トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年02月

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くもんのすいせん図書(Bの5番)「モチモチの木」を読みました。(小林教室収蔵

臆病者の豆太でしたが、いざという時は勇気をふりしぼって、じさまの命を助けることができました。じさまのせりふが良かった。

「…じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっと やるもんだ。
それをみて たにんが びっくらするわけよ。ハハハ」

自分を弱虫と決めつけるな。やらなきゃならないときにやれればそれでいいんだ、とも読めます。「にんげん」と一般論の形で言っているので、生来みんなに勇気は備わっているんだということにもなり、より一層励まされるかもしれません。

勇気をふりしぼるきっかけは、怒りや憎しみや欲など、マイナスの感情の場合もありますが、「やさしさ」もきっかけと成り得ます。そしてそれが最も望ましい形だと言えます。「やさしささえあれば」という言い方はシンプルで素敵です。

モチモチの木は何の変哲もない栃の木なのでしょうが、月の位置や天気の条件が揃うと火がついたように明るくなります。じさまは、それを「山のかみさまのまつり」と呼んでいます。

何の変哲もない臆病な子供でも、条件が整えば、驚くほどの力を発揮するんだということと重なっているように思えました。

私は子供のころに一回この本を読んでいますが、格別なことは感じませんでした。今、読み返してみて、とてもいい本だと思いました。
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「部屋がちらかっている」という表現は日常会話でよく使います。残念なことに…不本意ではありますが。

当分、部屋をきれいにする習慣は身に付きそうもないので、英語で言えるようにしておこうと思います。

【グラス片手に大人の公文】英語〔G1-156〕
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ロンドンを観光している場面です。「20分時間があります。」あと20分で、どこを回ろうか?という会話でよく使いそうです。

本当にロンドンでこのセリフを言ってみたい。どうせなら、twenty hours とか twenty days とか。

【グラス片手に大人の公文】英語〔G1-147〕
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「唯識入門」(春秋社)
「第六章.唯識の修行論」の「一.修行の階梯」の前までを読みました。

第六章に入る前に、唯識説についてまとめてあるので、メモっておきます。

《以下要約》
唯識説の三本柱は、以下の内容。
(1)アーラヤ識を基本とする識の体系
(2)一切法についての見方としての三性説
(3)唯識観(一切法は識の現わし出したものにほかならないという見方)の体得

この学説は、竜樹によって大乗の空思想が確立したあとで、瑜伽行派の間で形成された思想。『華厳経』「十地品」で説かれていた「三界は唯心」「十二因縁分はただ一心によっている」という教えに基づいて、その唯心の理の観得の方法として発達した。瑜伽行派は唯識観をその観法(瑜伽行)の基本とする学派。

この唯識観を理論的に説明するべく、一切法については迷悟によって三種の見方があるという学説が立てられ、それが竜樹の「一切法は縁起したもので、空である」という説を展開するものであることが標榜された。

一方、生死輪廻のかなめとなる識の性格についての考察もすすみ、個体存続、身心の維持者、業の担い手としてのアーラヤ識の説が発達する。これと認識の主体、三性の見方の転換のかなめとなる識の機能の考察が加わって、唯識の学説は完成する。

唯識の三本の柱は、『解深密経』『摂大乗論』を経て『唯識三十頌』によって確立される。『瑜伽師地論』『大乗荘厳論』『中辺分別論』などでは散発的に説かれるが不十分な点がある。
《以上要約…詳しくは本書参照》

さて、次から実践編ということかと思います。

《つづく》
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【動き】
・屈曲:〔可動域〕135°くらい,他動的には160°くらいまで可能。〔制限因子〕膝伸筋の緊張,下腿後面と大腿後面の接触。

・伸展:〔可動域〕10°くらい。〔制限因子〕膝屈筋,斜膝窩靭帯,前・後十字靭帯,内・外側側副靭帯の緊張。

・内旋:〔可動域〕10°くらい(屈曲状態で)。〔備考〕完全伸展位から屈曲を始める最初の時期に、不随意的に内旋が起こる。

・外旋:〔可動域〕20°くらい(屈曲状態で)。〔備考〕屈曲位から伸展していく時に起こる。完全伸展位直前に大きな外旋(終末強制回旋運動,locking mechanism )。
 
