トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年10月

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
くもんのすいせん図書(2Aの36番)「ぞうのオリバー」を読みました。(小林教室収蔵

自分の居場所が見つからなくて、いろいろなところをさまよい歩きます。犬だったらいいと言われれば犬の真似もし、馬だったらいいと言われれば馬の真似もします。でも、やっぱり象は象。

すごく現代的な感じがしました。自分の居場所が見つからない。自分のやりたいことが見つからない。自分そのものが分からない。まあ、現代的と言えば現代的ですが、人間存在の普遍的な悩みなのかもしれません。

いろいろ彷徨った挙げ句、人から望まれるものを真似るのではなく、自分が本当にしたいものをすればいいということに気づきます。「ねずみの嫁入り」とか「青い鳥」とかに似た、「灯台もと暗し」的な教訓です。

人生に迷った時、自分の居場所を失った時、自分を見失った時、哲学書や自己啓発の本もいいですけど、この本を手にするのもいいかと思います。

探し物が見つかるかもしれません。
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標準料金(鍼灸なし・33分触察)の目安
1人:【昼】1900円【夜】2000円
2人:【昼】1800円【夜】1900円
3人以上:【昼】1700円【夜】1800円

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で…
・1635円(午前9時〜午後6時)
・1734円(上記以外の時間帯)
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:294円
・2人の場合:195円
・3人以上:96円

追加項目:
・当日申込は99円
・鍼灸は1体位あたり100円の他、鍼20円(1本)、灸20円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.1は8月のものです。

・10月の価格
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ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「空海の夢」(春秋社)
「8.陰と陽」を読みました。

《以下引用》
…このころ(『聾瞽指帰』を書いたころ)の空海は出家の決断のために儒教・道教を排してはいるものの、とくに道教的隠逸思想については世間の名利を遠ざけ一人神仙の道を求めるものとしてかなりの評価を与えている。それでも青年空海は道教を捨て、仏教に入る決断をする。空海の道教批判を一点に絞れば、そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。逆にいえば、それ以外の面では、空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。

忘れてならないのは、この出家宣言ともいうべき『聾瞽指帰』の段階では、空海はまだ密教の本体を知ってはいなかったという点である。

仮名乞児の説く仏法はむしろ仏教一般の特色に近かった。やがて七年後、長安に二年を遊学するうちに空海は密教構想の何たるかを知った。しかもそれは不空一行の呪術的色彩の濃い密教と、恵果の示す内観性の強い密教とであった。空海はそのいずれものエッセンスを踏襲し再編成をくわだてる。すなわち空海は出家のためにいったん方士や道士の思想を捨てたのではあったが、その後に密教の裡にその共鳴内在する音を聞きあて、巧みにみずからの真言密教の体系にこれを取捨選択するにおよんだとも考えられるのだ。

空海がタオイズムから取捨選択したものとは、いわば「観念技術」であった。
…《引用終わり》

観念技術とは…

《以下引用》…
モノとは「霊(もの)」であって「物(もの)」であり、コトとは「言(こと)」であって「事(こと)」である。上代日本語のモノとコトは観念と言葉と事物および現象を分別しなかった。分別しないことによってトータルな世界観を維持できた。…このことはさらにモノとモノ、コトとコトの類感共鳴の呪術的波及を可能にしてしまう。…そうしたなかに大陸や半島から天文遁甲や方術が導入されてきたのである。その導入は仏教よりも早かった。これを日本では一般に陰陽道あるいは陰陽五行思想と言ってきたが、私はアジア的性格をこめてあえて「陰陽タオイズム」と呼ぶことにしたい。すでにのべたように神仙タオイズムとの差を特徴づけるためでもある。
《引用終わり》

ダジャレみたいなもの?

《以下引用》…
やがて仏教が導入されて朝廷にもこの余波がおよぶと、聖徳太子に顕著にみられるような儒・仏・道の習合が促進する。表立った体系は仏教により、倫理は儒教により、裏の縫目は陰陽タオイズムの糸によるという方法だ。
《引用終わり》

日本人が、和洋折衷とかチャンポンとか得意なのは、この辺りからの伝統なのですね。親父ギャグもかな。

《以下引用》…
すなわち、大学在学中に求聞持法などの雑密パワーを知ってこれに投じようとした空海は、いったん山林優婆塞の仲間入りをしたのちに、ふたたび密教に向かったのである。そういうコースを選んだのではないかということだ。…空海が山林に修行したことは疑いを入れないし、その著作の随所にひそむ言葉づかいから、あきらかにタオイズムの洗礼をどこかで受けていたことだけは確実であった。空海は陰陽タオイストにも神仙タオイストにもならなかったが、後日、密教タオイストとしての性格を発揮する人であったのだ。
《引用終わり》

