トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年09月

ブログネタ
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くもんのすいせん図書(Dの2番)「車のいろは空のいろ 白いぼうし」の前半を読みました。(小林教室収蔵

主人公はタクシーの運転手、松井五郎さん。松井さんの車にはいろんなお客さんが乗り込んできます。キツネが化けたと思われる子どもたち、中を飛ぶ魚たち、タイムスリップしてきたようなおばさん、山猫…などなど。

毎回とっても不思議なお話。不気味でさえある状況なのですが、安心して読むことができます。

それは、松井さんも不思議なお客様たちも、優しくて、あったかい人たちだから。

北田卓史さんの絵もいい感じです。

《つづく》
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「現代ソフィスト伝」の第二部「二、学力の実態を見る」の「2、実力がついていない(1963〜1968)」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
公の最初の五年間は、一つの言葉、すなわち、基礎学力という言葉の周囲をめぐる実践であった。
《引用終わり》

この時期、公さんは、自分の教材を「一定の学力に達するのに必要な内容とそれに要する時間を示すもの」と言い切っているそうです。

《以下引用》
…自分が毅につくった教材はたった一枚のルーズリーフである。毎晩、学校から帰って、夜、毅の出来具合を見て、次の一枚をつくっている。×が多くかさなれば、さらに細かく復習を加え、×が1〜2個で自己訂正ができるようなら予習の分を増やしてステップを大きくする。だから、結果的に、課題ごとに要した教材の枚数が、すなわち、生徒が学ぶに必要な時間になる。…

これに比べると、学校で決められた授業時数は、生徒に勉強させる時間のことであって、生徒が学ぶために必要とする時間ではないと、公は言っているのだ。学校の授業のカリキュラムを見ても、これが学力を高める必要量だとは、だれも思わない。学校は一斉に教える形をとっている。だから、教えるのに必要な時間はわかっても、学ぶのに要する時間という考え方が初めからとれないのだ。
《引用終わり》

「教育は子どものため」と言いながら、カリキュラムは子どもの側には立っていないようです。

《以下引用》
…同じ年齢の子どもだから同じことを学習させるということは、各人の素質は一様ではないので各個人にとっては不自然にきまっています。学校ではやむを得ずそうきめてあるので、学力を伸ばすには能力があるなら学校の内容を越えてゆく勉強をさせることです。芸術、スポーツ方面での修業は能力に応じて年齢に関係せずに進ませるのです。数学の家庭学習においても、当然これと同じ学習法がとられるべきです。学校と同じように進むことを強制するのは、基本学科の学習を軽視するものと言わねばなりません。(『山彦13』1965)

幼稚園児には音感教育とか図画教育など、さかんに行われているではないか。これは情操にかかわるものだから、幼児にはふさわしいという。しかし、子どもにムリのない方法なら、基礎学力もまたこうした教育の一つになる。ベートーベンのピアノ・ソナタを弾くために、教則本を練習してその目的を達している例は多いはずである。公の教材は、高校数学の基礎をそのまま教材にしたバイエルである。ピアノでゆるされて、数学でゆるされない法はない。
《引用終わり》

これが発展して、「国数英は技能教科」という主張につながっていくのかもしれません。

《つづく》
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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第三章「存在論―返本還源」の「聞・思・修の三慧」を読みました。

《以下引用》
…『起信論』という書物は、われわれに二つのことを教えようとしていることが分かる。一つは、そうという自覚もないまま人間はサンサーラの世界をさ迷っているということ、もう一つは、人間の内なる本性は常に変わらず清浄であり、そこにわれわれが求めるべき真理があるということだ。…このように自己を理解し、学ぶことが三慧の「聞」であり、ただ学ぶというだけではなく、学んだことをいつも心に留め、深く思いを定めていくことが「思」ということになるだろう。

そして、最後の「修」について『起信論』は、「心が妄に動ずるのみにして前境界無しと知りて、遠離法(おんりほう)を修する」という。…「遠離法」とはもちろん、サンサーラの世界を厭い離れ、ニルヴァーナの世界を願うという意味であり、その最も基本的な方法が「止観」であり、『起信論』は後に「止観双修」を言ってくる。
《引用終わり》

徳川家康の旗印となった「厭離穢土欣求浄土」も取り上げられています。ここで強調されているのは、発心を起こすのも、修行をしたいと思うのも、浄土にあこがれるのも、サンサーラの世界にいるからだということ。そして、人の道を説くにも、この自覚は必要であるということ。

《以下引用》
彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を導くならば、二人とも穴に落ち込むであろう。(『マタイの福音書』)
《引用終わり》

《つづく》
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2000円コースの構成例
〔1〕触察のみ:触察(31分)
〔2〕鍼か灸か:触察(29分)+鍼(4本)or 灸(4壮)
〔3〕鍼も灸も:触察(27分)+鍼(4本)+ 灸(4壮)

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で 1747円
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:379円
・2人の場合:279円
・3人以上:179円

追加項目:
・鍼25円(1本)、灸25円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.8は7月のものです。
※当院の価格に対する考え方はこちら

・9月の価格
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悟りへの道 に参加中!
「瞑想の心理学」(法蔵館)
第三章「存在論―返本還源」の「熏習論」を読みました。