半腱様筋:屈曲● 内旋● 股関節●伸展▲内旋
半膜様筋:屈曲● 内旋● 股関節●伸展▲内旋
大腿二頭筋:屈曲● 外旋● 股関節●伸展▲外旋。外旋は短頭のみ
大腿四頭筋:伸展● 大腿直筋股関節●屈曲▲外転),外側広筋中間広筋内側広筋
大腿筋膜張筋:屈曲▲ 伸展● 外旋▲ 股関節●屈曲●外転
縫工筋:屈曲▲ 内旋▲ 股関節▲屈曲▲外転▲外旋
薄筋:屈曲▲ 内旋▲ 股関節▲屈曲●内転▲内旋
腓腹筋:屈曲▲ 足関節●底屈
膝窩筋:屈曲▲
足底筋:屈曲▲ 足関節●底屈
外側側副靭帯:屈曲− 伸展+ 内旋−+ 外旋+ :+は緊張
内側側副靭帯:屈曲− 伸展+ 内旋−+ 外旋+ :−は弛緩
前十字靭帯:屈曲* 伸展+ 内旋+ 外旋− :*は屈曲の程度で緊張の度合いが変わる
後十字靭帯:屈曲* 伸展− 内旋+ 外旋−
 

【靭帯】
・内側半月:C字状の形
・外側半月:O字状の形

・内側側副靭帯:大腿骨内側上顆〜脛骨内側顆。外側より幅が広く、内側半月と結合。
・外側側副靭帯:大腿骨外側上顆〜腓骨頭。細いひも状で、外側半月との結合は無い。

・前十字靭帯:外側顆(大腿骨)の内側面〜前内方へ〜前顆間区(脛骨)。脛骨の前方への滑り出しを防ぐ。関節包内(滑膜と線維膜の間)ではあるが、関節外に有る。
・後十字靭帯:内側顆(大腿骨)の外側面〜後外方へ〜後顆間区(脛骨)。脛骨の後方への逸脱を防ぐ。関節包内(滑膜と線維膜の間)ではあるが、関節外に有る。

・斜膝窩靭帯:半膜様筋腱が外方に放散したもの。関節包後面を補強する。
・弓状膝窩靭帯:腓骨頭尖〜膝窩筋の腱の上を横切って〜関節包に入る。
・膝横靭帯:内・外側半月を結ぶ。
・冠状靭帯:半月を脛骨に結合する。

【交通性の滑液包】〜関節腔と交通する
・膝蓋上包:大腿四頭筋腱の下にある。中間広筋の一部(膝関節筋)が後方に付着し、屈曲位から伸展位に移る際に上包を上方に引っ張る。炎症時の関節腔内の滲出液は、膝蓋上包に(特に伸展時)貯留しやすい(膝蓋跳動)。

膝窩筋包(膝窩筋下陥凹):小さい。
半膜様筋包:小さい。
腓腹筋の外側腱下包:。
腓腹筋の内側腱下包:。

【非交通性の滑液包】〜関節腔と交通しない
・膝蓋前皮下包:膝蓋骨のすぐ前の皮下に有る。
・深膝蓋下包:特殊な場合は交通していることがある。

【その他】
・生理的外反:170〜175°

参考文献1「基礎運動学」
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「空海の夢」(春秋社)
「26.華厳から密教に出る」を読みました。

華厳の教理は主として法蔵と澄観によって大成されたとのこと。

法蔵は華厳宗第三祖で、第二祖までの断片的な華厳性をほぼ独力で一挙にまとめて華厳思想とした。

法蔵の思想で重要なポイントは、第一に華厳別教の一乗思想を確立したこと、第二は「五教判」と「華厳の十心」という観点。

本書に思想体系が整理してあるので見ていただくとして、法蔵の「十玄縁起」の7、因陀羅網法界門のイメージが面白いのでメモっておきます。
《以下引用》
まず、互いに映しあう主体がすでに鏡球(宝珠)になっている。したがってこの鏡球には十万四周のあらゆる光景が映りこむ。そういう互いに互いを映しあう鏡球が一定の間隔でびっしりと世界をうめつくす。ということは一個の鏡球には原則的にはほかのすべての鏡球が包映されていることになり、その一個の姿はまたほかのどの鏡球の表面にも認められることになる。
《引用終わり》
これを「部分が全体を包括しあうようなホロニックな関係」と言っています。

