トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年11月

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くもんのすいせん図書(Aの3番)「おじさんのかさ」を読みました。(小林教室収蔵

お気に入りの傘を使いたくないという気持ち、わかります。雨が降っても傘をささない。風が吹いたらなおさらささない。傘が汚れると悪いから、雨の日はでかけない。

これじゃあ、何のために傘を買ったのか分からない。

私もそういうところがあります。小学校に行ってるころに買ってもらった傘の柄は今でも何となく覚えています。でも、目に浮かぶのは、広げたイメージではなくたたんだイメージ。

なるべく広げたくありませんでした。使ったら必ずきれいに乾かして、きれいにたたみました。たるみなく、きれいにたたまないと気が済みませんでした。

長女にもそういうところがあります。次女と同じものを買ってもらうと、自分の物はなるべく使わないで、妹のを使います。これに慣れてしまったのか、次女は正反対。手に入れた物は何でもすぐに使って、ボロボロにします。

だから、いつか、長女がこの本についてどんな感想を持っているか、聞いてみたいと思っています。次女に聞いてみるのも面白いかな?

何年か経って、この二人の性格がどんなふうに変わるのか、見てみたい。

何十年か経って、この二人の傘を比べてみたい。「おばさんのかさ」ですね。
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公文式の英語の教材Dについてです。

冊子教材を卒業して、プリントによる学習になります。まず、アルファベットの書き方を、なぞり書きや見写しで練習します。

Do you like …?
What do you have…?
What sports do you play?
Which season do you like?
How many balls do you have?

といった一般動詞の文を勉強します。

単語の間をあけること、語順が変わること、冠詞「a」が付いたり、複数形の「-s」が付いたりすること、などなど気づいてもらえばいいという段階です。

《英語E教材に進む》
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「空海の夢」(春秋社)
「14.アルス・マグナ」を読みました。

《以下引用》
われわれの頭の中には知覚と学習とによって入力された情報がわんさとたまっている。これらは価値の序列も時間の序列もあいまいで、まことに頼りない状態でつまっている。

…おおざっぱな貯蔵領野は分かれているものの、…視覚野とか運動野とかアイテムでよばれていることでも察しがつくように、やっと感覚器官との関係、仏教でいえば六識との関係の混乱をふせいでいるだけである。

…われわれに入ってくる第二次的な情報系はそのままではあまり役に立たないということになる。第一次情報系とはヒトが生物史に内属して継承してきた情報系のことをいう。

この第二次的な情報系をすこし正確にストックするにはゆさぶることである。

…第二次的な情報系はこれによって蘇生し、第三次的なノンローカルな序列の中に位置づけられはじめる。

…情報組織はそのうちの適当な第三次的な情報系を選びながらこれを圧縮しはじめ(情報圧縮)、しだいに自己組織化をはたすというプロセスになる。これがふだんは漠然と認識世界だとか思考世界だとかとおもいこまれている当の正体である。

しかし当の正体とはいっても、これはちょうどテレビのチャンネルを次々に早く切り換えてみたときに見える映像のようなもので、常時フラッシュのごとき断面像をみせる“頭出し”の部分にすぎない。自分の認識世界であるというのに、これをゆっくり眺めるには、どこかのチャンネルを限定してつけっぱなしにし、切り換えの能力をあえていったん休止させなければならない。おそらく「止観」とはこのことであったろう。

《引用終わり》

「止観」の大脳生理学的解釈と言えるでしょうか。詳しくは本書をご覧ください。さらに、後の章でまとめるようですけど。

《以下引用》
…直観が場面集であるとするなら、方法は回路群だ。これが私の考える編集方法というものにあたっていることについてはすでにのべた。これは空海にとっては、鄭玄や淡海三船や大伴家持の編集方法にヒントをえて、さらには般若三蔵恵果からも示唆をえて、すでに半ばの設計がおわっていたはずの回路群である。問題はいよいよ、こうして準備のおわっている「直観」と「方法」とをいかに丹念に糾合させるかということだった。

槇尾山寺の日々、空海は直観と方法をあれこれ糾合させつつ、たったひとつの目標のために全力を傾注していた。それはまったく新しい密教世界をどうしたら創出できるかということである。

