トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年04月

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「釈尊の生涯」(春秋社)
「7.太子の修道――(二)苦行」を読みました。

禅定で悟りが得られないと判断した釈尊は、苦行に挑戦しました。当時行われていた苦行は、大別して四種類ありました。

1.心を制御するもの
2.呼吸を止めるもの
3.断食によるもの
4.食を減ずるもの

心を制御する苦行とは「端座して上下の歯を合わせ、舌を上顎に着け、その姿勢のままで、心をもって心を制御、統制すること」ということですが、禅定と似て非なるものという感じですね。

呼吸を止める、あるいは食事を減らしたり絶したりというのは、体力を衰えさせる方法としては納得できます。

SMのMみたいのもので、こういうのはギリギリのところまでいくと気持ちいいらしいですね(もちろん聞いた話ですが)。当時のインドでは、変態趣味でも虐待でもダイエットでもなく、極めて真面目な目的で行われていました。とっても危険な話です。

太子はとっても真面目な性格だったので、いずれも超ハードなコースを選んでしまい、瀕死の状態を何度も経験したようです。

そして六年の修行の後、苦行の放棄を決意します。

《つづく》
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F-04Bのセパレートにも慣れてきました。それで気づくことは、ケータイの「見やすい位置」と「操作しやすい位置」は違うんだということ。

「見やすい位置」にディスプレイユニットを置き、「操作しやすい位置」でキーユニットを操作する…これはセパレートだからこそできることです。

テンキーもセパレートスタイルで使うことが多くなりました。

セパレートスタイルにして、片手にディスプレーユニット、もう片方にキーユニットを持つ方が使いやすいのです。これはスライドスタイルではウェートバランスが極端に偏っているために、スライドスタイルと言えども、片手で操作するのはちょっと辛いから。

ただ、セパレートスタイルでテンキーを使う難点は二つ。ひとつはキーユニットが栓抜きに見えること(ビール瓶の頭をカンカンと叩きたくなる)。もうひとつは両手がふさがってしまうこと。

ディスプレーユニットをどこかに立てておけばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、それがF-04Bの最大の弱点なのです。ディスプレーユニットを立てることがとても難儀なのです。

寝かせて置いては見にくいし、と言って適当なスタンドが見つからない。私の場合は、苦肉の策として卓上ホルダ(!)を使ってます。家で使うときは勿論、車の中とかで使う場合も、卓上ホルダにディスプレイユニットをポトンと入れて、キーユニットで操作します。だから、卓上ホルダは常に持ち歩いています!

但し、これはディスプレイを縦に置く場合に限られます。そこで横に置く場合はどうするかと言うことなのですが、試供品のスタンドストラップを使って下さい!ということになっています。これを準備したということは、この問題点に気づいていたということですね。ただ…使えないことはないんですが、かなり不安定です。場所を選びます。

結局、私は横で見ることは諦めて、ワンセグを見る時も卓上ホルダに入れて置くことが多いです。

写真の撮影やワンセグのチャンネル切替など、セパレートの利点として挙げられている事柄は全て、ディスプレイを安定した状態で立てておくことが前提になります。

だから、セパレートの利点が、この弱点によって吹き飛んでしまう可能性さえ有ります。改善して欲しいな…とは思うのですが、具体的改善策はちょっと思いつかないですね…他は良くできてますから。

《つづく》
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〈起始〉:上腕骨の外側上顆,前腕筋膜
〈・〉:小指伸筋の上(★陽池★外関★支溝★三陽絡★四とく)
〈停止〉:示指〜小指の中節骨底・末節骨底

〈作用〉:
肘関節▲伸展
手関節▲背屈
MP●伸展,PIP●伸展,DIP●伸展(示指〜小指)。

〈神経支配〉:橈骨神経の深枝〔C6〜C8〕

〈筋連結〉:
小指伸筋短橈側手根伸筋回外筋尺側手根伸筋示指伸筋

〈触察〉:
・手根部後面の中央部を腱が走行する。この腱と上腕骨外側上顆を結ぶ線上に筋腹が存在する。大きく2つの筋腹に分けて触察でき、橈側方の筋腹は短橈側手根伸筋と誤認しやすい。

