トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年05月

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公文式の算数の教材Aについてです。

前半の80枚は基本的な足し算(たす10まで)の復習し、二桁の足し算に挑戦、暗算力を養います。後半の120枚は引き算。20までの数字から引く計算をします。

磁石すうじ盤100を4〜5分以内という目標が設定されています。

引き算に自信がないときは、足し算で検算ができるといいです。

長女は「引き算は嫌だ!」と言い始めたので、年齢の割には進んでいるし、簡単な教材に戻したりしました。そういうテクニックも「あり」ということなので。「簡単!簡単!」と言って、楽しいそうに足し算をします。

プラス思考の娘に育ってくれればいいと思ってます。

《つづく》

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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十三」を読みました。

この章は、嵯峨天皇が空海を乙訓寺に移させたことについて詳しく書かれています。が、ここでは、奈良六宗に対する最澄の空海の立場の違いについて述べた部分だけを取り上げます。

《以下引用》
「奈良六宗などは、仏教の本質ではない」
と、最澄は渡唐する前にそう思い、帰朝後は最澄の保護者だった桓武天皇に説き、他にも説き、奈良の諸僧にも説き、ついには奈良仏教から独立して叡山に天台宗を新設することを国家に認めさせた。奈良仏教は論である。あくまでも論であって、釈迦の言葉が書かれている経を中心としていない、さらには人間が成仏できるということについての体系も方法も奈良は持っていない、と最澄ははげしく言いつづけているのである。


…奈良にとって最澄の天台学がおそろしいのではなく、仏教は本来、中国をへた外来のものであるということが、問題であった。奈良仏教は古い時期に渡来した。しかしながら最澄がもたらしたものは時間的な鮮度がもっともあたらしく、また体系としても斬新であった。旧も新もいずれもが外来の体系である以上、新しいものが古いものを駆逐するというこの国の文化現象の法則が、この時期、史上最初の実例として奈良勢力を動揺させていると言える。

『十住心論』にみられるように以下は空海の持論だが、
――華厳はなんとかなる。

ということを、かれは奈良の長老たちに繰りかえし言ってはげましていたにちがいない。なんとかなる、というのは、空海の思想世界でいえば旧仏教であることから密教のレベルへもう一跳びでたどりつけるということである。華厳経は宇宙の運動法則とその本質を説明する世界で、あくまでも説明であり、あるいは純粋に哲学といえるかもしれない。その哲学を、密教の目標である即身成仏という世界へ宗教として変質させるということが可能だというのが空海のなんとかなるという意味であった。その言葉により、奈良の長老たちは願望をもった。「東大寺を密教化してもらえないか」ということであった。そのことは、長老たちの思想家としての本心から出たのか。それとも、
――ざっとした鍍金(メッキ)でいい。
ということだったのか。
《引用終わり》

空海は高雄山を出ないと宣言したにもかかわらず、嵯峨天皇の便利のために乙訓寺別当を命ぜられ、奈良仏教からの依頼で東大寺別当をも勤めることになりました。

最澄の存在感が急速に失せているのと、これまた対照的であります。

《つづく》

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幼稚園も家庭訪問があるんです。二人いるのでダブルヘッダーです。



一人目(お姉ちゃんの方)が3時15分からです。まだ5分前なのですが、待ち切れない様子。なぜなら、目の前にケーキがあるからです。

そして、今日もなぜか、子守りスタイル。先生にしっかり見てもらいます。

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「釈尊の生涯」(春秋社)
「9.さとりの内容」の後の方を読みました。

外教の実践論に対する批判が書いてあります。

前出の神意論・宿命論・偶然論は、いずれの理論も、修行をしたところでどうしようもないという気持ちにさせてしまうもので、実践のしようがない。

禅定については…
《以下引用》
人生の最高最大の目的はすぐれた智慧を活躍させて、自己および周囲の社会の平和と幸福のために役立たせることである。釈尊時代の禅定主義は、精神の統一と肉体の束縛からの精神の解放とを問題とし、それをもって直ちに理想の状態としたけれども、実はそれは単なる理想の精神状態を作り出すという形式手段にすぎず、その形式のうちに含めらるべき内容としての智慧については、まったく触れることがなかった。釈尊は内容的の智慧こそが最も大切であり、この智慧が仏教の根本教理としての前人未説のものであったのである。
《引用終わり》