このとき空海がインテグレーションを進行させるにあたって最もこころがけたことは、「思考の内容を感情の内容とすること」(シュタイナー)であったかとおもう。新密教創出の当の担い手に分離や分断がおこってはならなかった。そのうえで、至高の存在にみずから導かれているのだという確固たる信念にしたがって歩みはじめた。右脳に直観、左脳に方法をもって…。
《引用終わり》

富士通にもホストコンピュータの膨大な回路をほとんど一人で設計したという伝説の天才がいました。どんなに膨大な体系でも、まとまったものを組み上げるのは、一人の天才の手に任せた方が良さそうです。

《つづく》
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「唯識入門」(春秋社)
「第二章.認識の構造」の「三.三性説」を読みました。

『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第五偈が出てきます。

(1.5)妄想されたもの(遍計所執性)、他によるもの(依他起性)、完全に成就されたもの(円成実性)(という三種の自性)が説かれたのは、(順次に)対象であるから、虚妄なる分別であるから、また二つのものが存在しないからである。

―――
遍計所執性

虚妄なる「分別」によって「分別された」対象。第一偈の「二つのもの」(所取と能取)、第三偈の「識の顕現」としての対境(六境)・衆生(五根)・我(意根)・了別(六識)の4種。それらは「ない」。

「ない」は、所取については形象形成作用がない(認識作用がない)からとされ、能取については真実でない顕現だからとされていました。所取のほうが存在性は稀薄で、能取には若干の存在性が認められています。

これは、虚妄分別と対象の間で、虚妄分別(性格上、能取)が有で、対象(したがって所取)が無と言われているのと同じ構造が、対象のうちの所取と能取の間にも成立していることを意味します。

依他起性

「他に依るもの」は縁起したものの意味で、その中には無自性なるもの、空なるもの、という意味が含まれているはずですが、この偈では述べられていません。虚妄分別がなぜ依他なるものと規定されるかについては後でとりあげているそうです。

円成実性

この「二のないこと」が「完成されたあり方」。虚妄分別ももはや存在しません(識が虚妄分別としてはたらかない)。虚妄分別は事実としては存在するが、価値的には否定されるべきもの


《つづく》
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満月
太陽と私と、同じ方から月を見ている。太陽にとっても、私にとっても、同じ月。月に関して、太陽と私の見解は完全に一致する。

下弦の月
太陽は左から月を見ている。月の左半分は、太陽にとっても、私にとっても、同じ月。右半分は私だけが知っている月。太陽には分からない。月に関して、太陽と私の見解は半分は一致するが、半分は食い違う。

新月
太陽と私と、違う方から月を見ている。太陽にとっても、私にとっても、違う月。月に関して、太陽と私の見解は全く一致しない。

上弦の月
太陽は右から月を見ている。月の右半分は、太陽にとっても、私にとっても、同じ月。左半分は私だけが知っている月。太陽には分からない。月に関して、太陽と私の見解は半分は一致するが、半分は食い違う。

月は太陽には横顔も後ろ姿も見せている。でも、私には横顔も後ろ姿も見せることはしない。

自分から見えている姿だけで、月を全て理解していると思ってはいけない。

太陽と話し合いをするとき、私と太陽では、月の見え方が違うということを忘れてはならない。

望月の欠けたることも無しと思えば…そんな配慮は要らないのだけれども。

望月の欠けたることも無しと思えば…私から見えているものが全てなのだけれども。

望月の欠けたることも無しと思えば…私の考えは常に正しいのだけれども。
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〈起始〉:寛骨の外面で閉鎖孔縁と閉鎖膜
〈・〉:大殿筋の下
〈停止〉:大腿骨の転子窩

〈作用〉:股関節●外旋。深層外旋六筋のひとつ(外閉鎖筋,内閉鎖筋上双子筋下双子筋大腿方形筋梨状筋)。
〈神経支配〉:閉鎖神経〔L3〜L4〕
〈筋連結〉:内閉鎖筋大腿方形筋,小内転筋