空海の親父ギャグ、聞きたいな…。

《つづく》
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★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
お子さんを公文国際学園に通わせた方が山形にいらっしゃるということで、そのお父さんのお話を聞きましょうという会に行ってきました。10月2日、山形テルサで。

講師がお父さんでしたから、「お父さん講座」というタイトルになったようでしたが、男性は私を入れて4人だけ。あとはお母さんたちでした。

で、その講師ですが、多田農園の多田耕太郎さん(ブログもされてます。流石です。)でした。YAMAGATAセレクションにも選ばれているサクランボを生産している方なので、お名前だけは何となく拝見してました。

お話で、まず「おや!」と思ったのは、幼稚園年長の時にスーパーファミコンを買ってあげたということ。本人が欲しがるものだから、そんなに欲しいなら天声人語をスラスラと読んでみせろ!という条件を出したそうです。いつの記事でもいい、意味は分からなくともいい、とにかく一回分を止まらずにスラスラと読めたら買ってやる!と。

幼稚園の年長さんにですよ。かなりユニークな条件です。うちもDSを買ってしまいましたが、妹にも貸してあげること、公文のプリントをやってから遊ぶこと、くらいしか条件は出しませんでした。

ともかく、多田さんもファミコンのソフトが欲しかったらプリントをやりなさい!という条件は何度も使ったそうです。つまり、物で釣るのもアリということですね。

もうひとつ、「おや!」と思ったのは、奥さんがかなり厳しく公文のプリントを毎日させたということ。

学校から帰ってきても、公文のプリントをやらないうちは家から出さない。「5枚するのと10枚するのとどっちがいい?」という選択をさせて、あたかも自由はあるかのように錯覚させるわけですが、「0枚」という選択肢は絶対にない。「やれ!」「やらない!」の激しいやり取りは何度もあったとのこと。

でも、母(耕太郎さんの奥さん)は一歩も譲らなかったそうです。お爺さんお婆さんや伯母さんからも、「そんなにしなくても」という意見は出たそうですが、やはり譲らなかった。

息子さんのお友達は「○○くんのお母さんは鬼だ!」と言っていたそうです。

これ、すごくホッとしました。怒っていいんだ!と思いました。

実は、今まで聞いた体験談は(そんなに多くは無いんだけど)、「ひたすらできたところをほめてあげましょう!」だったのです。じゃあ、うちの子みたいに解ける問題も「難しい、わかんない、わかんない」と言って泣き叫ぶ奴はどうしたらいいんだ?と思っていたのです。「じゃあ、それ終わったらチョコあげるよ」というと、急にスラスラ解き始めるような奴はどうしたらいいんだ?と。ほめようがないじゃないか?と。

質問しても、「うちの子はそんなことありませんでしたね…」と言われてしまい、やっぱりお宅のお子さんはうちの子とはモノが違うんじゃないですか!?ということになってしまうわけです。これでは親の気持ちも萎えてしまう。

でも、多田さんは違いました。これは大きな収穫です。

さて、タイトルの公文国際学園ですが、多田さんの息子さんは4期生ということで倍率も低かったようですが、今は神奈川県でもトップレベルの偏差値だそうで、入るのはかなり難しいようです。そして、それよりもネックになるのはお金。これは、子供が努力してもどうにもなりません。

とにかく、お父さんはガンガン稼いで、子供のためなら惜し気も無く使う…これが今回の「お父さん講座」の結論だったようです。
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悟りへの道 に参加中!
「唯識入門」(春秋社)
「第一章.虚妄分別とはなにか」の「二.虚妄分別と空性」を読みました。

『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第一偈と第二偈です。

(1.1)虚妄なる分別はある。そこに二つのものは存在しない。しかしそこに空性が存在し、そのなかにまた、かれ〔=虚妄分別〕が存在する。

(1.2)それゆえに、すべてのものは空でもなく、空でないのでもないといわれる。それは有であるから、また無であるから、さらにまた有であるからである。そしてそれが中道である。

これは龍樹『中論』の三諦偈を継承していると考えられます。すなわち、

(24.18)縁起なるもの、われはそれを空性と説く。それは〔なにかに〕依って仮設すること(知られること)であり、それがまた中道にほかならない。

龍樹は、従来「縁起」といわれていた道理を「空性」とよび、「依りての施設」とよび、それが仏教の「中道」たるゆえんを示すものだと言っています。「空性」と「依りての施設」という新しい術語を用いて、縁起と中道を結びつけたとも言えます。