『起信論』には熏習という考え方があります。唯識説にも出てくるようです。

《以下引用》
…まず無明が真如に熏習する、つまり不覚無明によって妄心が起こってくると、今度は妄心が無明に熏習し、無明が深まるにつれて真如法(真理)を覚ることがますます難しくなるだけではなく、さまざまな妄境界、つまり生死や善悪を始めとする二元葛藤する世界が次々と現れてくる。すると今度は妄境界にわれわれは心奪われ、それが機縁(染法縁)となって妄心に熏習し、われわれはいろいろと画策し、さまざまな業(カルマ)を作り出し、それが原因となって輪廻の輪は果てしなく回り、あらゆる身心等の苦を受けることになるというのだ。
《引用終わり》

燻製をイメージしてしまうのは私だけでしょうか。修業が足りないということでしょう。

《つづく》
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かがい:CV20(任脈

〈取穴〉:前正中線上で、第1肋間の高さ(天突の下2寸、胸骨角上際)に取る。
〈標準〉:前胸部、前正中線上、第1肋間と同じ高さ。

〈筋肉〉:

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:肋間神経前皮枝、鎖骨上神経

〈血管〉:内胸動脈の枝

〈主治〉:咳嗽、喘息、心胸痛、咽頭炎。
〈特殊〉:

参考文献1「経穴マップ」
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くもんのすいせん図書(Dの1番)「ごんぎつね」を読みました。(小林教室収蔵

小さな村の片隅で起きた小さな出来事。登場人物もちっぽけです。でも、話の筋はシェークスピアの三大悲劇にも匹敵するように思います。

自分のちょっとしたいたずらが、大切なひとつの命を奪ってしまった(のかもしれない)と考えるごん。やってしまったことは悪いことだけれども、良心の呵責に苛まれ、何かせずにはいられない。

しかし、その行動が、自分がしていると相手に思ってもらえないことに、ちょっとだけ不満を感じる。

結局、その不満は解消されるのだが…つまり、毎日栗を運んできたのが自分だということを分かってもらえたのだが、皮肉なことに命と引き換えになってしまう。

キツネのことだから、大きなショックを受けることはないんだけど、深く切なく心にとどまる作品です。

新美南吉先生はキツネが好きですね。
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国語教材もやっとi2教材まで来ました。とても楽しいです。

受験勉強では、現代国語の長文読解の問題は楽しかったです。それは、本が読めるからです。もちろん一部しか読めないわけですが、それでも楽しかった。その楽しみが公文の国語教材にはあります。その楽しい部分だけ切り取ったと言ってもいい。

公文教材の場合、十枚で一つの本を読みます。もちろん、一部しか読めませんが、それでも十分楽しい。ほとんどが縮約という問題形式なので、引用された箇所を要約して文章を書き写します。これもコツを掴むと楽しい作業です。勉強しているという苦痛が余りないのに、国語力はついているような気がします。

遠藤周作の「海と毒薬」や井伏鱒二の「黒い雨」など、読んでみたいと学生時代から思いながらも、なかなか手が出なかった名作。教材として一部を読むと、高い敷居も幾分低くなります。

こういう重いテーマの本は平和ボケしていると読む気にはなりませんが、福島の原発事件(事故とは思えない)のお陰で状況は変わりました。「黒い雨」なんか、ゾッとしながらも読まずにはいられません。

i2の70番台は「夜と霧」。信じられない収容所の様子。極限の恐怖の中でつづられた文章を読まないのは罪というもの。これは文章である限りはノンフィクション。映像化してしまうと、フィクションの要素が加わってしまうような気がします。活字のままの方がずっといい。できたらドイツ語で読みたい。

テレビが本当につまらなくなりました。

【グラス片手に大人の公文】国語〔i2-070〕
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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第三章「存在論―返本還源」の「内奥の神秘」を読みました。

《以下引用》
…幸運にも心源に辿りついたものは、その一瞥をさまざまに表現してきた。「旅人は自分の家の戸口に辿りつくまでに、他人の戸口を一つひとつ叩かなければならない。こうして、外の世界をあまねくさすらい歩いたあげく、ようやく内奥の神秘に到達するのだ」。このタゴールがいう「内奥の神秘」こそ宗教が説こうとしているものなのだ。
《引用終わり》

なかなかうまい喩えです。「青い鳥」のお話のようです。

《以下引用》
…われわれは無知ゆえに、物であれ、知識であれ、名誉であれ、より多くのものを手にすることによって幸福になると思っているが、幸福(至福)はわれわれの本性(自性)を離れて存在するのではない。そして、われわれが外から得たものによってその至福が増すというのでもなければ、また失ったからといって減少するのでもない。至福はいわば不増不減なのだ。

…われわれがこの地上で身につけたものは、どれも本当の意味で私のものとはならない。実は、この「私」でさえ本当の私ではないのだ。
《引用終わり》

そして再び水波の喩えが述べられています。サンサーラの世界(波)とニルヴァーナの世界(海)は本来一つのものだと知ることが大切だと。

《つづく》
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平均:2029円
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最高値:3000円

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