そして、宗教的に自己を実現したとき、その後には『起信論』が言うところの「自然業(利他)」あるのみ、というのも「私が見ているものは私自身にほかならない」(ビスターミーの言葉)からだ。
《引用終わり》

《つづく》

ようゆ:GV02(督脈

〈取穴〉:仙骨裂孔の中央の陥凹部に取る。
〈標準〉:仙骨部、後正中線上、仙骨裂孔。



〈筋肉〉:浅後仙尾靭帯

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:仙骨神経後枝

〈血管〉:下殿動脈

〈主治〉:婦人病、冷え症、遺精、早漏、排尿障害、ED、慢性下痢、腰・仙骨神経痛、性病。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉腰方形筋大殿筋中殿筋梨状筋。

参考文献1「経穴マップ」

公文式がTOEFLのETSと提携したということで、これまでは公文の事務局も英検の試験をしていたのですが、これをしなくなるらしい。つまり、いつも娘たちを可愛がってくださっている事務局の人が英検の試験官をしなくなる。今回が最後になるかもしれないから、娘を受検させてしまおう!ということで、小1の娘が英検5級を受験しました。試験は、10月16日、山交ビルで行われました。

2011/10/16 11:26:01
山交バスターミナルにタッチ! http://t.co/6XhxhiKV


ちなみに、小1で英検5級というのは、公文の世界では全然たいしたことありません。

期待させるといけないので、自己採点の結果を最初に申し上げますと、3割程度しかできてない模様で、残念なことになると思います。

でも、まあよくやったと思います。お兄さんお姉さんと一緒に、40分くらいだったでしょうか、泣かずによく座っていたものです。問題は4択のマークシートですから、出鱈目に染めたら1/4しか行かないはずなんです。それなのに1/3は正解だった。

自己採点できるというのは、問題用紙にちゃんと○を付けて帰ってきたということなんです。リスニングのところは○つけてくるの忘れたんですけど、それでもスゴイでしょ?

当たってるところは、ちゃんとそれに○を付けた理由が言えるんです。まぐれじゃないんです。

親バカかもしれませんが、親としては「合格」です。

小1の娘が受検するというので、うちの教室からの受検者がいつもより多かったようです。勉強にも、スポーツみたいなチャレンジ精神が必要です。勉強と言うと、とかく堅苦しく考えがちですが、それが勉強をつまらないものにしていると思います。こういう試験はゲームに挑戦するような感覚で、どんどん挑んで欲しいものです。

「悔しい。また受ける!」と娘も言っています。それだけで、今回は100点満点だ!

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「現代ソフィスト伝」の第二部「三、学習以前の問題」の「1、学習態度ができていない(1973〜1978)」を読みました。(小林教室収蔵

この章は、学習態度ができていない子どもへの対策として、標準完成時間という考え方を導入する過程が描かれています。

《以下引用》
じっさい、かれらはできているうちは順調なのだった。しかし、あやふやなところが出だすようになると、極端に学習姿勢がくずれてしまう。やる気がなくなる。初めからできそうにないとあきらめてしまう。持続的に自分の力だけで解いていく力がそなわっていない。公が問題にした「態度」とは、これから先に出あうであろう学習課題を、自分で学んでいける自学の態度のことだったのだ。
《引用終わり》

わからないことに積極的に挑戦していく姿勢は養えないのか?これが課題になりました。

《以下引用》
子どもたちに、冒険的な学習の面白さをつたえたい。きっと、おもしろいはずだ。これまで味わったことのない面白さである。そのためには、どうするか。…

冒険的学習を身につけるには、それなりの作法がある。自分の力だけで進むという作法である。こうするからこそ、思いもよらない可能性の開示に出くわすのだ。学習態度の崩れの原因はこの自習力の訓練不足にあった。高校生、中学生のことだけではない。小学生にだって、幼児にだって、これは学習に必要な基礎体力の一つである。

教師は教えてはいけないのではない。自習できるようにする方法を指導しなければならない。正解を教えるのではない。正解にたどりつくやり方を教えるのでもない。では、具体的には、どうするか。「復習すべき箇所を教えてやる」…
《引用終わり》

学習態度ができていない子どもには「処理能力」をつけてあげる…。

《以下引用》
とにかくわかる教育、考える教育などと結構なことを言うより、作業が続けられるようにしてやることが大切である。やさしいところを枚数多くして作業量を増やしてやる。三分間しかできなかった子どもが四分間でき五分間できるようにしてやる。そして自習で進ませていく、このことが創造性を生みだすのに大切なことのようです。(『山彦56』1979)…

こうして、公は、学習態度の問題に、まったく数学とは別の切り口を提出したのである。「処理能力」、この力が学習態度の不安定な生徒には必要なのだ。だから、学習の出発点は、この「処理能力」を高めるために、その生徒ができる地点よりもさらに低い出発点にしなければならない。
《引用終わり》

この「処理能力」の個人差を測るために、「標準完成時間」が設けられ、時間で測るようになるわけです。

以下は私見ですが、この辺りの考え方を、お子さんも保護者さんもしっかり理解しないと、公文式で力をつけていくのは難しいかもしれません…というくらいに重要なことだと思います。

