トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2008年11月

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科学 に参加中!
「序.内なる情熱」を読みました。自然科学をやる人は冷めた人が多いと思っていたので、なかなか情熱的な人なんだな〜と感心しました。経歴を見たら、東大の理学部と法学部を出ている。文系とか理系とかにこだわるな!と言うのも分かります。

「知る」ということは結局は脳に帰結する!という指摘は私も同感です。以前、そう思った時に手にした本が養老孟司であり、ペンローズ(茂木健一郎訳)だったのですから。

ちょっと首を傾げる比喩も多々あるのですが、それは私の文章とて同じでしょう。自称「自然哲学者」の文章を楽しんでいきたいと思います。

《つづく》

思考の補助線
思考の補助線

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初雪の残りだから、初残雪。余り聞いたことないな…こんな言葉は無いんでしょうね。

「あ!雪だ!」と叫んで、次女が走って行きました。どんなに寒くても、どんなに冷たくても、いじりたいんですね。

雪やこんこん、あられやこんこん…犬は喜び庭駆け回り…

というのがありますが、次女は戌年(いぬどし)生まれ。犬の性なのでしょうか。

このとき長女は、一目散に茶の間に行きました。申年(さるどし)生まれの彼女は、コタツで丸くなるネコに近いようです。

初雪

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「意識の形而上学」第一部「存在論的視座」の「.真如という仮名(けみょう)」と「.言語的意味分節・存在分節」を読みました。

《以下引用》…東洋哲学の諸伝統は、形而上学の極所を目指して、…日く「絶対」、日く「真(実在)」、日く「道(タオ)」、日く「空」、日く「無」等々。いずれも、本来は絶対に無相無名であるものを、それと知りつつ、敢えて、便宜上、コトバの支配圏内に曳き入れるための仮の名にすぎない。《引用終わり》

言葉では表せないものだけれども、言葉にしないと始まらないから、敢えて別物への置換をせざるを得ない。

《以下引用》…対象を分節する(=切り分け、切り取る)ことなしには、コトバは意味指示的に働くことができない。絶対無分節的な「形而上学的なるもの」を、例えば「真如」と名づけたとたんに、それは真如なるものとして切り分けられ、他の一切から区別されて、本来の無差別性、無限定性、全一性を失ってしまう。だからこそ『起信論』は、「真如」という語を使いながら、それをあくまで仮名にすぎないと強調し、仮名だ、仮名だ、本名と間違えてはいけない、とあれほど繰り返すのだ。《引用終わり》

確かに形而上学のキータームであれば尚更でしょうけれど、日常的にも、言葉を重ねれば重ねるほど嘘っぽくなるもどかしさを感じることはあります。ラブレターなんかそうじゃないかな。少なからず伝えることと伝わることは違ってしまうものだし、聞き手によって受け止め方が全然違います。恋愛なんて、うまくいくも壊れるも、この誤解の産物ではないでしょうか?

宗教を説明することは、自分の崇高な愛情を伝えようとするラブレターのようです。『起信論』も、一切衆生を暖かく包んで守ってあげようというラブレターに見えなくもない…

《つづく》

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NHK「ためしてガッテン」(10月29日放送分)を見ました。45分も持たせましたが、結局のところスロートレーニングでした。

ダンベルとかバーベルとかマシンでの筋トレでは、通常数回しかできないほどの高負荷をかけます。これではお年寄りにはとても薦められない。

ところが、スローならばそんなに負荷は要らない。軽い負荷でゆっくりと…というのだから年齢・性別を問わない画期的な筋トレということになります。

詳しくはNHKのHPをご覧いただくとして、私の場合、ゆっくりの腕立て伏せ,腹筋,スクワットをお経を唱えながらすることにしました。

回数を数えることにもなるし、運動中ずっと息を吐くことになるから血圧の上昇を防ぎます。更にお経を覚えることにもなるし、いろいろと御利益がありそうだし…

なるべく続けたいと思います。

《つづく》

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わたしたちは「純粋」を良いことだと思っている

不純物を取り除いたものを好んで食べ

不純物を取り除いたものを用いようとし

心も「純粋」であることがいいと思っている

でも…

不純物はどうしているのだろう

価値のない物として、邪魔扱いして、

外に捨ててしまった

だから…

地球がゴミだらけになってしまった

世の中はゴミだらけになってしまった

どう頑張っても体や心に入り込んでしまうほど

ゴミだらけの世の中になってしまった

《最初から読む》

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NHK に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#54」(11月11日放送分)を見ました。明治大学の山口仲美先生でした。日本語学の研究者。「日本語って"ヤバい"」というタイトルでしたが、日本語以上にヤバそうなオバサンでした。