さて、澄観の方ですが、空海の総合主義はむしろ澄観に近いとのこと。澄観からは四種の法界縁起をメモっておきます。

《以下引用》
最初の「(1)事法界」は事象に個性を認めている段階である。個性の共存段階というべきか。それが次の「(2)理法界」になると理が事のほうに近づいて精神優位となり、なんとか意識のうちでは事象の差が薄くなってきているのだが、事態のほうにはまだ事物の相互性がこだわっている。

ついで「(3)理事無礙法界」になると、事法と理法とはちょうどよいぐあいに溶けこんできてライプニッツのモナドが充ち、互いを隔てるいっさいの障害がなくなってくる。認識世界と現象世界の区別がまったくないという超越状態なのである。ユンクやパウリのシンクロニシティがあまねく充ちている状態ともいえる。ところが華厳世界ではこれが終点ではない。もう一度、精神世界が脱落しなければならなかった。完全なる「物質の自由」という極地であり、意識の微粒子はおろか、彼方からの情報の来臨もない。いったいそんな世界がありうるのかどうか、まったく保証のかぎりではないけれど、それが華厳の相即相入の「(4)事事無礙法界」というものである。
《引用終わり》

空海については『秘密曼荼羅十住心論』の略本、『秘蔵宝鑰』に関する記述をメモっておきます。
《以下引用》
空海は略本ではそれぞれの段階に密教的発端があるはずだという確信を吐露したのである。10の「秘密荘厳心」(密教心)を1から9までの段階からひとり隔絶した超越点におくだけではなく、1から9までのそれぞれに10の萌芽を含ませたいという意図になっている。
《引用終わり》

これも重重帝網のような、ホロニックな構成ということのようです。

《つづく》
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標準料金(鍼灸なし・33分触察)の目安
1人:【昼】1900円【夜】2000円
2人:【昼】1800円【夜】1900円
3人以上:【昼】1700円【夜】1800円

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で…
・1640円(午前9時〜午後6時)
・1739円(上記以外の時間帯)
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:324円
・2人の場合:225円
・3人以上:126円

追加項目:
・鍼灸は1体位あたり99円の他、鍼20円(1本)、灸20円(1壮)
・当日申込の追加料金は廃止します。

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.4は12月のものです。

・2月の価格
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くもんのすいせん図書(Cの15番)「花さき山」を読みました。

小林教室周辺の教室が共同で図書を購入して、巡回図書館のようにしています(通称「おにぎり文庫」)。今月の一冊でした。

郵便不正事件で不当に拘置所生活を強いられた村木さん。拘置所ではたくさん読書したそうですが、その中で一番心の支えになったという本がこの本だそうです。

利他行というのは爽やかな気持ちになったりもしますが、人に譲ってばかりいるとだんだん面白くなくなってくるのが人情です。

譲るつもりがなくても、村木さんのように耐えがたい理不尽にぶち当たり、絶対に釈然と出来ないことは、長い人生の中に多かれ少なかれ訪れるもの。

その釈然としない気持ちをどうやって落ち着かせるか…利他行に向かうモチベーションをどうやって維持するか…この本は、その回答となり得ます。(あんな体験の後にも爽やかな笑顔で会見し、新たな活躍の場を得ている村木さんが証明しています)

利他行の後、相手には何か残るけれども、どうしても自分には喪失感ばかりが残る場合があります。そんなとき、「あっ!いま花さき山で、おらの花がさいてるな」と思うことができれば、喪失感もなくなるかもしれません。

