トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2008年08月

ブログネタ
こどもの教育 に参加中!
「公文式とは学年を越えて進むもの」(1989年)
「Kumon is the best!」(1991年)
「奇跡が起こる」(1992年)
「勉強する集団」(1993年)
「一流大学に入るには」(1993年)
上記5編を読みました。

「勉強する集団」より
ある先生からお聞きした話ですが、募集のチラシを一番熱心に読むのは既入会の保護者であるということ。


私のお客さんに関しても、既に何度も利用して下さる方により一層理解していただく努力が大切なようです。

「一流大学に入るには」より
ある学校の先生が「生徒には授業を聞いてわかる子と聞いてもわからない子の二通りがある」と言っていました。私は、はて、おかしなことを言うものだ、もう一通り「授業を聞かなくてもわかる子ども」というのもいるはずだと思ったものでした。


これは同感です。講義形式の授業が最良だというとんでもない誤解が常識になっているように思います。自分で演習問題を黙々と解くことが一番いい勉強である多いように思います。授業があるから勉強ができない!という悩みを学生時代に抱いたことは確かにある。

そういう自分なりの勉強がしたいために合わない授業をパスするということであれば、代返や内職はアリだと思うし、先生も大目に見るべきなんですね。自分の授業が最良だという自信はある程度必要かもしれませんけど、過剰も良くない。

尤もそういう理由で代返や内職をする学生というのも今は珍しいのかもしれませんけど…。

《つづく》

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パパの子育て日記 に参加中!
先日スイカを食べようと仏壇の前に取りに行ったら、ちょっと窪んでいてカビが生えていました。送られてきてから一週間くらいで、自然にこの状態になったとは考えにくい。早速、検死にかかりました。

表面に直径3cmほどの押しつけられたような跡があり、解剖してみるとその周囲だけがコンニャク状に柔らかくなっていました。しかし他の部分は何の問題もなく、おいしく頂きました。

何者かがスイカの上に物を落とすか、叩くかして、打撲ができてしまったらしい。その時に汁が吹き出てカビてしまった。さて、何者かとは誰か?

「ミホチャンたちスイカに何かした?」長女に聞いてみました。
「ううん。何もしてないよ。」

妻にも、爺ちゃん婆ちゃん(私の父母)にも聞いてみましたが、心当たりはない。どうしたんだろうね…と言っていると、
「ミホチャン、指でグイグイなんてしてないよ。」

これは「実はグイグイしました」とも取れるし、「グイグイとだけはしてませんよ」という意味にも取れる。

「そうか、そうか」と、みんなほくそ笑んで納得してしまいました。かくして、半落ちのまま、捜査本部は解散となりました。

動画は美容院ごっこをしている二人。仏さまの前でもこんなふうに二人で遊んでいるときに、きっと何かが起こったのでしょう…

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●ブッダ倶楽部(☆ハロー ブッダ ステーション)● に参加中!
第五章「成仏論」の第三節「成仏への方法」と第四節「成仏への階梯」の前半を読みました。

第三節では、三句(因、根、究竟)の思想が紹介されています。因は、宗教を目指す始まり心です。自分で勉強し修行し向上していく姿は立派なわけですが、それだけでは自己満足で終わってしまいます。根は、大衆みんなに御利益があるように願う、利他の心です。この自利と利他が二つセットで 究竟となる、と説いています。

第四節前半は、三劫と六無畏について。三劫は煩悩を分類したもので、六無畏は菩提心を分類したものだそうです。これは前出の十住心にも対応付けられます。

深い精神分析と、実践重視の理念と、整然とした体系…唸らずにはいられません。

《つづく》

【きょうの健康7月号から】
◆ジクロフェナクナトリウム+トリアムテレン=急性腎不全
・ジクロフェナクナトリウムは腰痛,神経痛などに用いられる鎮痛薬。
・トリアムテレンは高血圧,心不全などに用いられる利尿薬。