言葉の変遷の歴史を生物の進化のように捉えた視点は面白いと思いました。昔は「つめたい」も「さむい」と言っていたそうですが、いつしか区別されるようになった。しかし、「あつい」にはこの区別が発生せず、文字上の「熱い」と「暑い」の区別のみとなった。

日本語の特徴として、具体的な物を表現する大和言葉はたくさんあるが、抽象的な概念を表す言葉はほとんど漢語なのだそうです。

言われてみると、そうかもしれない。目の前の物についてあれこれやり取りすることで満足していた時代に、抽象的な概念が大陸から輸入されたのかもしれない。仏教経典の形が多かったでしょうね。

鎌倉時代に、武家社会の中で論理的なやり取りの必要に迫られ、助詞が生まれたそうです。それまで主語と述語がただ並んでいるだけの日本語が、論理性を獲得した。

言葉は生き物のように進化すると考えた時に、あるいは抽象的概念や論理性を持つような段階で言葉は大きく変化(進化?)しているわけです。保守的な人から見れば言葉の乱れ(退化?)でしょうが、時代が下ってみると間違いなく進化なわけです。

だから…「正しい日本語」とか「美しい日本語」とか「日本語が乱れている」とか、僕は変な捉え方だと思います。

「今の日本語は、言葉がたくさんあり過ぎる、表現のバリエーションが有り過ぎるからダイエットしましょう。」と、先生はおっしゃっていました。が、僕は大反対。これは研究者の御都合主義か、優生学だな…

こんな意見を聞いたら、この先生の顔がナチスの幹部のように見えてきました。本当にヤバそうな感じ…

《つづく》

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悟りへの道 に参加中!
ある男が高級レストランに訪れた

男は店で評判のメニューを片っ端から頼み、見事に平らげた

無理に食べるというふうではなく

やけで食べるというふうでもなく

とても上機嫌で、たった一人なのに、食事を楽しんでいた

そう、男は正真正銘のグルメなのである

しかし、支払いを求められると、男は途端に不機嫌になった

男は言った

私は正真正銘のグルメだ

私はこの店の料理を楽しむためだけに来た

純粋にこの店の料理を楽しみたいのだ

お金を請求されるなんて、不愉快だ!

なんて無粋な店だ!最高の料理がぶち壊しだ!

金がないわけじゃないんだが…

そう。純粋なグルメは食事だけを楽しむ。それ以外のものは望まない。特に請求書は好まない。

《つづく》

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パトカーを見たら、シートベルトを確認する、携帯はいじらない、制限速度を守る、というくらいが注意事項だと思っていたのですが、最近はそれだけではダメらしい…そんな事故を目撃してしまいました。

11月20日午前10時15分ごろでした。私は山形県寒河江市西根の国道112号の交差点(寒河江警察署がすぐ近くにある)に向かって北進しておりました。

前方にパトカーが信号待ちしていました。警察の方とは苦い思い出もありまして余り近づきたくなかったので、ゆっくりパトカーの後ろに接近していったのですが、交差点の角のモスバーガーの駐車場から車が出てきて、道路に斜めに頭を出した状態になりました。トヨタのノアみたいな車でした(以降ノアと書きます)。パトカーと私の間にノアが入ってくれたので「あ〜良かった」と思ってました。

ところが、このパトカーが何を思ったのかバックし始めたのです。「おやおや、まさかぶつかったりしないよね」と思って見ていたら、ドシンという感じで、パトカーとノアが揺れました。なんと、完全に停車しているノアにパトカーがバックして衝突したのです!

