トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2008年10月

平均:1969円
最安値:1600円
最高値:3000円

9月は、「昨日は冷房していたのに今日は暖房が要るみたい!」という声が聞かれるほど、急に寒くなりました。暑い→ちょうどいい→涼しい→寒い、という段階を踏むのが普通です。「風の音にぞ驚かれぬる」という少しずつの変化ではなくて、「暑い」からいきなり「寒い」。異常気象のあらわれなのでしょうか。

・8月の実績
・9月の価格
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こどもの教育 に参加中!
第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の中ほどを読みました。

公文式の創始者である公文公さんが、この教育法を生み出す過程が書かれています。それについては以前も書きました。

公文さんがいちいち息子さんの勉強を見てやれないからという理由で、たまたま出来上がった教育法のような気もするのですが、この偶然が奇跡を生んだという感じがします。

以下は私の憶測ですが、公文式の勉強法は寺子屋に似ているんじゃないかという気がしています。学年とかカリキュラムという概念がなく、年令の違う子どもが一緒に、一人の先生から習う。おそらく、それぞれが課題に取り組み、出来たら先生に見てもらうという形式だったと思います。読み書き算盤(国語・数学)が中心。

とすると、江戸時代の勉強方法、近代以前の学習方法ということになるのですが、江戸時代の日本の教育水準というのは高かった。庶民がパズル感覚で、計算問題に取り組んでいたらしい。今の脳力トレーニングなんかよりずっとレベルの高い問題。

明治以降に導入した西洋式のやり方のほうが優れているという根拠は無いのではないでしょうか?少なくとも、一斉にクラスの皆が同じ講義を聴くというやり方が、良い方法だとはとても思えない。

その欠点を補う方法として、公文式は必要なものなのかもしれない!と思うようになりました。

《つづく》
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「?.神話的な伝承をもつ開祖」の「二.龍智菩薩」
「?.金剛頂経の相承」の「一.金剛智三蔵」
を読みました。

真言密教の相承系譜の中で、歴史的な人物としてその業績をたどることができるのは、第五祖の金剛智三蔵が最初である。第一祖の大日如来と第二祖の金剛薩埵は、真理の人格化であって、そのままでは実在の人物ではない。第三祖の龍猛菩薩と第四祖の龍智菩薩は、実在した人物ではあるが、依然として神話的な伝承の中につつまれており、現実世界に活躍する一個の人物としてはうけとりがたい。

金剛智三蔵は671年ころに中インドの王様の第3子として生まれました。幼時から博学と超能力を持っていたようです。金剛頂経系の密教が盛んな当時の南インドで大活躍しました。

朝野をあげて仏法を信じている大唐の国に、新しくインドに隆盛をみている密教を伝えよう、それによって人びとにすぐれた教えの功徳を味わせよう、まさに人生の円熟期に達しようとしていた金剛智三蔵の胸は、まだみぬ中国への開教の夢にふくらんでいたにちがいない。

長安に入ったのは48歳のころ。それから20年近くの間、密教の中国移植のために積極的な活動を行いました。71歳になったころ、帰国を許され、その準備のさなか病に倒れ、洛陽で亡くなっています。

道教が盛んで、長安に入った年は玄宗皇帝が仏教禁令を出した5年後。請雨法などの現世利益がどれだけであるか、呪法の効果が道教よりどれだけ優れているか、だけが求められていたようです。玄宗皇帝との相性も良くなかったらしい。

やはり皆、人間関係では悩むんだな…上司と相性が悪いってのはつらいよね…

《つづく》
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【きょうの健康9月号から】
・原因は「脳血管障害」「糖尿病」「首の骨の変形による神経障害」も考えられる。手以外(足,顔など)にもしびれや麻痺が起きたり、物が二重に見える場合は要注意。