◆ミコナゾール+タクロリムス=腎障害
・ミコナゾールは口腔カンジダ症に用いられる外用薬。
・タクロリムスは関節リウマチ,腎炎などに用いられる免疫抑制薬。

◆イマチニブorフェロジピンorベラパミルorシクロスポリン+グレープフルーツ=強い効果,副作用
・イマチニブは白血病に用いられる。
・フェロジピンは高血圧などに用いられる。
・ベラパミルは不整脈などに用いられる。
・シクロスポリンは移植,ネフローゼなどに用いられる免疫抑制薬。

◆ニューキノロン系抗菌薬+制酸薬=効果が弱くなる
・ニューキノロン系抗菌薬は気管支炎,膀胱炎などに用いられる。
・制酸薬は胃酸を中和する。

◆ワルファリンカリウム+ビタミンK=効果が弱くなる
・ワルファリンカリウムは脳梗塞などに用いられる抗血栓薬。
・ビタミンKを多く含む食品は納豆や緑黄色野菜など。

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オカルト に参加中!
世紀末のある日、波動測定器を前にして、オペレーターのトレーニングをしていました。

波動測定器で調べることができる項目には、「怒り」とか「悲しみ」とか「愛」とか、主観的なものがかなりありました。「そういうことも機械で測定できるなんてスゴイですね!」と言う人が多かったのですが、私は困惑するだけでした。科学では主観を排除することが至上命題ですから。

それから測定結果に「+」とか「−」とか符号が付くわけですが、これも私としては理解に苦しみました。「陽性(ポジティブ)」とか「陰性(ネガティブ)」という意味であれば医学的な検査と整合性が出てくるわけですが、「+」は「良い」で「−」は「悪い」という解釈をするらしい。これも主観的な評価です。測定結果が、科学的には意味をなさない可能性がある。

そんなふうに考えてブルーになる反面、科学が今まで踏み込めなかった領域をパソコンと一緒になった測定器で開拓できるかもしれない!という情熱が湧き起こることもありました。

例えば手元のボールペンを測定器の上に載せ、「怒り」という項目の波動を調べる。「−10」とかいう結果が出れば、「このボールペンを持って、何かネガティブな怒りを込めて、字を書いた人がいるかもしれないですね…」とか言うことになります。

ボールペンが持っている波動を私(オペレータ)の体が増幅して、機械に伝えているのだという解釈でした。自分が客観と主観の交差点になる…でも、やってることはコックリさんと変わりないんじゃないだろうか?

当時、Oリングテストも流行っていました。この原理の説明は理解できる人もいるでしょうし、理解できない人もいるでしょう。ドクターが考え出したことだから、こういうのもアリかな〜という目で見れば、波動測定器もアリかもしれない。

世紀末の夜、私は仙台のあるビルの一室で波動測定器を前にして、信号機のようにブルーになったりレッド(情熱的)になったりしていました。

誤解のないように付記しますが、一鍼灸師としての現在の私の立場では、Oリングテストには否定的な意見です。治療の場では一切使用しておりません。

〔続きを見る〕

うつ伏せで触察を行う際に対象となる経穴を列挙します。

【標準】
大腸経(3穴)臂臑,(肩内陵),肩ぐう,巨骨
胃経(1穴)
脾経(5穴)隠白,大都,太白,公孫,商丘
膀胱経(53穴)大杼,風門,肺兪,厥陰兪,心兪,(督兪),膈兪,肝兪,胆兪,脾兪,胃兪,三焦兪,腎兪,(気海兪),大腸兪,(関元兪),小腸兪,膀胱兪,中膂兪,白環兪,上りょう,次髎,中りょう,下りょう,承扶,殷門,浮げき,委陽,委中,附分,魄戸,膏肓,神堂,いき,膈関,魂門,陽綱,意舎,胃倉,肓門,志室,胞肓,秩辺,合陽,承筋,承山,飛揚,ふ陽,崑崙,僕参,申脈,金門,京骨,束骨,足通谷,至陰
・腎経(10穴):湧泉,然谷,太谿,大鐘,照海,水泉,復溜,交信,築賓,陰谷
・小腸経(7穴):肩貞,臑兪,天宗,秉風,曲垣,肩外兪,肩中兪,(定喘)
・三焦経(3穴):臑会,肩りょう,天りょう
・胆経(6穴):肩井,京門,(痞根),(腰眼),居りょう,環跳,丘墟,足竅陰
・肝経(1穴):大敦
督脈(11穴):(上仙),腰陽関,命門,懸枢,脊中,(中枢),筋縮,至陽,霊台,神道,(巨闕兪),身柱,陶道,大椎