例えば、伊達直人さん。失ったのはランドセルを買うために使ったお金だけ。それ以上のものを得て結果的には豊かな人生になったはず。それが「花さき山の花」なんですね。
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実は昨年から、風邪の後も治らない咳に悩まされております。ウイルスや細菌がいる形跡もないのに、鼻・喉・気管の辺りがスッキリしなくて、咳が止まらなくなる時があるのです。おそらくはガッテンで紹介された大人の喘息orせきぜんそく(咳喘息)と思われ、主治医の処方もそれと一致するので、納得して治療を続けております。

このまま大量のスギ花粉に出会ったら死ぬんじゃないか?と思い、おととい、主治医とお話をしました。確たる原因は無いと困惑する彼を見て、自分なりにハタときづいたことがあります。それは、この病気を長引かせているのは他ならぬ自分なのではないか?ということ。

そもそもアレルギーとは、大した毒性も無いものを免疫系が敵視し、過剰防衛する状態だと理解しています。花粉などほっとけばいいものを、とんでもない病原体扱いをして総攻撃をかけるものだから、自身の被害だけが甚大になるのです。

アレルギーとは正に正義漢。ちょっとでも曲がったことは許さない。ほどほどに看過しておくことができない。徹底的に駆逐しなければいけない。

私の性格に似ている…

虫さされも一種のアレルギーですが、蚊に刺された場合、絶対に掻かないようにすると、私の場合は一時間ほどでほとんど跡形もなくなります。これは、個人差もあるでしょうし、私の場合はエバステルのジェネリックを常に服用しているということもあるので、普通の人は一時間では済まないかもしれませんが、掻かなければ消えてしまうのは同じではないかと思います。

だから、皆に掻かないように薦めていますが、痒さを我慢できる人ってほとんど居ないようです。

で、これは大したことないアレルギーを、掻くという行為によって更に大事にしている例と言えます。虫さされで痒みが生じるのは免疫系の応答で、これは自動的に発生するので、エバステルのようなもので抑えるしかありませんが、掻かないという努力はやろうと思えばできることです。

それで、今回の喘息なのですが、自分では痰を出さなければ咳は絶対に止まらないという先入観があって、喉や気管にちょっとでも違和感を感じると無意識に咳をしていたのではないか?ということなのです。

これは、痒いところを無意識に掻いてしまうのと似ています。

もちろん、喉や気管の違和感は自動的なものなので、セレベントとフルタイドで抑えますが、それ以上の部分は自分との闘いで何とかならないだろうか?

「正義」とは、自分の考えに固執し、排他的になる傾向が概ね見られる。ゆえに「正義」だけでは傷口は大きくなるだけで、概ね問題の解決には役立たない。

この持論(自戒)を踏まえ、自分の正義感を見つめ直しながら、自分のアレルギーとも向き合ってみたいと思います。
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確か、宮城県で行われたNHKの歌謡コンサートだったと思う。北国の人は冬ずっと雪に覆われるがゆえに春がひときわ待ち遠しいのだ…というような話があって、「北国の春」を歌うという流れだった。

そのときは本当に雪に悩まされていたので、なるほどと、何の違和感も感じなかった。しかし、雪も日に日に減っていく今日この頃、雪が降ってくれないだろうかと願っている自分に気づく。

なぜなら、花粉を感じ始めたから。花粉よりも粉雪の方がずっとずっといいと思い始めたから。

北国でも花粉症の人は年々増えていると思う。飛散量が多いと思われる今年はさらにデビューする人も多いだろう。「春」と聞いて、憂欝になる人も増えていると思う。

もっとも花粉症にもいろいろあって、秋の人もいる。私は2月中旬から桜の開花くらいまでがひどい。だから、雪解けはむしろ憂欝。でも、妻は桜の開花くらいから始まる。桜の花がひときわ好きな妻が、桜の開花に憂欝を感じなければいけないのも皮肉な話である。

桜前線を追って角館(秋田)、弘前(青森)、北上(岩手)を旅行したこともあった。金と時間に余裕があれば毎年でも行きたい。しかしこの旅は、私にとっては終わりかけた花粉を追う旅であり、妻にとっては飛び始めた花粉の兆しを追う旅なのである。

世の中に絶えて花粉のなかりせば春の心はのどけからまし

花粉も季語になって詩に詠まれたりしているのかもしれない。この切なさを歌った演歌もいずれ出てくることだろう…
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