トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年08月

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くもんのすいせん図書(2Aの1番)「ぐりとぐら」を読みました。(小林教室収蔵

ぐりとぐら…言いやすいんでしょうかね…かなり小さい時から、娘が喋っていたような気がします。文字を覚える本(「ぐりとぐらのあいうえお」)だったか、数字を覚える本だったか、いつも持ち歩いていました。

この数々のヴァリエーションの最初の本、「ぐりとぐら」です。「大好きなのは料理することと食べること」と言われた時点で親近感を持ってしまいます。

この二人(二匹?)が大きな卵を発見しました。私は、この卵を見て、ダチョウの卵を思い出しました。山形県朝日町の特産です。

この大きな卵で何を作ったか?カステラです。そこで私は、「龍馬伝」で龍馬たちがカステラ作りをしたのを思い出しました。

最後に、卵の殻で何を作ったか…それは本書を見ていただくとして、朝日町でもいろんなものを作っております。是非、皆さま、山形においで下さい!

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公文式の国語の教材B2についてです。

・「定義づけ」で、言葉には辞書的な意味と文脈上の意味があることを学習します。
・「箇条書き」で文章中の話題を整理し、話題の類似や対比を考え、文章の分析力を養います。
・漢字は小2・3で習う52字。

すいせん図書は、
B-1「さかなにはなぜしたがない」
B-2「一休さん」
B-3「はれときどきぶた」
B-4「おしいれのぼうけん」
B-5「モチモチの木」
B-7「ふたりはいつも」
B-8「ろくべえまってろよ」
B-14「子うさぎましろのお話」
B-15「こぎつねコンとこだぬきポン」
B-16「チロヌップのきつね」
B-17「おばけのはなし1」
B-18「ネコジャラシはらっぱのモグラより」
B-19「おかえし」
B-20「のうさぎにげろ」
C-3「ちいさいモモちゃん」
C-4「大きい1年生と小さな2年生」
C-5「エルマーのぼうけん」
が使われています。


《国語C1教材に進む》

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「空海の夢」(春秋社)
「1.空海の夢」を読みました。

この本の初版は1984年です。発刊後すぐに松岡正剛さんが新聞に取り上げられまして、大きなテーマを広く深く取り扱う人という感じで紹介されていました。何となく興味を持ちまして、買ったのがこの本です。

いつか読もうと思って、書棚に飾っておりました。その間、空海に関して現在のような特別な関心はありませんでした。2度の引っ越しを経て、ブックオフしてしまいました。その直後、空海という人に関心を持ちました。半生を一緒に過ごしながら全く関心を持たず、手放した瞬間に関心を持った…と書くと大袈裟ですが、他愛のない話です。

先日、第3版を書店で見つけたので、思わず買いました。帯にある引用文を引きます。
《以下引用》
…『空海の夢』という書名の意図には、当時の空海自身が見たはずの夢も含まれる。しかしここでいう夢とは、空海その人の夢のことだけをさしているわけではない。そこには、その空海自身の夢を後世の明恵や、高野山に入った西行や、空海の遺誡でめざめた叡尊や、まさに母国語の研究に熱中した高野山の契沖や、さらにはずっと後の空海研究者や現在の私や、また本書を読む読者が、ときに互いが互いの夢を見あいながら何かを織りなしあっているという、いわば空海を媒介にした相互作用の構造が立ち上がっているはずなのである。
…《引用終わり》

このブログを介して、私もその相互作用の中に加わっていけたら…と思います。

《続きを読む》

夏休みの初日、ひがしね幼稚園の年長さんは蔵王でお泊り会をしました。行く前は少し不安そうだった長女も、無事に一夜を過ごし、自信がついたようでした。

妻の実家でのこと。
「蔵王に泊ってきて、偉かったね。もう、どこにでもお泊りできるんじゃないの?」と言うと、
「できるよ!」

「じゃあ、ここ(妻の実家)にも、一人で泊まれるね」
「うん。じゃあ、今日泊る!」

それっきり、夏休みの間中、ほとんどお泊りしています。早起きして、ラジオ体操にも参加したとのこと。これを聞いた人は何もコメントのしようがないので、取りあえず「すごいね!」というわけですが、これが彼女の自信をさらに深めているようです。

これ以外にも、家に帰ってこない理由として考えられるのは、
1.おやつなど、妹と取り合いにならずに済む。
2.テレビが新しくて大きい。BSも見れる。
3.人口のバランスがいい。我が家:実家=6:3の比が5:4になる。
等々。