理想とする境地については…
《以下引用》
釈尊当時の宗教家たちの間では、来世に天国に生まれて幸福となることを、最高の理想とした者が少なくなかった。また無活動の絶対静寂を理想とした者もあった。釈尊によれば、これらはいずれも誤った欲求であって、前者は幸福なる存在への欲求(有愛)といわれ、後者は非存在への欲求(無有愛)とせられた。また一部の哲学者や一般の人々の間には、現世で官能の満足を求めることをもって、人生の最高理想であると主張する者もあったが、仏教ではこれを欲愛としてしりぞけた。真の理想は死後の来世においてではなく、現在のこの世において、しかも日常生活の間に到達されるものでなければ、理想としての意味も価値もないことになる。
《引用終わり》

これは後世も、現在の新興宗教でも見られるような気がします。浄土教を曲解すれば有愛、禅宗を曲解すれば無有愛、真言宗を曲解すれば欲愛、となりそうな感じですね。

仏教の理想とは…
《以下引用》
単なる苦悩の解決だけでなく、個人の人格の完成であり、社会の融和浄化である。そして釈尊の菩提樹下におけるさとりの内容としての智慧(漏尽智)は、このような究極の目的を達成する体験的知識であったのである。この段階では、個人自身の幸福よりも、社会全体の平和幸福を念願するようになって、宗教の出発点としての個人の幸福は眼中になく、個を犠牲にしても全体のために貢献し奉仕するということになる。それは釈尊の四十五年の活躍によって示されている。
《引用終わり》

《つづく》



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仕事をしながら勉強する子供…と言えば、昔の小学校には必ず銅像が有ったと言われる二宮金次郎。

子守をしながら勉強する子供…と言えばおしん

我が家にも二人ほどいます、山形名物「子守をしながら勉強するおしん」



おんぶひもはお婆ちゃんのお友達から作ってもらいました。背負っているのはメルちゃん。勉強しているのは公文の教材。

銀山温泉にもよく行きます。典型的な山形の娘です。

【動き】
屈曲:〔可動域〕145°くらい。〔制限因子〕屈筋群収縮による屈側の軟部組織の量的増加。
伸展:〔可動域〕10°くらい(過伸展)。〔制限因子〕骨性制限(肘頭が肘頭窩にはまり込む),側副靭帯の緊張,屈筋群の抵抗。
回外(前腕):〔可動域〕90°くらい。〔備考〕尺骨は回旋しない。橈骨は輪状靭帯内(上端)・尺骨頭周囲(下端)を回る。
回内(前腕):〔可動域〕90°くらい。〔備考〕尺骨は回旋しない。橈骨は輪状靭帯内(上端)・尺骨頭周囲(下端)を回る。
 
【筋肉】 
上腕二頭筋:屈曲● 回外▲:spurt muscle(前腕回外位からの屈曲で最も強い)
上腕筋:屈曲●:spurt muscle
腕橈骨筋:屈曲● 回内▲ 回外▲:shunt muscle.emergency muscle.
円回内筋:屈曲▲ 回内●
上腕三頭筋:伸展●
肘筋:伸展▲ 回内▲
方形回内筋:回内●
回外筋:回外●
手関節屈筋群:屈曲▲ 回内▲ 手関節●掌屈
手関節伸筋群:伸展▲ 手関節●背屈
長母指外転筋:回外▲ 手関節▲掌屈▲橈屈母指CM●橈側外転●掌側外転


手関節屈筋群:橈側手根屈筋長掌筋尺側手根屈筋浅指屈筋
手関節伸筋群:長橈側手根伸筋短橈側手根伸筋総指伸筋小指伸筋尺側手根伸筋
・spurt muscle:上腕二頭筋上腕筋。速い運動に有利な筋。負荷がない状態で主に働く。
・shunt muscle:腕橈骨筋。トルクの発生に有利な筋。負荷がかかると積極的に活動する。
・emergency muscle:腕橈骨筋。通常の運動では活動せず、大きな負荷や可動性が必要なとき活動に参加する。
 