〈関連痛領域〉
・該当なし。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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昨年の事業仕分けで話題になった蓮舫さんの言葉「一番になることがそんなに重要なことなのか?」

これに対してはいろいろな意見があると思います。私の耳に聞こえてきたのは「重要に決まってるじゃないか!」という意見だけでした。

そしてオリンピック。「金が取れない!悔しい!」という声。やはり、一番は重要なのか…。

それからトヨタのリコール問題が起きました。アクセルペダル問題とプリウス問題は区別すべきです。アクセルペダルのリコールが遅かったという問題は、国内で販売された車の部品と米国で売られた車の部品が全く違っていたということですから、クロなんだろうと思います。でも、プリウスはシロなんだろうと思います。運転者のABSに対する無理解や、ブレーキとアクセルを間違えたという単純ミスなのではないかと。…私の憶測ですけど。

アクセルペダル問題に便乗して、プリウス問題が米国内で急加速して止まらなくなったのは、「トヨタが大きくなるのは気に入らねえ」という感情が理由なんだろうと思います。…これも、私の憶測ですけど。

私はドイツ車を乗っていたことがありますが、ブレーキのチューニングが日本車と違っていて、とても怖い思いをしたことがあります。ドイツ車に詳しい人に聞いたら、「(そのメーカーの車は)そうなんだよ。」と言われてビックリ。アメ車に乗ってる人からは、「アメ車はもっとひどいよ。燃料のメーターも当てにならないよ。」と言われて2度ビックリ。だから、アメリカで会った技術者は殆ど皆が日本車を乗ってたんだな…と納得したのでした。

だから、安全性において、トヨタがアメ車に負けるなんて信じられない。というか、信じていません。オバマ大統領が鳩山首相に抱いているのと多分同じくらいの不信感を持っています。

要するに「出る杭は打たれる」

そこで、「一番になることがそんなに重要なことなのか?」という言葉を再び思い出したのでした。

蓮舫さんへの反論は、研究開発で一番にならなければいけない、そうしないとその分野で一番になれない、ということでした。それは結局どういうことかと言えば、一番になれないと一番儲けることができない、ということです。

もちろん、銅よりも金、銀よりも金、金メダルは確かに価値があります。でも、それはモチベーション・アップのための方便で留めておかなければいけないと私は思います。一番になることが最終目標になってはいけない。一番を狙うという利己的努力・研鑽の先には、自他不二の境地に立った別の目標がなければならない。

その視点に立てば、国外企業への妬みもなくなるでしょうし、そもそも競争も無くなってしまうわけです。それが一番無駄を省くことにつながるんでしょうけど。

鳩山内閣の存在が重要かどうか、みんな分からなくなっています。事業仕分け第二弾の行方を見守って、内閣を仕分けしたいと思います。
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公文式の算数の教材2Aについてです。基本的な足し算(たす10まで)の暗算力を養います。

磁石すうじ盤100を6分以内という目標が設定されています。

この単元を終えるころには、数を数えないで計算できるようになるのが望ましいとのこと。

最初は「できない!できない!」とわめきちらしていた娘たちですが、いつの間にかできるようになっていました。反復学習のたまものです。スラスラと答えを書き込んでいく姿は、頼もしくもあり、少し気味が悪いようでもあり…

「終わったら、アメあげるよ!」と言うと、次女は途端に計算が速くなります。そんなところは、まだまだ子どもですけど。

《算数A教材に進む》
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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の十九」を読みました。

大宰府を立った空海ですが、和泉国(大阪府南部)の槇尾山寺に留まり、尚も京に入ることをしませんでした。ここで、もち帰った経典類を整理するとともに、おそらく恵果から託された「両部不二」の着想を論理化・結晶化させていったのではないかと思われます。

この間、最澄は苦しい立場に追い込まれていきます。最澄は旧仏教(奈良仏教)に対して、「論であって教ではない。天台宗こそ教たりうる」という批判をしていました。唐に行く時には「天台宗でいいぞ!」と言ってくれた桓武天皇が、帰国してみると「密教だ!」ということに豹変しておりました。越州で密教(雑密の一種)をちょっとかじってきたということに大喜びされてしまい、それを用いて旧仏教の長老たちを潅頂するよう、最澄は命じられます。

