トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2007年09月

譬喩品第三では、釈迦がシャーリプトラに例え話をしています。この世は火事になって燃えている家のようなもので、苦しいのが当たり前。わたしたちはそこに取り残された3人の子供。そこから逃げ出せば楽になれるのに、そうしようとしません。そこで何とか騙して外に出てくるようにしなければいけません。

3人それぞれの好みに合わせて、「羊が引く車,鹿が引く車,牛が引く車をあげるから今すぐ外に出てきなさい!」と呼びかけます。実際に車は無くても、火事場から救われた子供は「騙された!」と怒ったりはしないでしょう?というお話。

声聞,縁覚,菩薩とそれぞれの立場の違いに合わせて(仏教の)教え方は違うけれども、目的(苦しみから救う)は同じなのだよ、ということのようです。牛に引かれて善光寺参りという逸話もありますが、関係があるような気もします。

信解品第四は、釈迦の例え話を受けて、シャーリプトラが例え話をして謝意を表しています。大富豪の子供が親と生き別れになり、貧しい暮らしをしておりましたが、偶然再会します。そして大富豪のもとで働くことになります。糞尿の処理などの仕事を何年とさせ、自分の死期が近づいたときに人を集めて実の子であることを告げました。いわゆる3Kと言われるような仕事をしていても、いつか見ていろ!みたいな気持ちにさせるお話です。

大富豪が子供にいくら自分と同じ豊かな暮らしをさせようとしても、子供は拒み続けます。仏の教えを前にして、すぐに信じようとしない凡夫を意味しているようです。シャーリプトラはこの富豪が如来だと言っているのですが、大富豪は贅の限りを尽くした生活をしていますし、子供が自分のところから逃げないように金で釣っています。仏教という心の豊かさを金銭的豊かさに例えているところに違和感を感じます。

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触察は鍼や灸を行う前段階として、各部のコリぐあいを確認させていただく作業です。

まず、うつ伏せになっていただきまして、肩,背中,腰,足の順で、各筋肉のコリを見ていきます。次に、あお向けで足(主に膝関節),腕,首筋を見ます。最後に、座っていただいて肩から背中を叩打して仕上げます。(お客様の状態に合わせて、追加したり、割愛したりも致します。うつ伏せが難しい場合は横に寝ていただいたりします。)

標準33分の時間を設定しております。お客様の状態や希望に合わせて、延長や短縮を行っています。

この過程で、ある程度のコリはほぐれていきます。最後に残ったコリが、鍼や灸の施術対象となります。鍼や灸は怖いし、触察が気持ちいいので、触察だけにしたいという方もいらっしゃいます。また、鍼の感じ,灸の感じが好きなので、触察は短くてもいいという方もいらっしゃいます。コリをほぐすためには、本人の心地よさが一番大切ですから、要望には可能な限り応じております。

お灸
はり
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聖書は少しだけ読んだことはあっても、一応は仏教徒でありながら、お経を意味を解しながら読んだことが全然無いのはいけないと思い、読むことにしました。

うちは浄土宗なのですが、まずは法華経を読んでみようと思いました。尊敬する聖徳太子や宮沢賢治が愛読していたらしいし、聖徳太子ということであれば日本仏教の原点となるだろうと思ったからです。

28の章に分かれておりますが、10%で第2章まで進みました。初心者向けに掻い摘んである本なので大変読みやすいです。神々や精霊や妖精や妖怪が登場するような幻想的なお話を読んでいる感じで、男の子向けのアニメの原作をよんでいるような錯覚さえ覚えます。

第1章に相当するのが、序品第一です。霊鷲山にたくさんの高僧と共にお釈迦様が住んでおりましたとさ、という感じのお話です。ここで、文殊菩薩に弥勒菩薩がいろいろ質問しています。この質疑応答でそれぞれの過去世にも触れています。