パトカーから二人の制服警官(40〜50代のベテラン風)が出てきました。ノアからは30代くらいの女性。警官はさすがに事故処理に慣れているらしく、さわやかな笑顔で女性に駐車場に車を止めるように合図しました。ノアがバックすると、パトカーの後ろのバンパーがベッコリへこんでいるのが見えました。

このとき、雪が少し降っていたのですが、日も照っていて視界が不良ということはありませんでした。融けかかった雪が路上にありましたが、ノーマルタイヤでも問題ない路面状態。ノアはパトカーの後ろに完全停止してから少なくとも3秒は経っていたはず。ノアのような大きな車が死角に入るとも思えない。パトカーが後方確認を怠った以外に、事故原因は考えられません。

若葉マークとか落ち葉マークとか身障者マークとか付けていない車が…というか皆の模範となるべきパトカーが!

恐ろしい世の中になったものです。こんな間抜けた運転をしていて、狡猾な犯罪者と闘うことができるのでしょうか?

ともかく皆さん!パトカーを見たら気を付けてください。ケータイとかシートベルトとかスピードメーターの確認も大事ですが、まずは危険回避に努めるべきです。パトカーが自分に突っ込んで来ないかどうか、チェックしてください。

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年子子育て奮闘記 に参加中!
今年の紅葉はどこも綺麗だったような気がします。と言っても、紅葉狩りらしいお出かけはできませんでしたから、専らテレビで見ての感想なのですが…

我が娘たちは土いじりとか、石拾いとか、昔の子供のような遊びが好きなようです。遊園地で乗物に乗るより、地面にうずくまって何かしている方が楽しそうです。ビンポーだから、そういう遊びが自然と身についたのでしょうか…

先日、妻の実家の庭で、落ち葉を集めて遊んでいました。これが本当の紅葉狩り。立冬も過ぎた今ごろになって、とっても秋らしい写真が撮れました。そして翌日には初雪が降りました。

お姉ちゃんが目に手をやっているポーズは、現在練習中の御遊戯会での踊りの一部。今月29日が本番です!

秋を掻き集めて

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まず、空海以前の仏教を勉強したいと思いまして、インドから日本までの道程を描いた「密教」を読みました。そこで、空海に入る前に知っておきたいことが2つ出てきました。「大乗起信論」と「龍樹」です。

岩波文庫の「大乗起信論」を買ってパラパラしたら、解説の一番最後に井筒俊彦先生の「意識の形而上学」について言及されておりました。
《以下「大乗起信論」から引用》
…同書は井筒先生の思索の最後に行きついたところとして重要な内容をもっているが、とくにそれが『大乗起信論』であったことは象徴的である。というのは博士は西洋の神秘思想からはじまり、イスラムの神秘主義の探究を主な研究領域とされながら、最後に東アジアの思想伝統に戻ってこられた。《引用終わり》


井筒俊彦先生もこれまで何度もお名前をお見かけする巨人なので、いつか読みたいと思っていました。そんなわけで、「意識の形而上学」を読みながら、岩波文庫の「大乗起信論」をパラパラしてみることにしました。

第一部「存在論的視座」の「.序」と「.双面的思惟形態」を読みました。

『大乗起信論』は「大乗仏教への信心を起こさせる書」ということなので宗教書なわけですが、これを哲学書として読むぞ!と井筒さんは宣言しています。(私も「哲学としての仏教」というアプローチを大切にしたいと思っております。)

『起信論』の思想スタイルの特徴として、 双面的思惟形態であることを指摘しています。
《以下引用》…思惟が至るところで双面的・背面的、二岐分離的、に展開する…思惟の進み方が単純な一本線でない…そこに、この論書の一種独特の面白さ、と難しさ、とがある。《引用終わり》

これは、仏教全般に言える傾向なんじゃないかな?と思うんですが。それを私はアンビバレントとかバランスという言葉で表してきたつもりです。

同じなのか違うのか…先が楽しみな本です。

《つづく》

意識の形而上学
意識の形而上学


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