トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2009年11月

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
公文式の国語の教材7Aについてです。200枚のプリント学習で、ひらがな全ての習得を目指します。

120枚のプリントがひらがなことばカード(1〜3集)と連動しています。

後半80枚は、「あ」から「ん」まで同じひらがなを含む言葉が列挙してあります。文字を覚えると同時に言葉も覚えていきます。

道路の看板やテレビの字幕などで読めるひらがなを見つけると喜んで読み上げます。その都度、こちらも素直に驚いて褒めてあげると、ますます喜んで字を探し始めます。

親としては何か用事を頼む場合も「○○って書いてある所から△△を持ってきて!」みたいな頼み方ができるので、ずいぶん助かるようになります。

字を読める喜び、親の役に立てる喜びに浸ると、ひらがな以外の文字にも興味が湧いてくるようです。

《国語6A教材に進む》

ブログネタ
司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の二」を読みました。

来年は平城遷都1300年だそうですが、実際に都が置かれたのは74年間。1300という数字と比べると見劣りがします。でも、ポンポンとお家を建て替えるが如く都を移っていくところに、当時の朝廷の権力の強さを感じます。今の高速道路に相当する古代道というのもあったようです。

元明天皇の詔から、平城京遷都は官僚主導で行われたと推察されるそうです。しかし、長岡京遷都は政治主導だったらしい…つい最近の話のように錯覚しそうでさえあります。

桓武天皇は『創意と行動力という点では多分に英雄的資質をもっているかもしれないが、反面子供っぽい性格をもち、子供が物事をやりちらすように諸事業をおこしたり、継続事業を断ち切ったり、皇太子を廃したり、なにやかやで、これがために官僚たちはふりまわされ、さらには世間が無用に混乱したりした。』と紹介されています。

今の政権交代もこんなふうにならなければいいのですが…この『独裁者』の思いたちで、奈良の平城京から長岡京への遷都が進められます。この移行期、中央の大学の「学生」(がくしょう)となった若き空海は、二つの都を行ったり来たりしながら学びました。

叔父の阿刀大足の手配で身分不相応の厚遇を受け、高級官僚養成課とも言うべき明経科に進学します。超エリートの出世コースなわけですが…

《以下引用》
…結局は、この創造力にあふれた少年は、ぼう大なもろもろの注疏の暗誦をしていっさい創意がゆるされないという知的煉獄にあえぎ、沙上で渇えた者が水を求めに奔るようにしてそこから脱出するにいたる。この知的創造を抑圧された煉獄のはてにきらびやかな代償としてあたえられるものが栄達であったが、しかしながらいったんこれを契機に疑問をいだけば、いったいそういう栄達が人間にとって何であるかという、渇者のみがもつ思考の次元にゆかざるをえない。しかも大学明経科において百万語の注を暗誦したところで、そこで説かれているものは極言すれば具体的な儀礼をふくめた処世の作法というものでしかなく、人間とはなにかという課題にはいっさい答えていないのである。経学は儒学の基幹ではあったが、ひとたびそれに疑問をもち、そこから跳ねあがって宇宙の課題のほうへ心をうばわれた場合、…儒学や儒者の世界が古ぼけた人形の列をみるように色あせてみえ、それを学ぶことによって支配者の下僚として世間を支配する方法は習得できるにしても、人間と宇宙を成り立たしめている真実や真理などはすこしも語られていないように思えてしまうのである。…
《引用終わり》

「人間とは何か」という最も根元的問題は、探っても探っても埒の開かない底無し沼のようです。若くしてはまり込んでしまうと、一生抜け出せない危険をもはらんでいる。でも、空海は違っていました。

《以下引用》
…空海における真言密教の中には型どおりの仏教的厭世観は淡水の塩気ほどもない。それが無いという機微のなかにこそ釈迦がはじめた仏教の伝統と異なったものがあるとみるべきであろう。むしろ人間がなまのままで、というよりなまであればこそ、たとえば性欲をもったままで、というより性欲があればこそ即身で成仏でき、しかも成仏したまま浮世で暮らすことができるというあたらしい体系なのである。これのみでそう考えるわけでもないが、空海は気質的な厭世家ではなかった。その証拠はいくつもあり、すくなくとものちに空海が大学をすてて無名の私度僧になったというのは厭世が契機ではない。むしろ空海は厭世家をばかにしたであろう。…
《引用終わり》