〈触察〉:
・停止付近:下双子筋と大腿方形筋の間に指を押し込み触察。但し、困難。

〈関連痛領域〉
・該当なし。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
参考文献3「トリガーポイントと筋筋膜療法マニュアル」
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くもんのすいせん図書(Aの26番)「まりーちゃんとひつじ」を読みました。

小林教室周辺の教室が共同で図書を購入して、巡回図書館のようにしています(通称「おにぎり文庫」)。今月の一冊でした。

「まりーちゃんとひつじ」と「まりーちゃんのはる」の2本立て。

「…とひつじ」は人間が望むことと、動物が望むことの違いがうまく表現されています。

まりーちゃんは結構欲が深い。人間の欲深な心と動物の純粋な心のすれ違いは「夕鶴」(別名「鶴女房」とか「鶴の恩返し」)を思い出します。

カラフルな絵と二色刷りの絵が交互に出てくるのは、コスト削減のためか、製本技術による制約なのか分かりません。が、まりーちゃんの夢をカラフルな絵で表し、ひつじの夢を二色刷りの絵で表しているのが、編集上うまいなと思いました。

最後は、まりちゃんの夢はかなわなかったけど、欲張りだからしょうがない。優しい素敵なエンディングです。
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標準料金(鍼灸なし・33分触察)の目安
1人:【昼】1900円【夜】2000円
2人:【昼】1800円【夜】1900円
3人以上:【昼】1700円【夜】1800円

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で…
・1635円(午前9時〜午後6時)
・1734円(上記以外の時間帯)
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:298円
・2人の場合:199円
・3人以上:100円

追加項目:
・当日申込は99円
・鍼灸は1体位あたり100円の他、鍼20円(1本)、灸20円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.1は9月のものです。

・11月の価格
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「空海の夢」(春秋社)Amazon
「13.初転法輪へ」を読みました。

帰国し、大宰府滞在を経、和泉国の槇尾山寺に止まるまでの期間について、考察しています。

《以下引用》
…このときの詩が、私が空海の詩文に接した最初のものである。…七言絶句、上声篠韻。

閑林独坐す 草堂の暁
三宝の声  一鳥に聞く
一鳥声あり 人心あり
声心雲水  倶に了了

…槇尾山寺の空海が何を沈思黙考していたのか、それはわからない。しかし、空海六十二年の生涯をいろいろ眺めまわして比較してみると、謎の七年間を除けば、結局はこの山中の空海が一番だったと思う。

…語る相手といえば老境の律気な阿刀大刀と、それに空海をひそかに訪ねてきたであろう奈良の僧たち、修行者たちだけである。奈良仏教者たちは空海に期待を寄せていた。最澄の痛烈な南部仏教批判をはねかえせるのはいまや空海ただ一人であったからだ。

しかし山中の空海はまだそうした現実にまみれようとはしていない。それらにたいするひとつの「超越的な位置」を確立しようとするだけの時期である。これは空海の存在学の確立期であったろう。
《引用終わり》

この山中で、壮大な体系が構築されていきます…

《つづく》

空海の夢
空海の夢(Livedoor Books)
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「唯識入門」(春秋社)
「第二章.認識の構造」の「二.まよいからさとりへ」を読みました。

『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第四偈が出てきます。

(1.4abc)それゆえに、それ(すなわち識)が虚妄なる分別であることが成立した。なんとなれば、(識は)そのままに(真実として)あるのでもなく、また、あらゆる点でないというのでもないからである。

(1.4d)(なんとなれば)それ(すなわち識)が滅尽することによって、解脱のあることが認められるからである。

―――
識が顕わし出した対象は「虚妄」です。しかし、真実ではない対象を顕わし出す分別のはたらきは「ある」ということになります。

ただし、この分別は、実在しないものを顕わし出しているわけだから、真実の、あるべきあり方のはたらきをしているわけではありません。

分別のはたらきが「ある」という点にこだわるのは、これが修道を実践の主体となるからです。価値的にあるべきものとしての有ではなくて、事実としての有です。これがなければ実践が成り立たないのです。

虚妄分別は、まよいからさとりへの転換を要請される実践主体です。虚妄分別が迷っている現実の状態を「汚染の存在」、さとりへ向かって動き出した状態を「清浄な存在」と呼びます。

《つづく》

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