「依りての施設」は「仮名」とも言われ、仮に名づけたもの、なにかを素材として表明されたことば(あるいは概念)。

中辺分別論は、この三諦偈を受けて、新たに「虚妄分別」という概念と「二つ」ということを取り上げました。「二つ」とは「所取」(掴まえられるものもの:客観)と「能取」(掴まえるもの:主観)を指します。

(1.1),(1.2)は次の三項の意味になります。
1.「虚妄分別」は有る。
2.「所取」と「能取」は無い。
3.「空性」は有る。
結論として、有るでもなし、無いでもないから「中道」である。

二つの有るものの関係は、
1.虚妄分別は空性のなかに有り、
2.空性は虚妄分別のなかに有る。

「空性」と「虚妄分別」とは一つことで別のものではない。「能取」「所取」の二つはもともと無いのだから、有るのは一つ、虚妄分別と空性とが一体になったもの。

主客、所取・能取の存在は実際には無い、というのが「空性」の意味です。その無いものを有ると考えるところに主観・客観、所取・能取が成立しているわけです。この「取」ということばには、妄取、妄執の意が込められています。

《つづく》



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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#123」(10月5日放送分)を見ました。口承文芸学の小澤俊夫先生でした。小澤征爾さんの兄であり、ミュージシャン小沢健二さんの父だそうでビックリしてしまいました。

画面に出てきた絵本は見覚えのある「子どもとよむ日本の昔ばなし」(くもん出版)の絵本うちの教室にもある本だったので、またまたビックリ。

「おざわとしお」って、この人なの!?

面白かったのは「白雪姫」と「シンデレラ」の話。昔話というのは洋の東西を問わず、だいたい3回繰り返しがあるのだそうです。日本の昔話なら「三枚のお札」とかでしょうか。「ももたろう」も動物は3匹。ロシアなら「3びきのくま」、イギリスなら「三びきのこぶた」。「白雪姫」と「シンデレラ」はドイツ(グリム童話)ですね。実は「白雪姫」も「シンデレラ」も3回の繰り返しが本当はあるんだそうです。

白雪姫は妃から3回襲われている。前2回が省略されて、しかも棺がゴトリと揺れた拍子に喉につまった毒リンゴが取れて生き返るのであって、王子様のキスなんていう甘っちょろい話ではない。

シンデレラもきれいに変装してお城に遊びに行くのは3回で、シンデレラを何とかモノにしようとした王子様が3回目に訪れた時に階段にタールを塗っておいた。これにガラスの靴がくっついて取れたのだそうです。前2回の王子がシンデレラに夢中になる過程が省略されている。

人間の欲望とか愚かしさとか残酷さがこの繰り返しの中に折り込まれていて、「人間バカはやるけど、それで幸せになったりもするんだよ」というメッセージが込められている。

この大切なメッセージを削ぎ落としてしまったのがディズニーということです。夢物語に仕立て上げるのもいいけれど、人間のドロドロした部分に触れるリアリティが欠落してしまったようにも思います。

昔話は往々にして残酷だが、それは子どもに有害であるとして、昔話を書きかえる動きが横行しているが、これについてどうか?と太田さん。

昔話の残酷さに触れたり、虫や蛙で残酷な遊びをしたりすることで、子どもは小さいうちに小さな残虐性を満足させる。それをある程度繰り返すと、ある日ふと、こんなことしたらかわいそうだなと思う心が芽生えるのではないか?

この過程を踏まないと、自分の残虐性を抑えるメカニズムを持たないまま大人になる。大きな残虐性が本当の人間に牙をむいた時、それはもうかわいそうでは済まない…

福音館書店の「三びきのこぶた」は原書に忠実なまま、残酷な良書です。

《最初から読む》
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〈起始〉:恥骨の恥骨下枝
〈・〉:半腱様筋と隣接(★膝関),縫工筋の下(★曲泉★陰包)
〈停止〉:脛骨粗面の内側方で縫工筋の停止の後方(浅鵞足:縫工筋半腱様筋

〈作用〉:股関節▲屈曲●内転▲内旋膝関節▲屈曲▲内旋
〈神経支配〉:閉鎖神経〔L2〜L4〕
〈筋連結〉:縫工筋長内転筋,短内転筋,大内転筋半腱様筋

〈触察〉:
・補助線1:恥骨下枝中央部と大腿骨内側顆後縁を結ぶ線。薄筋の筋腹に相当。
・背臥位では:補助線1よりも後方に移動するため、大腿内側部というより後方に位置する。
・膝関節付近では:大腿骨内側顆後方を走行する細い腱で、半膜様筋停止腱の内側方に接する。
・膝関節伸展位で股関節を外転すると:大腿部の最も内側部の細長い硬い筋腹として触知・視察できる。