◆手根管症候群
・手根管は手首の骨と靭帯に囲まれた手のひら側の空間。9本の腱(長母指屈筋,深指屈筋4本,浅指屈筋4本)と正中神経が通る。手の使い過ぎなどで腱がむくんで、正中神経が圧迫されることで起こる。
・手をよく使う人,骨折などによる骨の変形で手根管が狭い人,ホルモンのバランスが崩れやすい人(妊娠・出産期や更年期の女性など),長期間「透析療法」を受けている人(腱の周囲にアミロイドが沈着する)に発症しやすい。
大陵穴付近を軽く叩くと、小指以外の指や手のひらにしびれが起こる。
・夜中に手のしびれで目が覚める。中高年になってホルモンのバランスが崩れると、夜寝ている間に腱が腫れてくることがある。
・ボタンが掛けられない。親指の筋肉が痩せてくるため。
・治療の基本は安静。シーネ(手首と腕を固定する装具)で運動を制限する。
・手術は、手のひら側の靭帯を切開する。時間は30分程度で外来でも可。関節鏡(関節用の内視鏡)で行う場合もある。

◆肘部管症候群
・肘部管はオズボーン靭帯と骨に囲まれた空間。少海穴(内側上顆と肘頭の間)と青霊穴(遠位3寸)の間あたり。骨の変形などで尺骨神経が圧迫されることで起こる。
・上記部位を軽く叩くと、薬指と小指、手のひらの小指側にしびれが起こる。
・手の小指側の筋肉が痩せる。小指に力が入らなくなり、曲がってくる。
・薬指と小指だけが痺れる。
・治療の基本は安静。包帯などで肘を直角より少し伸ばした状態に保つ。
・手術は、オズボーン靭帯を切開する。時間は30〜40分程度で外来でも可。骨を削ったり神経を移動したりする場合もある。
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悟りへの道 に参加中!
福田政権下でねじれ国会が大騒ぎされていたころ、ある論説を読んでなるほどと思いました。衆参両院が違った意見を持ってこそ両院の存在意義があるのだし、ねじれが無かったら独裁政治の危険性が出てくるわけだから、「ねじれ国会」は民主主義としては望ましい形なのではないか?という意見。

自民党内でのねじれ、政官のねじれをむしろ演出し、逆手にとって積極的に活用していった小泉さんに比べると、雲泥の差だと思います。民主党の偽メール事件があった時に永田さんがストレスを理由に国会に出てこなくなったのですが、この時に小泉さんは「この程度のストレスは、私なんか毎日ですよ」というようなことを言ったと思います。思わずテレビに向かって拍手したのを覚えています。

そもそも世の中というのは、国会に限らず、ねじれが有って当たり前なんじゃないでしょうか?むしろそれが健全な形なんじゃないかと最近思うようになりました。家庭でも同じこと、親と子の世代間のねじれ、嫁姑のねじれ、夫と妻のねじれ…その対立の中でより良い選択を模索していく。

美輪明宏さんの有名な結婚観を思い出しました。「結婚=幸せ」なんていう大嘘を周りが吹き込むから、みんな結婚して失敗したと思うのだ!昔は「結婚=不幸せ」と教えて泣きながら嫁に出したから良かったのだ!

世の中全体が、今、そうなんじゃないでしょうか?スイッチを押せば電気がつくのが当たり前という感覚で家族や仕事先の人にも接するから、ちょっとでも思い通りにいかないとストレスになる。遠足の日は天気になるのが当たり前だと思っていれば、天気にさえもストレスを感じるようになる。

いろんな意見、違った意見の並存状態・アンビバレントな状態を当たり前とする感覚を、仏教徒だった昔の日本人は持っていたのではないかと思います。そこを出発点として、どうやってうまくやっていくかが思案のしどころ。そこに人生の醍醐味がある(んじゃないだろうか)。

ところが、今の人はその出発点で諦めたり、キレたりするのが当たり前だと思っているような気がする。「ご破算で願いましては…」という、まさにこれから始めましょうという段階で本当に「ご破算」にしてしまう人が多い。

若者に限りません。安倍さんも福田さんもそうでしたから。

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#49」(9月30日放送分)を見ました。姜尚中(かんさんじゅん)さんでした。

秋葉原の通り魔事件に関して、「お前が悪いんだ!他人を殺さないで自分を殺せ!」という感想と、「彼だけが特別ではない。この社会に問題があるんじゃないか?」という感想と、2つの方向性があるかと思います。

彼だけを悪者にする考え方と、彼を取り巻く社会を問題視する考え方と。でも、この間に答えを見つけるべきなのでしょう。個人ひとりひとりが社会の構成員であるわけだし、その相互関係によって社会はできあがっていくのですから、個人と社会を切り分けることはできません。