10kmと離れていませんし、電話を頻繁にかけてよこすし、日中は帰ってくるしで、別に寂しいこともなく、楽しんではいるのですが…。

「実家にお嫁に行けるの?」という意味深な発言をしました。
「実家って、誰と結婚すんの?」

このやり取りは意味不明のまま終わってしまいましたが、5歳(もうすぐ6歳)なりに人生を考えているようです。

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「釈尊の生涯」(春秋社)
「21.デーヴァダッタの反逆など」を読みました。

デーヴァダッタ(提婆達多)と聞くと、レインボーマンのダイバ・ダッタを思い出します。Wikiで調べてみますと、主人公ヤマトタケシに不思議な力を与えた聖人ということで、悪役ではないみたいです。

でも、釈尊の従弟のデーヴァダッタは本当にひどい人だったようです。釈尊を妬み、暗殺や教団乗っ取りを何度も画策しています。

教団の破壊を目的に、デーヴァダッタが釈尊に突き付けた五カ条の要求というのがあります。
《以下引用》
1.比丘は人里離れた所に住すること。
2.托鉢のみで生活し、供養招待を受けてはならないこと。
3.糞掃衣(芥溜や墓場などから拾い集めた布片で作った衣)のみ着け、信者からの施衣を用いてはならないこと。
4.樹下のみにすわり住し、屋内に入らないこと。
5.魚や鳥獣の肉を食べないこと。
《引用終わり》

これは、外教の人たちは上記のことをきちんと守って修行しているのに仏教はやってないじゃないか!という批判です。

が、今日的な観点で見てみますと、外教では不必要に粗末な暮らしをしていたということが分かります。逆に言うと、釈尊は修行に不必要と思われる慣習は廃していたということです。身心を害するような過剰な苦行は百害あって一利ないとする、合理的な人でした。

デーヴァダッタはマガダ国の王子アジャセをそそのかし、父である国王ビンビサーラから王位を奪わせました。後にアジャセは改心し、熱心な仏教信者となりました。アジャセの弟アバヤも、釈尊を貶めようと議論をふっかけて、逆に仏教信者になりました。

「如来も他人に好ましくない粗暴な言を吐くことがあるのなら、凡夫と区別がないではないか」というアバヤの問いに対する釈尊の回答が示唆に富んでいるので、ノートしておきます。
《以下引用》
1.その語が真実でもなく、利益にもならないものであり、しかも他人に好ましくないものならば、如来は決してこれを語らない。
2.その語が真実ではあるが、利益にならず、しかも他人に好ましくないものならば、これも如来は語らない。しかし
3.その語が真実でもあり、利益にもなり、しかも他人に好ましくないものならば、如来はこれを語るべき時と語るべからざる時とを知るのである。さらにもし
4.その語が真実でもなく、利益にもならないものであれば、他人には好ましいものであっても、如来は決してこれを語らない。
5.その語が真実ではあるが、利益にならないならば、他人に好ましいものであっても、如来はこれも語らない。
6.その語が真実であり、利益にもなり、また他人にも好ましいものであれば、如来はこれを説くに時をもってするのである。
《引用終わり》

要するに、黙っていた方が無難なようですが…。

《つづく》


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「空海の風景」(中公文庫)「あとがき」から。

《以下引用》
私自身の雑駁な事情でいえば、私は空海全集を読んでいる同時期に、『坂の上の雲』という作品の下調べに熱中していた。この日本の明治期の事象をあつかった作品はどうにもならぬほどに具体的世界のもので、具体的な事物や日時、具体的な状況、あるいは条件を一つでも外しては積木そのものが崩れてしまうといったような作業で、調べてゆくとおもしろくはあったが、しかし具体的事象や事物との鼻のつきあわせというのはときに索然としてきて、形而上的なもの、あるいは真実という本来大ウソであるかもしれないきわどいものへのあこがれや渇きが昂じてきて、やりきれなくなった。そのことは、空海全集を読むことで癒された。むしろ右の心理的事情があるがために、空海は私にとって、かつてなかったほどに近くなった。
《引用終わり》

この代表的な2作品が、ポジとネガの関係だったようで、興味深いです。奈良の都に作った「国」らしきものを、京の都を中心に更に発展させようとしていた時代。一方、明治政府という近代国家らしきものを、列強の方法論をまねて発展させようとしていた時代。日本という国の事情も似ていた時期かもしれません。

「国」という言葉が、夢とか、理想とかいう言葉とほぼ同義で用いられていたに違いありません。「国」をしっかりと確立しなければならない、その必要性を信じて疑わなかった時代。

平城遷都1300年ということで作成された番組の再放送を見ながら、昔の人が羨ましい気分になりました。唐の方法論をまねて、次々にいろいろなものを制定しています。女性が天皇になって政治をしている点は、現代日本よりも先進的です。