〈関連痛領域〉
・大腿部の内側

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
参考文献3「トリガーポイントと筋筋膜療法マニュアル」
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くもんのすいせん図書(2Aの18番)「おばけのどろんどろんとぴかぴかおばけ」を読みました。(小林教室収蔵

おばけというのは一応現実から離れた世界のものであります。普通はとにかく恐ろしい存在だと思うのですが、子どもの話に出てくるおばけは可愛かったり面白かったりします。オバケのQ太郎がいい例ですね。

可愛くて面白いなんて、おばけ離れしています。

そこに蛍が現れました。蛍たちと協力してぴかぴかおばけが誕生するわけです。おばけはそもそも暗い所が好きなはずなんですが、おばけ自体が光るというのはおばけらしくありません。

そんなおばけのどろんどろんです。怖がりのお子さんでも安心して読めますね。
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平均:1978円
最安値:1000円
最高値:3000円

初診者と紹介者1000円キャンペーンは継続中です。

・8月の実績
・9月の価格
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悟りへの道 に参加中!
「空海の夢」(春秋社)
「7.密教の独立」を読みました。

《以下引用》
…私は密教の特質はエントレインメント(entrainment)にあると考えている。この言葉は従来の科学では「飛沫同伴」などと訳されていて、沸騰によって生じた飛沫状液滴が蒸気にともなわれて出現する現象などに狭くつかわれているのだが、のちにものべるようにもっと生命論的現象や文化論的現象に広くつかわれてよい概念である。異なるリズムが同期する、あるいは、多様なリズムが協調振動をおこすといった意味である。

そこで密教潮流にもエントレインメントをつかうとすると、密教は密教正史のようなものをもったというのではなく、むしろ多様な随伴現象や協調振動によって形成されたとみるべきだということになる。それぞれが「引きこみあい」をおこしたのだ。これをオリジナリティが乏しいというふうに解釈してはいけない。いくつかの密教意識の流れがあるとして、それぞれの水が引きこみあいをおこすのである。そしてそのたびに密教的性格が深秘されていく。そういうことなのだ。一連のエントレインメントが投了すると、そこからは密教の独壇場となる。
…《引用終わり》

一応、理学部卒ですが、エントレインメントという言葉は知りませんでした。広く使われるべき概念だというのは賛成です。

そして、三世紀からの仏教の歴史が書いてありますが、これは本書を見てのお楽しみ。

《以下引用》…
六世紀に入ると密教擡頭の足音はかなり強くなってくる。ヨーガの道場もふえてくる。いわば最後の雑密時代であろうか。

体制のほうは、西ローマ帝国滅亡の余波によるインド経済の破綻と匈奴系エフタルの連続的侵入によってグプタ王朝の中央集権制が崩壊し、群小王朝期に突入する。社会文化の黄金期が衰退した混乱の時代、いいかえれば異民族異文化の脅威のほうが強くなりはじめた時期に密教の擡頭があるということは、インド密教のみならず中国や日本の密教、さらには今後の密教文化の動向を考える上にもひとつの符牒をかざすものである。

とくにインドでは、異民族エフタルの王トーラマーナが中央インドにどっかりと腰を降ろしてそこを占領してしまったように、六世紀以降はめまぐるしく外患内憂の政治状態がずっと続いた。その混乱の中で、造壇の結印の技巧がしだいに錬磨され、本尊を短い梵字で表示する種字のアイデアや本尊を持ち物によって代行させる三昧耶形(サマーヤ)のアイデアが用意されていた。

こうして七世紀の「密教の独立」が成就する。先にものべたように七世紀は『大日経』と『金剛頂経』が成立する時期であった。
《引用終わり》

空海は久米寺の東塔で『大日経』を読み衝撃を受け、松岡氏も図書館で『大日経』を見ていっぺんでその衝撃の意味が分かったようなのですが…私も早く仲間に入りたいな。

《以下引用》…
八世紀以降、インド密教は、いやインド仏教の全体が金剛乗の怒涛の過流の中に巻きこまれていく。「密教の独立」がそのままの様式を詳細に発展させるのは、むしろ中国や日本においてであった。空海が密教の法燈を継いだと言われるゆえんである。

なぜにまたインドにおいて密教が成就できなかったのかということは、なぜにまた日本において密教が成就してしまったのかという謎につながる。それはまた空海の思想の謎にほかならない。
《引用終わり》

その謎がこれから解き明かされていく…?

《つづく》
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