【関節】
・腕尺関節:上腕骨滑車と尺骨滑車切痕からなる螺旋関節。屈曲と伸展を行う。
・腕橈関節:上腕骨小頭と橈骨頭窩の間の球関節。屈曲と伸展。螺旋運動(前腕の回外・回内運動時)。
・上橈尺関節:橈骨頭の関節環状面と尺骨の橈骨切痕との間にある車軸関節。〔靭帯〕内側側副靭帯,外側側副靭帯,橈骨輪状靭帯。前腕の回外・回内運動に関与。
・下橈尺関節:尺骨頭の関節環状面と橈骨の尺骨切痕との間。手関節近位。前腕の回外・回内運動に関与。橈骨の尺骨切痕と尺骨の茎状突起との間に関節円板があり、下橈尺関節腔と橈骨手根関節腔とを隔てている。

【靭帯】
・内側側副靭帯:上橈尺関節:上腕骨内側上顆〜尺骨滑車切痕と一部鉤状突起。
・外側側副靭帯:上橈尺関節:上腕骨外側上顆〜鉤状突起下縁と尺骨の橈骨切痕後縁。
・橈骨輪状靭帯:上橈尺関節:尺骨の橈骨切痕前縁〜橈骨頭を取り巻き〜尺骨の橈骨切痕前縁。

【関節包】
・前後面:比較的緩やか。肘の屈曲・伸展を十分に行うことができる。
・内外側:強固。内転や外転の動きを抑えて、安定性を保持する。

【その他】
・肘角:生理的外反肘。成人男子では約10°,小児や女性では15°以上あることも。

参考文献1「基礎運動学」

子ども手当…1回くらいは貰えそうですが、何回もらえることやら…

「子ども手当なんて、あげなくていいんだ!」という意見を、よく耳にするようになりました。私が子育て中の親であることを知っている人でも、面と向かって言われることがある…。

政治不信の高まりを感じます。

私も、子どもがいなかったら賛成かどうかわからないし、結婚もしていなかったとしたら間違いなく反対だったかもしれない。

ともかく、くれるものはもらいます!

気になっているのは「子ども手当、何に使いますか?」という質問。この政策が有効かどうか、知りたい気持ちは分かります。でも、意味があるんでしょうかね?

お風呂にバケツ一杯の水を足してから、お風呂のお湯をいろいろな用途に使いました。身体を洗ったり、洗濯に使ったり…。さて、「さっきのバケツ一杯の水は何に使いましたか?」という質問にはどう答えたらいいのだろう?

普通の子育て世帯の金の使い方は、「必要な物だけを買う」というのが基本スタンスのはず。お金が無ければ借りてでも買わなければいけない物はあります。貯金があれば崩して買う。お金が余ったら貯金。このご時世ですから、必要でない物は買わない。

少子化対策としての効果は少しはあるかもしれません。経済効果はどうでしょうね。金が入ったからといって、(たとえ子どものための使途であったとしても)すぐ使う親というのはどうなんでしょう?経済効果も限定的な方が喜ばしいような気がします。まして、民主党の選挙対策としての効果など、目論んでいるとしたら言語道断!

効果が無い方が喜ばしい政策というのは、やはり良い政策とは言えないでしょうね…。

6月になれば、やはり毎月の幼稚園への支払いがあります。ミゾが無くなりかけているタイヤを買い替えないといけないかもしれません。年金や年金基金の一括支払いもこの時期です。これらの支払いも、子ども手当の振り込みも同じ口座だとしたら…子ども手当は何に使ったことになるんですか?

バカバカしい。銀行で決めて下さい。ヨロシク

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公文式の国語の教材2Aについてです。ひらがな読み書きを完全マスターし、毎分200字程度で文章が読めることを目指します。助詞の使い方も学びます。

最初の50枚はひらがなの学習です。早口言葉や回文も出てきます。次の50枚は「くっつきことば」で、助詞の種類と働きを学びます。次の50枚は「いつ?どこ?だれ?なに?」で、文章理解を深めます。次の50枚は、100字程度の文章を、内容を捉えながら、すらすら読む訓練です。