後になって思えば、この命を気骨をもって、辞退すれば良かったのでしょうが、相手が二度も遷都するような強引な帝ということになれば、楯つくこともできないのが普通です。

最澄に対する旧仏教勢力の憎悪が頂点に達したところで、この原因をつくった張本人の桓武天皇が御隠れになります。そのすぐ後に、正統な密教の継承者となった空海が帰国。空海は旧仏教勢力とは親しい関係にありました。

当時は政教一致ですから、空海の登場は政変と言ってもいいような気がします。が、歴史上あくまでも宗教の話となっているのは、空海の密教が余りにも完璧だったからではないかな、と思います。空海も持っていたにちがいない野望を、完全に覆い隠すほどに壮大かつ堅固な「法」の要塞…。

《以下引用》…
いまでも、私のなかにその疑問がある。真言宗は空海以後、多くの俊才が出たが、しかし教義を発展させるという仕事は、ほとんどしていないように思える。空海が、完璧な体系をつくりすぎたせいではないか、ということである。

空海と最澄とはさまざまな面で対照的であるが、この面でも逆であった。最澄は唐から持ちかえった天台宗や越州の密教を、多くは整理しきれず、その間奈良仏教との抗争などで忙殺され、未整理であることを憂えつつ死んでしまった。しかしひるがえっていえば、そのことがむしろ後世を益したともいえるのである。たとえば天台密教の成立は最澄が死んでからのことであったし、また鎌倉の新興仏教の祖師たちが、最澄の持ちかえったものを部分的に独立させ、部分において深めたことなどを思うと、最澄のように、唐から請来した諸思想を完璧な一個の体系にすることなく――極端な言い方をすれば――叡山の上に置き去りにしたというほうが、歴史の発達のためにはよかったかもしれない、という意味なのである。
…《引用終わり》

対照的な二つの体系が併存したことは、仏教史のみならず日本史を豊かにしたと言えるでしょう。

《つづく》
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「釈尊の生涯」(春秋社)
「6.太子の修道――(一)禅定」を読みました。

当時のインドで、人生問題を解決し、輪廻から解脱する方法としては、禅定と苦行が一般的だった。

最初は坐禅瞑想によって、梵我一如を思惟観察し、聖音オーンを念想し、梵我の一元論を主張していた。次の段階として、個人的な精神原理(プルシャ:神我)と物質原理(プラクリティ:自性)という物心二元論が主張されるようになった。

精神原理と物質原理の対立が諸悪の根源であり、これを取り除く方法、即ち物質の束縛からの精神の自由を得る方法が瑜伽禅定である。瑜伽とは禅定と同義で、精神を一点に集中して、外部からの物質的肉体的な刺激や誘惑にも動ぜず、精神の統一と自由なはたらきを実現させるものである。

一方、肉体を苦しめて衰弱させ、肉体の束縛から精神を解放しようというのが、苦行の考え方である。

まず、太子(釈尊)は禅定の修行を目指し、アーラーラ・カーラーマに、続いてウッダカ・ラーマプッタに師事した。

アーラーラ仙は無所有処定(何物にも執着しない無一物の状態となった禅定)を得て、これに到達すれば、人生の最高の理想が達成されると主張した。ウッダカ仙は非想非非想処定(精神作用があるのでもなく、ないのでもないような、一種の無念無想の精神統一の禅定)を理想とし、それで輪廻から解脱できると説いた。

太子はこの段階ではどちらにも満足できず、苦行の修行の方へと移っていく。が、この二つの禅定は、仏教でも採用されることになる。

《つづく》
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くもんのすいせん図書(4Aの2番)「ぶたたぬききつねねこ」を読みました。(小林教室収蔵

タイトルがしりとりになっていますが、本文もしりとりになってます。だから名詞だけが続いていることになるんですが、それでいて何となくストーリーがあるみたいな感じなので不思議です。

馬場のぼるさんの絵が、単なる名詞の羅列ではないものにしているということなんでしょう。

「おかあさんといっしょ」とかに出てくる童謡にあるのは「こぶたたぬききつねねこ」です。こちらは「こ」で始まって「こ」で終わりますから、延々と循環する構成です。

身近な動物でこういう組み合わせは他にないのかな?と考えてみたくなります。植物ではどうだろう?魚だったら?鳥だったら?

