トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2008年04月

ブログネタ
パパの子育て日記 に参加中!
家の前を流れる白水川(山形県東根市)。最上川の支流で、昭和期に堤防を造るまで周囲を氾濫で悩ませた川でした。今は上流にダムができたので、大雨の後や雪解け水が多いときだけ流れる川です。

この堤防を造った時、桜の木が植えられました。根を張らせて堤防を強化すると共に、町の景観を美しくするという配慮でしょう。それが立派な桜並木に成長し、私が小さい頃は出店が並び、真夜中まで賑わったものです。ソメイヨシノの寿命は80年くらいらしいので、ちょうど寿命を迎えたくらいになります。

対岸(と言うのも大げさだが)は麩料理で少し有名な六田。桜は両岸に均等に植えられたらしいのですが、なぜか六田の並木は途切れています。六田側の堤防は狭かったからだと六田の人は言い訳をする。苗木を持ち去る人が多かったのだとこちら(宮崎)側の人は言う。ライバル(rival)の語源は川(river)を挟んで争うことから来ているというように、川は両岸の人々の仲をも分かつらしい。

人事をよそに、今年も立派にきれいな花を咲かせてくれました。毎年、この桜の下を稲荷様まで家族で歩きます。子供たちの歩き方を一年前と比べて、一年の成長を感じます。

稲荷様も一年ぶりです。すぐ近くなのにすみません。また、一年間よろしくお願いします。

(撮影は4月20日です)

ブログネタ
パパの子育て日記 に参加中!
最近、次女が私の名前を呼びます。「トシミツくん」

周りが大ウケするので、娘もすっかりいい気になって使うようになりました。私も可愛い友達ができたような気分で、つまり自分も子供に帰ったみたいで、まんざらでもありませんでした。

でも、これってどうなんだろうな…と思っていたのですが、何だか流行っているらしいですね。

新聞に書いてました。「ママ」と呼ばせないで「○○ちゃん」と母親の名前を呼ばせる人が増えているらしい。家族の一員としての意識を持たせるとかいうねらいがあるらしい。スウェーデンでもそうだ!という川上麻衣子さんの言葉も載っていました。

だから私は、「トシミツくん」でいいらしい。

先日、あることを考えていて、人間は他の生き物を食べない限り生きていけないということに気づきました。だとすると、「殺生するべからず」という戒めを守ったら生きてはいけない。

宗教などでもそうだと思うのですが、人間と他の生き物の間にはっきりと線を引くのが一般的です。人間は知能を持ち意識を持っているから、他の生き物とは違うのだと。この考え方は殺生戒を合理化するためにあるんじゃないでしょうか?人間の命と他の生き物の命では重さが違う。だから、なるべく殺さないように心がける程度で良く、最小限の食事のためにはやむを得ない、と納得するために。

科学の解明が進んで、生き物はDNAとかRNAとかで遺伝情報を代々伝えていく存在であることがわかりました。人間と他の哺乳類のDNAの配列もそんなに違わないことがわかってきた。そうなってくると、人間と他の生き物との間の境目がぼやけてきました。本当に私たちは大きな口を開けて食事をしていいんでしょうか?

さらに、人間が生きるために家畜を殺してもいいのであれば、自分の利益のためにアイツを殺していいんじゃないか?という理屈も出てくるでしょう。命の重さというのは、一枚の絵の値段のようなものかもしれない。考え方しだいで重くもなれば軽くもなる。

命の価値が下落すれば、人を殺したくらいで死刑になるのはかわいそうだろうという意見も出るかもしれない。逆に、悪いことした人なんか簡単に死刑にしてもいいってことでしょうという意見も出るでしょう。

でもこういう議論は本当に殺生な話。まさにこういう殺生(な議論)はするべからず!が殺生戒の本意ではないかとさえ思えてきます。この議論、当面結論は出ないでしょうから、さしあたって食事の際は、命を捧げてくれた生き物たちと手をかけて調理してくださった方々に深く深く感謝をして「いただきます」と言いましょう。

《つづく》

昼食のひとコマ。まるで仮装大会です。ひとくち食べては走って行って何か身につけてきます。

まあ、こちらも楽しいのですけど、お行儀は良くないですね。叱るべきか、一緒に楽しむべきか。常に問われる親心…

仮装大会
Powered by PICS

お客様にお渡しする明細書兼領収書に、年初からQRコードを付けています。当院の名前と携帯の電話番号をコード化しただけのものです。年賀状ソフト(筆まめ)で変換できたので付けてみました。名刺の無料ソフト(エーワン)にもその機能が付いていたので、名刺にも付けました。

私の場合QRコードの読み込み方を知ってからというもの、あの模様を見ると何が書いてあるのか気になって、とりあえず読み込んで見ます。医師から頂いた処方箋にも付いていたので読み込んでみましたら、薬の情報が出てきてびっくりしたことがあります。調剤薬局のパソコンに入力するのもQRコードなのでしょう。