ただ、社会が複雑化しすぎていて、何か問題が起きても誰が悪者なのか分からない。姜さんが指摘していましたが、サブプライムローンの問題にしても、アメリカが悪いのかアメリカの金融機関が悪いのか他の何かが悪いのか分からない。解決しようにも何をしたらいいか分からない。

万事が責任の所在がはっきりしにくくなっている。ハッキリしない責任を取らされたくないから、みんな関わり合いを避けている。あるいはどこまでも見苦しい言い逃れをして逃げていく。そんな風潮の中で、誰からも関わってもらえなかった男が凶行に及んでしまったということなのか…

姜さん自身も、学生時代は友達も恋人もいなくて、強い孤独感を味わい、自分はカスなんじゃないか!?と思ったことはあるそうです。自分もそうだったし、姜さん程の人でもそうだとすると、誰でもそういう孤独感を味わうことはあるのかもしれません。それでも自分が自殺したり人を殺したりしなかったのは共同体の中に僅かながらの救いが有ったからだと、姜さんは言う。

「自分はカスなんじゃないか?」という絶望感。人間はこれに直面しないようではダメなんじゃないかと、最近、私は考えます。そう感じないような鈍感ではダメなんじゃないかと。

でも、そのどん底にはまった時に、自分や他人を殺してしまうのはもっとダメ。そこでとことん悩まなければいけないと思う。心身症の症状が出るかどうかは別にして、「うつ」になるほど悩むのが人間なのだと思う。

そして、社会を悪いと結論付けるならそれもいいと思う。そしたら次のステップは、どういう社会がいいのか、そういう社会を実現するにはどうしたらいいのか、考えて実行すべきだと思う。もちろん、合法的な方法で。

でも、世の中が複雑過ぎて、やっぱりどうしたらいいか分かんないな…

《つづく》
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悟りへの道 に参加中!
娘から叱られるようになりました。
「パパ、いただきます言いましたかぁ〜?ん?聞こえなかったな〜」
「ありがとう言いましたか?何かしてもらったときは言わないとダメなんだよ。」
「あ〜あ〜、バカって言った!そんなこと言うと頭から角が生えてくるんだよ。」

娘たちは、こういう基本事項習得の現役なので、相手かまわず注意をします。こういうことは卒業したと思い込んでいる我々にしてみたら、こんなを注意されるのは懐かしいというより新鮮ですらある。とはいえ、笑って「ゴメン」と済ませられるのは相手が子供だからでしょうね。大人からこんなことを注意されたら、「バカにすんな!」と怒ってしまうことでしょう。

こういう基本事項に卒業は無いのですが…果敢に注意してくれるのは子供だけ。大人には注意をしなくなる。言っても無駄だ、と疎んじられて遠ざかっていくだけ。まあ、これが大人の流儀というか、大人が大人に注意をするやり方なのかもしれない。だから、周囲の動向にも耳を傾けていなければならない。

「われ以外みなわが師」という言葉は、吉川英治の座右の銘ですね。同名の著書もあったようですが、それは読んでいないので、彼がこの言葉に抱いていた真意はわからない。けれども、ずっと前に耳にして気に入った言葉で、自分の中にはずっと温存されていて、人生のいろんな場面で自分なりの解釈を加えて来ました。

他人というのは、いわゆる「いい人」ばかりではありません。知り合ったばかりの頃は非の打ちどころのないように見える人でも、だんだん付き合っていくうちに一長一短がわかるようになって、結局「いい人」ではないことがわかる。最高に理想的な意味での「いい人」はいないんだと私は思います。「あの人はいい人だよね」というのは褒め言葉ではない場合が多いようです。

だから「わが師」というのも、若いころは「その人の一挙手一投足を見習いたいほど尊敬できる人」というとらえ方をし、そういう人を探していた時期もあります。でも、それは「青い鳥」なのかもしれない…といつか気付く。それ以降「わが師」は反面教師の意味に変わります。

今は、どんな人にもいいところとわるいところが必ずあるから、「いい人」に見える場合には、悪い面がまだ見えていないのだと考えて、むしろ警戒します。「悪い人」に見える場合には、いい面がまだ見えていないのだと考えて、探してみようと心がけます。