()内の経穴は奇穴を位置が近い所に書きました。
正経89穴(左右で178穴)
奇経9穴(左右で15穴)
督脈11穴
合計:109穴(204穴)

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死なない理由 に参加中!
こんな私でもたまには部屋の掃除をします。忙しくない時には「できれば毎日したい!」と思います。

でも忙しくなると、「一日おきにしてもそんなに変わりはないし、手間は半分になるわけだから2倍の効率化になるんじゃないか?」と思い始めます。

「一日おきでも結構きれいなもんだな…二日おきにして効率を3倍にするか!」と思いつきます。

あとは想像に難くないと思いますが、間隔がしだいに空いて、「最後に掃除したのはいつだっけ?」という状態。そしてどんどん汚くなって、ふりだしに戻る…この繰り返しです。

「明日掃除をするのなら、今日掃除をするのは無駄」という考え方をしていたら、掃除なんてする気になりませんね。

最近、掃除をしながら思うのです。部屋がきれいであることは重要ではないのではないか?と。重要なのは部屋をきれいにしようとすること、そうしようとする心を持ち続けること、そういう行為を続けること。部屋がきれいであることはそれに付随してたまたま起こる結果であり、二次的な現象ではないのか?少なくともこういう考え方もアリじゃないだろうか?

現代人の捉え方は、あたりまえな話ですが、掃除は部屋をきれいにすることが主目的です。明日きれいにするのなら今日きれいにすることは無駄。今日掃除をしたあとに汚くなるのなら今日の掃除はしても無駄。つまり、意味が無い。

さて、生きる意味です。人生についても現代人は同じスタンスで測ろうとしていませんかね。人生の目的として、何かを作ることとか、有形無形を問わず何かを設定して、それを達成できたとき自分の人生に意味があったと評価する。

でも違うんじゃないだろうか。自分らしく生きようとすること、それだけなんじゃないだろうか?息が途絶えるまで夢中で自分らしくいられたら、何も目標達成できなくてもいいんじゃないだろうか?

生きるとは、「何(what)をしたか?」ではなくて、「いかに(how)生きたか?」ではないだろうか。うまく言い表せないのだけれど…

えんえんと砂の山を築くこと。それで自分らしさを発現し、かすかな喜びを感じることができればいい。せっかく積み上げた楼閣が波に消え去ろうとも、積み上げることに喜びを感じたのであれば無駄ではなかったはず。また、ゼロから積み上げればいい。

息絶えたとき、砂の山が高いからいいとか低いからダメとか言うものではない。高さには意味がないはず。だって、みんな違う高さに生まれ落ちて、スタートしてるんだから。

《最初から読む》

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★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
「能力は意識で伸びる」(1985年)
「「こんなものだ」はいつもなく、「もっといいもの」はいつもある」(1985年)
「Unfinished…未完成の魅力」(1986年)
「親から話を聞き、子どものようすを詳しく知ることで、ちょうどの感覚が高まる」(1987年)
上記4編を読みました。公文式の特長が主に述べられています。

いつの間にか自分の仕事に置き換えて読んでいることに気付きました。例えば「子どもの伸びようとする力」は「患者の治ろうとする力」という具合に。

「「こんなものだ」はいつもなく、「もっといいもの」はいつもある」というのもなかなかいい言葉です。自分の施術について常に満足することなく、向上心を持ち続けなければいけません。