学習の出発点を低めに設定されて面食らう方がいらっしゃるかもしれません。「私はこんなにレベルは低くない!」「うちの子はこんなにできないのか?」処理能力を高めるために低く設定しているのであって、そうした方が加速度的にスゴイ伸びを示してくれるのです。

自分ができない難しい問題に最初から挑戦して、「できない、できない」と言い、「聞いても先生は答えを教えてくれない」という不満を抱いてる方もいらっしゃるかもしれません。でも、それでは自習力がつかないのです。

社会に出ても、難しい問題に出あったら、「できない、できない」と言い、「上司が教えてくれない」と言うのでしょうか?自分で調べ、自分で解決していく人しか、社会では通用しません。そのための訓練が公文式なのです。

明日のテストで良い点数を取ることが、第一目的ではありません。

《つづく》

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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第四章「方法論―止観双修」の「止観双修」を読みました。

実践法の解説は、この章に凝縮されているようです。その実践法が止観双修です。

《以下引用》
止とは一切の境界の相を止むるを謂う
観とは因縁生滅の相を分別するを謂う
   (『起信論』95)

…「止」とは「一切の心識の相を止める」(「心識の相」とはわれわれの心の働きを言う)と理解する方がいいだろう。なぜなら、世界はわれわれの心と密接に結びついているのであるから、われわれは直接世界に働きかけるのではなく、自分の心(妄心)に働きかけることによって、一切の境界(の相)を止めることが可能になるからだ。
《引用終わり》

しかし、「止」だけでは心は重く沈み、眠りこけてしまうので、「観」が必要になる。

《以下引用》
復次に、若し人にして唯止のみを修するときは、則ち心は沈没し、或は懈怠(けだい)を起し、衆善を楽(ねが)わずして、大悲を遠離せん。是の故に、観をも修すべし。
   (『起信論』103)

…「観」とは「因縁生滅の相を分別する」とあるが、それはわれわれの外側だけではなく、内側で起こっているすべての事物・事象(因縁生滅の相)を深く観察し、存在の本質を洞察する智恵を養うことである。誤解してならないのは、「分別」という言葉を、そのまま是非・善悪などを判断(分別)すると理解してはならないことだ。…

従って、妄りに分別する心を止め(シャマタ)、われわれの内と外で起こるすべての事物・事象に批判を加えるのではなく、ただ見つめ、観察することによって(ヴィパシャナー)、見るもの(主)と見られるもの(客)という主客の二元論を解消し、一元性の世界…へと帰っていくというのが止観(シャマタ・ヴィパシャナー)の大方の道筋である…
《引用終わり》

心を静かにするためには、呼吸法も有効な手段です。しかし、最終的には呼吸法に依存してはいけないようです。

《以下引用》
『起信論』は「若し止を修せんとせば、静処に住し、端坐して意を正し、気息にも依らず」と言い、呼吸法(気息)を用いるのではないという。…確かに呼吸法は瞑想状態(三昧)に入る有効な手段であり、この入息と出息の二つに心を留める練習は必要であるが、その心が実は、心源の不覚によって生じた妄心であるから、いつかその心さえも除かなければ本当のサマーディに入っていくことはできない…呼吸に心を留めることも放棄しなければならないときが来るということだ。
《引用終わり》

そして、呼吸について上述したことは、心についても言える。

《以下引用》
一切の諸想を念に随って皆除き、亦除想をも遣れ
   (『起信論』95)

瞑想(止観双修)の始めは、どんな心が起こってこようとも、その心に善し悪しの判断を下すこともなく観察し、見守っていなければならないが、いずれ観察している心(主)をも除かなければならない時が来る。そして、妄りに起こる心(客)を観察し、除くことはそれほど難しくはないが、観察している心(主)をも除いて、本当の無心になることはとても難しい。
《引用終わり》

以前も止観の方法を岩波文庫版を基にまとめましたが、この本(「瞑想の心理学」)の方が分かりやすいようです。

《つづく》

ちょうきょう:GV01(督脈 督脈の絡穴)

〈取穴〉:尾骨下端と肛門の中央に取る。
〈標準〉:会陰部、尾骨の下方、尾骨端と肛門の中央。



〈筋肉〉:肛門尾骨靭帯、外肛門括約筋

〈運動神経〉:陰部神経
〈知覚神経〉:陰部神経

〈血管〉:下直腸動脈(内陰部動脈の枝)

〈主治〉:痔、血便、遺精、早漏、排尿障害、脱肛、ED。
〈特殊〉:

参考文献1「経穴マップ」

ひがしね幼稚園バザー2011まで、あとわずか。

↓ポスターも掲示していただいてます。



↓「あめ玉つかみ」の飴も入荷しました。



↓ミニカーの当てくじ



↓ドラえもん&キティちゃんの当てくじ



↓デコシールの当てくじ



↓ディズニー文具の当てくじ



↓スーパーボールの当てくじ



おたのしみに!!

《つづく》

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