浅学の私の印象ですが、空海には猛烈な積極性を感じます。法然や親鸞のような「諦め」のようなものを全く感じない。それでいて、日蓮のような危なっかしさもない。

先を読むと、また変わるかもしれませんけど…。

《つづく》

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生き方を考える に参加中!
「青春」とは若い時ばかりを言うのではない!みたいな言葉があったような気がします。年を取ってても気持ちが若ければ青春なんだ!というような。ただ、気持ちの若さにこだわるのは、やはりそれなりの年齢の裏返しだろうとは思いますが。

同じことは「年寄り」という言葉にも言えるかもしれません。年齢に関係なく、気持ちが年寄りだという人もいます。これよりは気持ちだけでも若い方がいいですけどね。

高齢者と言っても今の人たちは、私の祖母の世代と比べたら随分若いです。身心ともに。それでも体の基本的な活動が緩やかになっていきますから、日常的なちょっとした筋肉痛や関節痛も回復に時間がかかるようになります。ひとつが治りきらないうちに別な箇所が痛んできたりする。

ここで、この痛みをどう捉えるかが重要だと思います。もちろん、まずは医師の診断をお薦めします。ひと通りの診察・検査が済んで、内臓からきているとか、手術が必要だとか、そういう診断ではなかった場合、適度な運動が一番いいはずなのです。

そこで、「少しずつでも体を動かしていこう!」という気持ちになれるかどうか。ここが、「老いても青春」となれるか、「それほどでもないのに老けてる人」になってしまうかの分かれ目です。

私もほとんど全てのお客様に運動をお薦めしています。大抵の方は運動の必要性を知っていて、しかもどんな運動が自分に必要かも知っています。テレビや講習会などで教わる機会が多いのですね。でも、なかなかできない。

それでもやろうとする人はいいのです。三日坊主であろうと、忘れたころにテレビや講習会や私に言われたりして思い出して、その都度やれば、それなりの効果は期待できます。

一番問題なのは、痛みの原因が何であろうと、痛みがある限り絶対に運動してはいけないのだ!という信念をお持ちの方がまだいらっしゃることです。少しだけ運動して「ますます痛み(筋肉痛)がひどくなった」とか「息がハアハアなった」とかおっしゃいます。

「それだけ筋肉や心臓や肺が衰えているということなんですよ。」と言っても、「だから鍛えよう!」という発想はなくて、「だから休まなくてはいけない」という方向にいってしまいます。

こういう人は、薬をたくさん処方してもらうのを好む人が多いです。友達と薬を比べて、自分の方が数が多いとか、自分の薬の方が強い薬だと言って自慢(?)します。

医師が「心配要らないですよ」と言うと、きっと自分は簡単には見つからない恐ろしい病気に罹ってしまったと思いこんで、さらに大きな病院、さらに遠くの有名な病院を受診したがります。やはり「心配要らないですよ」と言われると落胆し、さらに心配を重ねます。

「若年寄」という、若いのか年寄りなのか分からない役職名が江戸時代にあったそうですが、まだ若いのに年寄りみたいな「若年寄」より、年寄りなのに身心とも若い「若年寄」の方が断然いいですよね。

是非、後者を目指して下さい。

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悟りへの道 に参加中!
「仏教入門」(東京大学出版会版)
「一章 ブッダの生涯」を読みました。

お釈迦様に対する尊称「世尊」、仏弟子たちが使ったもので、経典にもよく出てきます。これが「バガヴァッド」で、漢字で書くと「婆伽梵」(ばがぼん)。「天才バカボン」の語源になったとも言われ、「バガボンド」もここから来ているとか。

普門品偈を毎日あげておりますが、これも「世尊…」で始まります。原語であげると「バガボン…」となるんでしょうね…。

世尊の生涯における4大事件は…
1.ルンビニーにおける誕生
2.ブッダガヤーの菩提樹下における成道
3.サールナート(鹿野苑)における初転法輪(最初説法)
4.クシナーラーにおける入滅