そんなわけで、明細書のQRコードの反響を楽しみにしていたのですが、三十代くらいの方でもQRコードを知らないとか、知っているけど読み込む方法がわからないということが多く、意外でした。

年配の方に「これ、何?新聞の料理記事のところにもあるわよね?」と尋ねられた時には嬉しかったです。
「料理記事の欄でしたら、レシピとかが見れるのかもしれませんよ。」
「おやおや、私たちの知らないところでいろいろなことが行われているのね〜」

F905iを入手したばかりのころ、アプリの中に脳力ストレッチングというゲームを発見しました。東北大学の川島隆太先生監修のものです。早速やってみました。

次々と小学生の計算ドリルのような問題が出てきて「えっ?これ解けばいいの?」「何を入力すればいいのかな?」とか一人でブツブツ言いながらやりました。慌てて押し間違ったのが逆に正解だったり。結果、脳年齢が28歳くらいだったと思います。ファーストトライで、この成績はすごい!と自画自賛してました。

もう一回やったら、もっと若くなるかな!でも、これって何歳なら一番いいんだろう?小学生の計算問題を解いて脳年齢0歳って言われたらうれしくないよね。10歳っていうのも微妙だよね。20歳のころなんて世の中のこと何もわかんないくせに生意気なことばかり言ってたな…

と、いろいろ考えて、28歳くらいが一番いいんじゃないかと思いました。それ以来、このアプリは起動していません。

最初から読む

鶴岡の桜
Powered by PICS



昨日に引き続き、庄内の桜です。13日に酒田から鶴岡に行きました。名所の鶴岡公園(山形県鶴岡市馬場町)です。こういうにぎやかなところに来ると、買うものは決まっています。綿あめです。

娘二人ともすれ違う子供が持っている綿あめばかり見ています。まさに「花より綿あめ」という感じ。「あっ!プリキュアの売ってる!」

次女はキティちゃんのにしました。

酒田の桜
Powered by PICS


今年の桜前線は乱れてますね。飛び地にボンと咲いたり、時期がずれて咲いていた地域が一緒に咲いたり。

我が家の前の桜並木(白水川堤防:山形県東根市宮崎付近)は22日朝から散り始めました。例年はこれとほぼ一緒の作並温泉の桜並木(宮城県仙台市青葉区作並)は、21日昼の段階で葉桜でした。弘前はもう満開とのこと。今年の花見旅はどうしようかな…

写真は13日に撮った酒田のとある公園(山形県酒田市亀ヶ崎)の写真です。子連れには有名な名所よりもこういうところの方が安心です。まだ早いかな〜と思いながらぶらりとでかけて、ちょうどいい桜が見れました。

竹の子の皮むき。むいてもむいても出てくる。

「立派に成長するように、大切に大切に包んであるんだよ。」とか、
「むいてもむいても奥がある。そんな深い人間になりなさい。」とか、
たかが竹の子を前にしても何か説教したがる私は、随分立派なオヤジになったものだ。

私も小さい時、このお手伝いをやりました。最初は面白いですね。でも、こんなもんだとわかると、手伝わなくなる。この娘は何回お手伝いするだろうか?まあ、私の娘だからなぁ〜

竹の子
Powered by PICS

遺伝子組み換えの倫理について、私は巷の議論とは違う意見を持っています。もちろん、積極的に大賛成!と考えているわけではありません。遺伝子組み換え技術を、神に対する冒涜みたいに特別視するのはどうかな?ということです。

確かに、顕微鏡などを使って受精卵に直接手を加えたりする技術と聞けば抵抗はあります。でも、今までにも品種改良ということは行われてきました。馬とロバを掛け合わせたりということも、遺伝子組み換えの一種だと私は思います。縄文時代の遺跡で発見された栗の品種が一つであることから、その品種を選択的に栽培していたと考えられていますが、それは品種改良も行っていたということでしょう。そもそも、私たちが今、口にしている農作物で品種改良がなされていない物ってあるんでしょうか?

これまでの品種改良と最近の遺伝子組み換えとの違いは、人手が加わっている度合いが違うだけだと思います。つまり、程度の差であって、本質的に違うものではない。だから、技術内容ではっきりと区別することはできるにしても、倫理性とか食の安全性という観点ではっきり線が引けるのか、疑わしいところです。

この本を読んで最後に思ったことは、科学と倫理は全く別のものだということです。だから、将来的にも科学が進歩することによって倫理性を内包していくことはないだろう、と。我々は、科学のほかに倫理についても考察し追及していかなければいけない。物と心、知識と幸福、科学と精神性の探求は、相補的にバランス良く組み合わせて行かなければいけないようです。

初め(10%)を見る

↑このページのトップヘ