こうやって言葉遊びをしていけば、語彙がどんどん増えていくことになります。
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〈起始〉:上腕骨の外側上顆,橈骨輪状靭帯,総指伸筋との間の腱板
〈・〉:長橈側手根伸筋と隣接(★温溜★下廉★上廉★手三里★曲池
〈停止〉:第3中手骨の底

〈作用〉:
肘関節▲伸展
手関節●背屈●橈屈
〈神経支配〉:橈骨神経の深枝〔(C5)〜C6〜C7〜(C8)〕

〈筋連結〉:総指伸筋回外筋長橈側手根伸筋示指伸筋

〈触察〉:
・短橈側手根伸筋:前腕部後面の中央部から1横指橈側方の部位に指を押し込むと、短橈側手根伸筋と総指伸筋の間の溝がある。この橈側方が短橈側手根伸筋。
・起始部:上項の筋腹に沿って、上腕骨外側上顆まで辿る。
・停止部:上項の筋腹に沿って尾方に辿り、前腕部後橈側面を走行する筋腹を触察する。手関節を自動的に背屈させると、前腕部後橈側面の近位1/2の領域で、膨隆を視察できる。但し、総指伸筋の橈側部と誤認しやすいので注意。

〈関連痛領域〉
・手の背側。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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セパレートケータイ docomo F-04B

先日も書きましたが、巷の噂はグーグルケータイとiPadに集中しております。その噂話をセパレート・ケータイで読むという構図…。

さて、気を取り直してF-04Bですが、セパレートですから当然二つのユニットに別れます。ディスプレイユニットとキーユニット。

この二つがピッタリ重なった状態がベーシックスタイル。スライドさせてテンキーを出した状態がスライドスタイル。二つに分離した状態がセパレートスタイル。さらにセパレートスタイルのキーユニットは、そのままではQWERTYキーですが、スライドさせればテンキーが出てきます。

最初、電話を受けるときに困りました。電話の話し方もいろいろあるからです。ボタンを押してベーシックスタイルで取るやり方。スライドさせてスライドスタイルで取るやり方。セパレートスタイルで取る場合も、ディスプレイユニットで話すこともできるし、キーユニットで話すこともできる。

電話がかかってくると名前が表示されますから、「この人はどのスタイルで取ろうかな…」と迷っているうちに切れてしまうことも…。

F-04Bの宣伝に、キーユニットで話しながら、ディスプレイユニットでスケジュールを見たり、メールを打ったりできますよ!というのがあります。確かに可能なのですが、最初はなかなか難しいです。

左手でキーユニットを持って耳に当てていますから、ディスプレイユニットを右手で持ってタッチパネルを操作することになりますが、片手でタッチパネルというのは慣れが必要です。

慣れるまで、お客様から電話がきた時にはスライドスタイルで受けるようにしていました。スピーカー受話の形にすれば、マルチでスケジュール帳が操作できますから。結局これはF905iの時からやってたやりかたなんですが。

迷った時はスライドスタイルにしています。これが従来のドコモケータイと同様の使い方なので、一番安心です。

当初それぞれのユニットに電池が要るから重いんじゃないか?と思いましたが、そうでもないです。169gあるんですが、セパレートじゃなくても149gという機種もありますから。むしろ87gと82gにセパレートすれば、とっても軽いです。

電池はディスプレイユニットの方が早く無くなりますが、キーユニットに余裕があるとディスプレイユニットに自動的に充電します。キーユニットの電池がリザーブタンクのような役割もしています。

「セパレート」の可能性を考えれば、iPadくらい大きくなってもいいんじゃないか?とさえ思いました。極端なことを言えば、ノートパソコン大(携帯できるギリギリのサイズ)になっても構わない。受話器だけユニットとして分離すればいいんですから。セパレートでなければノートパソコンを耳にあてがって話をしなければいけませんが、セパレートだったら何でもアリです。

DSとかプレステくらいの大きさなら十分可能性ありですね。大きい方が操作はしやすいですから。これから、どう展開していくか…楽しみでもあります。

《つづく》
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