1と2の間の出来事として、王子という身分を捨て、妻子を捨てて、沙門になります。並々ならぬ志ある行動と言えますが、妻子を捨てるというのはどうかな…。後世にこれだけの影響を与える人になれるという確約があれば、できますけどね。ただ、王家ということであれば、妻子が路頭に迷うということも無かったでしょうから、いいのかな。

2と3の間の出来事として、伝道を決意するところが重要だと思います。
《以下引用》
自分の悟った真理は「深遠で、見にくく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の領域を超え、微妙であり、賢者のみのよく知るところである。」ところが世人は執着心をもっていて、道理を見る力がない。だから、「わたしが教えを説いても、他人がそれを理解してくれなければ、徒労に終わる。わたしはそのことを憂慮する。」と内省して黙然としていた。そのとき世界の主、梵天がブッダの心中を察して、「それではこの世は滅んでしまう。正しく悟った人の心が、何もしたくないと思っているのでは」と思い、ブッダの前に姿を現わして、
  願わくはこの甘露の門を開け。
  無垢なるものの覚った法を聴け。
とよびかけて、その説法を勧請した、とある。
梵天の勧請は史実とはいえないが、説法躊躇は心理的事実であったろう。説法を勧めるのは誰であってもよいが、その役目をヒンドゥーの最高神にさせているところに、仏教徒の意図が見られる。いわばインド世界における布教公認の願いである。さらに言えば、梵天より上に立ち、梵天に代わって世の崇拝をうける者としてのブッダの強調である。
《引用終わり》
「天才バカボン」扱いされるのを恐れたのでしょうね。梵天のセリフは、それを恐れるな!という、仏教を知った人間ひとりひとりへの勧請とも言えます。

3と4の間にサーリプッタ(舎利弗)と出会います。般若心経の「舎利子」です。懐疑論者サンジャヤの弟子であった彼が、モッガラーナと共に集団改宗します。サンジャヤの弟子250人を引き連れたということで、ブッダの教団にとっては大きな助けとなりますが、サンジャヤさんは気の毒だな。

ブッダの生涯については、後に別の本で詳しく見ていきたいと思います。

《つづく》

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科学 に参加中!
サイエンスZERO(11月7日放送分)を見ました。ミトコンドリアの最新映像でした。蛍光蛋白で光らせて…ということだったので、ノーベル賞をもらったクラゲの研究成果が生かされているのでしょう。

ミトコンドリアが細胞の中でゴチャゴチャ動いている。長い糸状になっていて、それが切れたり、他とくっついたりして、ATPを作り出しているようでした。高校の頃、参考書で見た絵とは随分違う。コッペパンのようなものが細胞の中に2,3個あるイメージだったのですが、細胞の中いっぱいに広がってゴチャゴチャしてる感じでした。

でも、運動不足だったり、糖尿病などの病気だったりすると、ミトコンドリアの数も減ってしまうということでした。

メタボ対策のため、あるいはダイエットのため、運動は欠かせません。そのモチベーションアップのため、今までは筋肉をイメージしていました。運動すると、筋肉が鍛えられる。筋線維が太くなる。活動が活発になる。筋肉内の霜降り脂が代謝される…そんなイメージ。

今度はそれにミトコンドリアが加わりそうです。細胞の中でミトコンドリアがゴチャゴチャ動いている。運動すると更に活発に働いて、細胞の中で増えていく。そしてATPがどんどん作られていく…

大学の頃、ちょっとだけタバコを吸った時がありました。ところが、ちょうどその頃に講義の中で、タバコに蝕まれた気管の写真というのを見せられました。真っ黒になっているとても気持ちの悪い写真で、それから吸う気がしなくなりました。だから、イメージというのはとても大事だと思います。