殺人を犯してしまったような人でも、その人と同じように生れ、同じように育ち、同じような経験を社会でしたならば、自分もそういう凶行に出るかもしれない。

「人のふり見てわがふり直せ」というように、他人の中に自分を見つけて、自分のいい面は伸ばそうとし、悪い面は抑えていきたい。逆に自分の中に他人を見つけて、優しすぎず厳しすぎず、その人と接していきたい。そのときに家族は良き相談相手であり、解説者であり、批判者であり、指南役であります。

そんなわけで、娘の指摘にも謙虚に耳を傾けて生きたいと思います。
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第二章「素敵なお母様への道」の後半と第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の前半を読みました。

脳卒中や事故などで障害を持ってしまった人や少年院の人が公文式をやっている例が紹介されていて、興味深く読みました。もちろん前者はリハビリのため、後者は更正のため行っているわけですが、予想以上の効果を上げているとか。

学問というのは人間が作り出したものだし、少なくとも最初に道を切り開いた人は嬉々としてやっていたはず。だから人間なら誰でも本来は楽しくできるはずなのです。少年院の少年たちも誰の力も借りずに問題を解いて満点を取っていくことによって、人に認められ、自分を認められるようになっていく。これは本当に素敵なお話です。

少年院で公文式をすると、子どもたちは国語に一番熱心に取り組み、成績も国語が一番伸びるとのこと。彼らは自分の内面を表現する言葉を持たず、自分を表現できなかったのではないかと分析されていました。

承認欲求は誰にでもあります。自分を表現する術を知らず、したがって周囲から認められることも無く、犯罪を犯すことで注意を引こうとしたとしたら、とても悲しいことです。そういう悲劇を防ぐ可能性が、公文式には確かにあると思います。

《つづく》
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「.神話的な伝承をもつ開祖」の「一.龍猛菩薩」
を読みました。

仏教のなかにもともと含まれていた神秘主義、儀礼的、呪術的な傾向が、インドにおいて次第に成熟し、大乗仏教のなかで一時に開花し、現在一般に密教といわれている仏教の一形態をとって、インドの仏教の中で特異な存在となった。このような密教興起の歴史的な事情からみれば、密教に特定の開祖というべき人物は存在しない。

ところが後の世の要請として開祖となる人物を立てなければならなくなった。それが第三祖「龍猛菩薩」だそうです。龍樹という人と同一人という説、そうでない説、いろいろあり、そもそも実在したか、一人の人間をいうのか、も微妙なようです。

中国とか日本において、仏教が宗派的な形態をとるとともに、各宗派の開祖が必要となり、それをインドとか中国においてそれぞれの教義を大成した人物に求めるようになった。その中でも、とりわけ有名な人物は龍樹であろう。かれは大乗仏教きっての学匠であり、大乗仏教の思想的な大成者と目されるところから、あらそって各宗の祖師に擬せられた。かれには八宗の祖という名もある。

仏教を勉強している人の間で、尊敬する人としてかなり人気があるようで、龍樹というお名前は今まで何度も目にしています。その思想についてはこの本でも触れられていないので、いずれこの人に関する本を勉強したいと思っています。

《つづく》
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【きょうの健康9月号から】
・腱鞘は腱が通っている管。指の骨に付いていて、指を動かすと腱が腱鞘の中を往復する。指を曲げたとき腱が指の骨から浮き上がるのを防いでいる。
・パソコンでの作業,裁縫,楽器の演奏、妊娠出産期,更年期で手がむくんでいるときに起こりやすい。
・指の腱鞘炎や腱が炎症を起こして腫れや痛みが生じる。
・指の腱鞘炎(ばね指):指の付け根の関節の手のひら側の腱鞘。
・手首の腱鞘炎(ドケルバン病):親指を反らせるように手を広げると浮き上がる2本の太い腱(長・短母指伸筋:両腱の陥凹部が陽谿穴)のうち、外側の腱(短母指伸筋)の手首の部分を押すと痛い。
・1〜2週間の安静で改善しなければ整形外科受診。トリアムシノロン(ステロイド薬)を腱鞘炎の中に注射すると、8割改善。手術は腱鞘を切開するのが一般的。
・ドケルバン病の場合、腱鞘の中に隔壁がある人の場合が50%。再発しやすいので手術する。
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