輪廻転生は仏教の重要な要素のひとつだと思いますが、これは釈迦オリジナルではなくて古代インドで信じられていたことのようです。

第2章に相当するのが、方便品第二です。般若心経にも出てくる高弟のシャーリプトラに乞われて、釈迦が話を始めます。ただ、誤解を恐れてなかなかお話をしません。勿体ぶっている様でもありますが、非常に謙虚な人柄が伺えます。と同時に、誤解がないように細心の注意を払わなければならない、まして押し付けがましい布教などもってのほかなのだ、という教えのようでもあります。

「方便」とは「さとりに近づくための手段」という意味で、現代の意味とは少し違います。ほかに気づいたのが「我慢」。「自分にこだわること。うぬぼれること。」だから我慢するのは良くないことになります。それから「無分別」。「通常の判断を超えること」なので、良いことになります。

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「図説」法華経大全
「図説」法華経大全
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「他人のなかに存在している自己」という表現に興味を持ちました。これと対極的なのが「自分のなかにあって、本当の自分なんて自分にしかわからないはず」という西欧的で現代的な自己

前者の捉え方の場合、他人との関係において自己が出現してくる。自分というのは、他人の頭の中(心の中?)に散在しているもの。人間を「人の間」と表現するところに、昔はこの考え方が定着していたことがうかがえます。

後者は、自分は自分の頭の中だけに存在しているということ。だから、一人になりたがるんじゃないかと思いました。他人との境界を作りたがる。西洋では小さい時から個室を与えてしっかりとした個人主義を育ませるのだと、昔習いました。プライバシーという概念はこういう文化から生まれるのでしょう。プライバシーの無い日本家屋に住んでいたわたしは、最初はとても違和感を覚えました。(今もプライバシーという概念には疑問を持っていますけど・・・)

前者の場合、利他的精神は自然に生まれてくるように思います。が、後者の場合は利己的に向かうのが自然で、もうひとつ別な道徳(例えば宗教)でコントロール(束縛?)する必要があるのではないかと思います。

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もうひとつ、自己は日々変化していくというのが東洋風で、自己に周囲(自然界)を従わせていくというのが西洋風というのも面白かった。これには仏教が関わっているような気がしました。何度も生まれ変わる中で、徳を積んで、少しずつ仏様に近づいて行きましょう!という教えだから、自分が日々変化しないことには進歩が無いわけです。自己が日々変化するということは養老さんの持論でもあり、僕も気に入っている考え方です。

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やっと、面白くなってきたなと思ったら、対談が終了してしまいました。なんとも残念な本です。

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オートとマニュアルという話が一番面白かったように思います。大脳(マニュアル)で何度も稽古をつけると、小脳にその動作の回路が出来上がり、オートマチックに体が動くようになる。いわゆる「体が覚える」ということですが、大脳生理学的に言うと小脳が覚えているということになります。「身体感覚を組み直す」ということは、小脳の回路を変更するということにもなるでしょう。

わたしの仕事の場合も、最初は一動作一動作考えながらしなければいけませんでしたが、今では凝っている場所で自然と手が止まるようになりました。「痛いところがよく分かるね」と言われると嬉しいものです。

この感覚は経験的に身に付くもので、学校で習うことはできないし、師匠から教えてもらうこともできません。患者さんと自分との間には、師匠すら介在することはできないと思います。ましてマニュアル(手引書)などできるわけがない。

古武術の真髄を本になどできるわけがないという甲野さんの意見は、わたしの仕事の場合もうなづけることです。弟子は師匠の技を盗んでいくのであって、教えてもらえるのではありません。昔の教え方の正しさがここにあると思います。

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「もったいない」という心は地球にやさしいことになるのかもしれませんが、飽食の時代には体にいいとは言えません。何とかして体重を減らしたいときに、もったいないの心は大きな敵として立ちはだかります。