が、ダイエットの場合は筋肉のイメージだけでは効果がありませんでした。今回ミトコンドリアのイメージを加えることで何とかならないかと期待しております。

〈起始〉:肩甲骨の棘下窩,棘下筋膜
〈・〉:三角筋の下(★臑兪),★天宗
〈停止〉:上腕骨の大結節の中央部,肩関節包

〈作用〉:肩関節●外旋●水平伸展
〈神経支配〉:肩甲上神経〔(C4)〜C5〜C6〕
〈筋連結〉:棘上筋三角筋小円筋大円筋広背筋
rotator cuff:棘上筋腱,棘下筋腱,肩甲下筋腱,小円筋腱

〈変異〉:非常に高頻度に小円筋との癒着が見られる。

〈触察〉:
・肩甲骨棘下窩:肩甲骨内側縁,外側縁,下角,肩甲棘で囲まれた領域。
・溝1:棘下筋と大円筋の間の溝。肩甲骨の下角から1〜2横指頭方の部位で、内側尾方から外側頭方に走行する。
・棘下筋:肩甲骨棘下窩のうち溝1より頭方の領域から起こり、上腕骨の後方を走行して大結節に終る。
・停止付近:三角筋に覆われるが、走行方向が異なるので触察できる。
・上部:一部が肩峰に覆われるので、肩峰の尾方から指を押し込んで触察。
・下部:単独の硬い筋腹として触知されることが多い。小円筋と誤認しやすい。

〈関連痛領域〉
・肩甲骨の内側縁の上、三角筋中部もしくは後部領域上、腕の下方橈側、示指と中指の2本または示指から薬指の3本まで。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」

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悟りへの道 に参加中!
DNA…その人の遺伝情報が全てしまいこまれている。

複製のミスが無い限り、その人の細胞のひとつひとつが同じDNAを持っている。

ひとつの細胞が生まれる時、個々の細胞は、同じDNAなのに、それぞれ違った読み方する。それぞれの解釈で、思い思いに自分の体を形成していく。

だから、同じDNAなのに、脳ミソになったり、目玉になったり、口になったり、肛門になったり…する。

DNAこそが完全な情報。しかし、完全なまま細胞という姿になることはできない。完全な情報の一部分だけを活性化させて、偏った、不完全なものを指向することによって、情報は具現化する。

言わば、世に出ることを許される。

この宇宙も対称性の破れによって出現したとか。この宇宙の素粒子が完全にバランスが取れていたら、一瞬の光となって消滅したらしい。でも、そうではなかったらしい。完全にはバランスは取れていなかった。

やはり、この世は不完全なものだけが存在を許されるらしい。

やれやれ。

不完全なる我が身、不完全なる我が心…故に我あり。

しかし、DNAを思い起こしてほしい。不完全な姿をした細胞たちも、みんなDNAという完全な情報だけは持ち合わせている。この捻じくれた心にも、真っすぐなもの、完全なものが潜んでいるやも知れぬ。

としたら…

自分の中に完全な何かが潜んでいることを信じて、完全なる全体の一部としての自分を、しっかりと務めあげようではないか。

口は口として、肛門は肛門として、自分の務めを全うしようではないか。

生きとし生けるもの、この世の存在物の全てが、偏った不完全なるものではあるけれど、全体を含む完全なものを我々は共通に内蔵している。

個々が、それぞれの偏った活動に励むことによって、全体は生き生きと成立していく…

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公文式の国語の教材で一番簡単なのが8A教材です。プリント形式になっていますが、最初の100枚はひたすら童謡を聞きましょう!というものです。

絵を見て、歌を聞きながら、少しずつ言葉に出会っていく。童謡カード(1〜3集)収録の90曲全てを、90枚のプリントを見ながら聞いていきます。

さらに10曲(10枚のプリント)は「うたの絵本」からの抜粋です。

「童謡カード」と「うたの絵本」全曲で194曲、さらにおうちの人とプラスアルファすることで、「200曲おぼえる!」というのが目標です。

8A教材の後半100枚は、何と漢字です。「漢字カード」と連動しています。

童謡を覚えたばかりで漢字は早いんじゃないか?と思われるかもしれませんが、これが後々いいみたいですよ。

もちろん、ここの段階では漢字を「絵」として見ていればいいのです。この記号パターンを認識する場所を頭の中にちょっとだけ確保しておくだけです。

当然、漢字の読み書きは、かな文字の学習の後なのですが、漢字を認識する場所が確保できていると、漢字にも全然抵抗なくスーッと入っていきます。大人の方が戸惑ってしまいます。