「国」というものを欲したのは、国際社会を意識してのことでしょう。グローバル化の流れです。そして、唐なり欧米なり御手本が必ずありました。しかしながら現代は、むしろグローバル化の結果として、世界が同時に苦境に嵌り込んでいて、そこから抜け出すための御手本も見当たりません。

「国」という言葉に別の万葉仮名(?)をあてるとしたら、「苦荷」とかしか、思い浮かびません。その必要性すら、よく分からなくなってきています。

〈起始〉:腸骨の上前腸骨棘
〈・〉:大腿直筋の上で縫工筋の下(★髀関),中殿筋の上(★居りょう★環跳)
〈停止〉:腸脛靭帯を介して脛骨の外側顆

〈作用〉:
大腿筋膜を前頭方に引く。
股関節●屈曲●外転
膝関節▲屈曲●伸展▲外旋

〈神経支配〉:上殿神経〔L4〜S1〕
〈筋連結〉:中殿筋縫工筋腸骨筋大殿筋小殿筋足底筋外側広筋

〈触察〉:
・前縁:上前腸骨棘から2〜3横指尾方の部位に窪み(大腿筋膜張筋と縫工筋)。この外側方が大腿筋膜張筋。この筋腹の前縁を、大腿外側面の中央部まで辿る。
・後縁:上前腸骨棘から腸骨稜に沿って1〜2横指後頭方の部位を目測。この範囲の腸骨稜外側面に起始する。
・前縁と後縁に挟まれた領域に存在する筋腹の幅を確認しながら、腸骨,中殿筋,大腿骨に向かって圧迫する。大腿部外側面の中央部付近で腸脛靭帯に移行し、脛骨の外側顆に終わる。

〈関連痛領域〉
・大腿外側(★中とく★足陽関★風市)

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
参考文献3「トリガーポイントと筋筋膜療法マニュアル」

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くもんのすいせん図書(3Aの27番)「てぶくろ」を読みました。(小林教室収蔵

子どものころ、私も読んだ記憶があります。ウクライナの民話ということですが、改めて見直してみると奇想天外です。てぶくろにネズミやカエルが入るのは物理的にいいとしても、仲良く入っていられるか?という問題は生物学的にNGではないでしょうか?

さらにどんどん大きな動物が入ってきます。入れ替わるのならまだしも、みんな仲良く入っているというのですから、物理的にNGになります。四次元ポケットのてぶくろ版と理解する以外にありません。

てぶくろを落としたおじさんが、クマの体よりも大きな手をした巨人だったというオチもいいですね。

それだったらクマなんてちゃちなもので終わらずに、クジラとか、時空を超えて恐竜とか、どんどん広げていってもいい。

そんなふうに話を広げずに、おじさんが拾いに来たらすぐに皆いなくなってしまうところが何ともあっさりしていていいですね。

絵も渋くて、気持ちが落ち着きます。

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公文式の国語の教材B1についてです。

小2・3の漢字から103文字学習します。さらに主語・述語だけの基本形から、修飾語による文のヴァリエーションを学習して、読解力アップを目指します。

すいせん図書は、
C-1「おしゃべりなたまごやき」
C-2「少年と子だぬき」
が使われています。

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司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「エピローグ」を読みました。

当時NHKエンタープライズ21文化番組チーフ・プロデューサーの鎌倉英也さんの文章です。

《以下引用》
…司馬遼太郎が作品のテーマに掲げた「天才」の成立条件とは、一体なんだったのだろうか。
その回答が、ようやくおぼろげながら見えてきたように思った。
「空海」とは、限りなくゼロであり、無限だということである。枠外しということである。本当の意味での平等とは、自分が向き合う人をある枠付けしたフレームから見ている限り果しえない。国家であり、民族であり、宗教であり、性別であり、貧富でもある。…
枠のない平等な世界などこの世にあったためしはないし、理想の産物だとも言える。…
それを行おうとしたのが、実は空海だったのではないか。
枠とは、実は外側にあるのではなく、自分の心の中にある。
自分の表皮を一枚一枚めくって削ぎ落としていった時、私たちはたまらない不安におちいる。そして、ふたたび、皮をまとって自分と他者を区別し、差別する。人にとって、自分の心の枠を外そうとすることは、みずからの崩壊につながるほど恐ろしいことなのだ。
その不安な作業を、終生、行っていったのが空海ではなかったかと思う。
「天才」とはまさに、その不可能にたえず挑んでいった人間だったのではないかと思える。
…《引用終わり》

まあ、私はそんなふうには余り感じなかったのですが、ノートしておきました。私の空海を追う旅はまだまだ続きますので、いずれ読み返してみたいと思います。

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