「子どもから教わる」は「患者から教わる」。私の場合、お客様は年上の方が殆どですから、本当に教わることは多いです。

「親との懇談を大切にする」は「患者との懇談を大切にする」。日頃どんな生活をしているか、どんな動作が多いか、どんなことを悩んでいるか…

高校教師時代に「相談しやすい先生」という評判だった筆者(公文公さん)。とにかくつまらないことでも我慢して聞いてあげることが大事だとのこと。

見方を変えると、いろんな仕事に参考になる内容です。

《つづく》

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山形の温泉やレジャー、話題など に参加中!
20日から幼稚園が始まりました。「夏休みの思い出は?」というテーマで、ひとりひとり発表したとのこと。

「何て言ったの?」という妻の問いに、
「山でリフトに乗ったこと」

9日の日記でちょっと触れましたが、8月3日に蔵王に行ってきました。とても暑い日で、山頂でも余り涼しくありませんでした。

ただ、山頂まで車で行くのはつまらないね?という妻の発案で、少し手前に車をとめてリフトで登ることにしたのです。

妻が長女、私が次女を抱いて、一人乗りのリフトに乗りました。最初は怖そうでしたが…というより我々の方が怖かったかもしれない。「怖くないよ〜大丈夫だよ〜」と自分に言い聞かせるように娘たちを説得しました。

スキーの時以来ですから、リフトに乗るなんて何年ぶり(何十年ぶり?)です。でも、何とかなりました。傾斜した緑が眼下に広がり、小鳥がさえずり、少しの風が心地よい…

子連れだと、すれ違う人が手を振ってくれます。すれ違いざま、相手に見えたか見えないかのギリギリのタイミングで娘が応える。すると背後で、「かわいい」という声が聞こえる。

山頂のお釜よりもこの経験が良かったようで、登ったと思ったら「降りよう!降りよう!またリフトに乗る!」という始末。

幼稚園に通い出して最初の夏休みだというのに、カネとヒマの都合で遠出ができなくてゴメンね。来年までには父ちゃんも母ちゃんも頑張るからな!

でも…その前に冬休みが有るか…
昨日の朝、幼稚園のバスを待つ娘がつぶやいていた。

「早く冬休み来ないかな」

蔵王お釜にて

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第五章「成仏論」の第一節「序説」と第二節「成仏への道」を読みました。

自己が自己に対して抱く矛盾による悩みは、人間として逃れられない宿命なのでしょう。その苦しみから這い上がろうとする気持ちが宗教的回心(発心)へとつながれば良い。

肉体的存在(因果に支配される自然的存在)と精神的存在(自由を求め因果の束縛から脱却しようとする価値的存在)という自己の中にある矛盾。そこでどんどん落ち込んでいくのではなく、そこを出発点として立ち上がるところに意味がある。それが言わば、人として「生きる意味」なのでしょう。

仏教では、発心あるいは発菩提心と呼びます。龍樹によれば菩提心は3つに分類されます。1は勝義心。一切の哲学や宗教の価値を批判し、智的に真の宗教思想を見出す心。自利のレベルです。2は行願心。一切衆生を我が身のように見て、普く救済しようという心。利他のレベル。3は密教独自のもので三摩地心。凡夫即仏の立場で実の如く自心を知るということ。

高校の倫理社会とか哲学は(難解なれど)面白かったのですが、勝義心のレベルで終わっているように思います。知情意として分類するなら知だけであり、自分だけが理解し高まればいいという感じがする。もちろん、深く勉強すれば更に深い境地はあるのかもしれないけれど。

真言密教にあっては、最初から智だけではダメで、実践が伴わなければダメ!ということが最初から声高に書いてある。智(頭デッカチ)は低いレベルに分類されます。そこが哲学と根本的に違うような気がしています。

《つづく》

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