《国語7A教材に進む》

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司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「第二章 讃岐」を読みました。

NHKで『坂の上の雲』がドラマ化されましたが、夫人の話によると「空海を考えていた頃と、『坂の上の雲』の執筆とは重なっていたんじゃないかしら。でもね、書こうと思ったことはまったく反対のことじゃなかったかなって思うんですよ。」ということです。ドラマも見ながら読んでいけそうで、なかなかタイムリーです。

空海を天才にした要因を、司馬遼太郎は3つ挙げています。「混血」「母の家系」「国際性」です。

「混血」とは、蝦夷のような大和朝廷に征服された人々が讃岐にも流されているので、空海もその血を受け継いでいるのではないか?という司馬遼太郎の仮説です。

「混血」とは「ハーフ」ではなく「ダブル」なのだ、という鎌倉さん(プロデューサー)の指摘も面白い。蝦夷と言えども完全なひとつの文化を持っていたわけで、ふたつの完全な文化を受け継ぐということは、可能性が倍以上に広がります。ハイブリッドしただけで、新しいものを創り出すことができるからです。

「母の家系」については、詳しくは本書を読んでいただくとして、叔父さん阿刀大足(あとのおおたり)は桓武天皇の皇子の個人教授に抜擢されるほど儒学に秀でていたことが大きいでしょう。若き空海もこの人の教えを受けていますから、空海の儒教の知識は一流のものだったと推察されます。

「国際性」とは、幼少期を過ごした讃岐の地は唐に向かう遣唐使船を浜に立って見ることができただろう、ということ。小さい時から、大陸に目が向いていたに違いありません。

満濃池とか荘内半島とか見たこともない土地ですが、グーグルの航空写真を見ながら読んでいます。


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《つづく》

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どうしようもない政治 に参加中!
タバコ税増税がまた持ち上がってきました。吸わない人からすると痛くもかゆくもないし、煙たくなくなるだろうから、反対する理由はないのです。何度も話題になってるし、いいんじゃないですか…という感じです、正直なところ。

ただ、「自分さえよければいいのか?」と言われると感ずるところはあります。「高額所得者には増税します!」と言われても、取りあえず「賛成!」とは言いますが、やはり「自分が該当しなければあなたはいいんですか?他人にだけ払ってもらってそれでいいんですか?」と言われると、良心の呵責みたいなものを感ずるのです。

タバコ税の最も合理的な根拠は、健康保険とのからみだと思います。喫煙者の罹患率は様々な病気でとても高いです。喫煙のために病気にかかった場合、健康保険を使わないで全額負担で治療するのならいいわけですが、そうでない以上、喫煙が国民医療費(健康保険からの支払い)を跳ね上げていると言われても仕方がない状況ではあります。応分の負担を喫煙者はすべきである、という主張は理にかなっています。

でも…

喫煙しない人で、似たようなケースは無いでしょうか?自分の場合について考えてみたら、ひとつ思い当ったのです。メタボです。脂肪肝・脂質異常・痛風・高血糖・糖尿病の予備軍かその手前(召集令状をもらったくらい)には該当しています。そして、こういう人は同じように様々な病気で罹患率が高くなります。

としたら、これにも課税するのが理屈ですよね…。腹囲85cmを超えた分に関して課税します!と言う感じ。

タバコ税増税に関する街頭インタビューで意外だったのは、「バカヤロー!」という猛反発が喫煙者の中にもほとんどなかったこと。「増税になったら健康のためにやめますよ」と寂しそうにポツリと言う人が多かった。

私もメタボ税について街頭インタビューされたら、「これを機会に本気で痩せますよ…」と寂しく答えるんだろうな…

タバコ税やメタボ税など、こういう趣旨の税金を「健康税」と呼ぶのがいいかもしれません。「健康税」と「環境税」は趣旨(たてまえ?)が立派なだけに反対もしにくい。これからの大きな税源に育つかもしれません…

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