すいせん図書の文章は使われておりませんが、小学一年生の教科書から引用された文章を使って勉強します。

早口言葉とか回文とかことわざとか、けっこう面白がって覚えるものです。

意味はよく分からないとは思うのですが、突然ことわざを口にすることがあって、それがたまたま状況に合致しているときがあります。まさに「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的状況。

そうすると大人はとてもビックリしますから、得意満面です。「豚もおだてりゃ木に上る」的状態になって、頑張るようになります。早口ことばカードとかことわざカードとかお薦めです。

《つづく》

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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十二」を読みました。

この章は、平城上皇と嵯峨天皇との対立について詳しく書かれています。

薬子という女性が関わって国が傾いたということで、玄宗皇帝と楊貴妃の話にダブらせた見方ができなくもない、とのこと。

でも、唐の話は老皇帝と若い女性であるのに対し、こちらは熟女と若い帝。しかも、この熟女は権力を手に入れるためならどんな男とも関係を結んでいる。長恨歌のような詩にはとてもなりえない…。しかし、詩にならぬとも、使い道はある。

《以下引用》
…しかしながら空海はこれを安禄山ノ乱と見、不空とおなじことをした。
空海は、事件を始末する詔勅が出てからすぐ、
「沙門空海、言ス。…伏シテ望ムラクハ国家ノ為ニ」
修法をしたい、という上表文をたてまつっているのである。その修法がいかなるものであるかについては、日本の朝廷の認識を得させるべく唐の朝廷の例をひいている。唐においてはその宮廷の重要な建造物である長生殿を捨って修法の道場にあてているほどに大がかりなものだ、という。自分は高雄山でそれをやるが本来それほど重要なものだということをよく認識せよ、ということを言外にこめている。…

…嵯峨天皇はこの空海の企画とそれについての上表文によほど感動したらしく、とりあえずの費用として綿一百屯の下賜があり、あわせて嵯峨が得意とするところの七言八句の詩一首を空海にあたえ、自分の感動をつたえた。
《引用終わり》

このとき、この修法のために六年間高雄山を出ないと宣言しているにもかかわらず、一年後には嵯峨の命令で山城国の乙訓寺の別当になっている。これは、漢文的表現というのは表現世界にとどまるものであり、厳密に守る必要はないということを、空海も嵯峨も教養の前提として知っていたのだろう…ということです。

北京オリンピック開会式の映像も、同じことだったのかもしれません。嘘をつくこと、そしてそれを真に受けないことが中華式教養ということでしょうか?

平安の漢文的教養期が衰弱し、農民の出が武士や郎党として政権の基礎をなす鎌倉幕府期には、日本でもその習慣がなくなったそうです。

《以下引用》
…空海は多分に芸術とされる文章的世界と、そして現実とのあいだの境界が、ゆらゆらと立ちのぼる陽炎のように駘蕩とした時代人でもあった。その意味においてはいかがわしさのなかにものどかさがあるようでもあり、しかしながら同じ時代の人である最澄がそうでもないことを思うとき、空海の形相のしたたかさを思い、この男はやはり西域人不空の再来であるのか、とややぼう然とする感じで思わざるをえない。
《引用終わり》

《つづく》


セパレートケータイは、慣れてくると、分離して使うことが多くなります。

それは分離した方が使いやすい場面が多いということなのでしょう。何と言っても軽いですからね。

F-04Bにはモーションセンサーが付いてますから、万歩計にもなります。そこで先日書いたジョギングの時に計ってみることにしました。

このときは当然ながらセパレート。キーユニットを外せば約80g軽くなります。ジャージのポケットにしのばせて走る場合、80gの差はかなり大きい。

正確に計るには専用ケースに入れてベルトに固定しなければいけないのでしょうが、この際、正確さは問題ではありません。少しでも目安になればいい。画面にはその日の歩数と、EX値が表示されます。設定すれば、毎週月曜日に、先週1週間の成績がメールで来まして、「もっと歩きましょう!」みたいな評価も付いています。

さらに、東海道五十三次を歩くことができます。日本橋を出発して、箱根まできたところです。



東海道を制覇したら、お遍路さん(四国八十八カ所)にいくつもりです。楽しいので、1日20分から30分に増やしました。これは続けられそうです。

《つづく》

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