今月初めに65.4kgで、さきほど測ったら64.6kg(ちなみに次女は11.0kg。わたしが測っていたら一緒にのっかってきた!)。毎日食べすぎを感じていたので、意外な結果でした。でも、これから長女の3歳の誕生日、爺ちゃんの77歳の誕生日が控えています。ケーキが付かないと子供たちは承知しない。それなのにきちんと一個食べるわけではなく、グチャグチャに散らかして、集めてみれば半分くらいになるのです。ここで現れるのがもったいないの心。そして妻との譲り合い。「私これ食べるから、あなたはこれとこれね!」

食事とおやつのたびに繰り返されるもったいないの心譲り合いの心。和の心は人間をどんどん丸くしていきます。
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五木寛之の21世紀仏教への旅(アメリカ編)のなかで、洋上からニューヨークの街を見て9.11についてコメントするシーンがありました。「それまでは、自分たちの国は素晴らしいという自負がアメリカ人にはあっただろうし、世界の人々が羨んでいるだろうという思いがあったと思う。あの事件で、自分たちのことを憎んでいる人たちもいるのだということを思い知らされた。」というようなことが語られていました。それによってアメリカ人のストレスが増え、その救いを求めた人が座禅とか・・・というふうに仏教につながっていくわけですが。

「自分たちの国は素晴らしい」という思い込みが、自分たちの民主主義を広めることが世界の人々を救うことになるという思い込みにつながり、「正義」の名の下に戦争をしてきたのだと思います。原爆を軍事基地ではない街に住む民間人(非戦闘員)に対して2度も用いた唯一の国です。そして、そのおかげで日本は民主化した!と言ってのける。日本は、ヨーロッパを手本に民主主義を導入し、大正デモクラシーという国内での民主主義の盛り上がりが既にあったにもかかわらず。

日本は、久間さんのような人が出てくるほどものわかりのいい国というか都合のいい国なのですが、アメリカで「(上記のような事柄の頭の整理として)9.11はしようがなかった」と発言する政治家がいたらどうなっていたでしょうか。政治生命どころか、本当の命を奪われることでしょう。

従軍慰安婦の決議もありましたが、戦後沖縄での米兵によるレイプが頻発していたとも聞きます。悪いことをしたら謝らなければいけないのは当然ですが、「あなたに言われる筋合いは・・・」という気持ちです。ただ自分たちの悲しみに浸るだけでなく、自分たちに非はなかったのか?という気持ちで、明日という日を迎えて欲しいと思います。

ニューヨークで亡くなった方々、イラクその他で戦争のために亡くなった方々。亡くならなくても良かった方々です。心より冥福をお祈りいたします。仏教徒なので仏式にて、合掌。


「うろん語」第五巻
目次
その2:「無っとする・無かつく」

「うろん語」第一巻目次(その1)を見る
「うろん語」第二巻目次(その1)を見る
「うろん語」第三巻目次(その1)を見る
「うろん語」第四巻目次(その1)を見る
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甲野さんの「身体感覚を組み直す」ということは、一時期かなり注目されました。陸上競技やバスケットボール,卓球などのスポーツや介護の技術への応用が試みられました。一部成果があったのかもしれませんが、現在はどうなのでしょうか。

バスケットボールは、こちらの動作を相手が読みにくくなるというので効果があったようです。ただ、相手も研究するでしょうから、いずれは見破られるかもしれません。陸上競技はナンバ走りの応用で手をあまり振らない走り方が開発されましたが、今回の世界陸上ではそれが使われたのかどうか、成績はパッとしませんでした。

結局のところ、相手の意表を突く動作ということで格闘技には有効かもしれないのですが、日常動作において突拍子もない動作はむしろ危険なことのほうが多いような気がします。だから、残念ながら古武術の応用というのはかなり限定的なのかなと思っています。

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甲野さんが提唱したことで最も興味を引かれたのが「身体感覚を組み直す」ということです。

日常の何気ない動作も、たくさんの筋肉の協調作業なわけです。その協調のパターンは頭の中に小さい頃にできて、ほとんどそのまま何十年と使われ続けるのだと思います。そして、同じ動作でも人によってこのパターンは違います。

たとえば、頭を前に10センチ突き出すという場合でも、頚椎を主に曲げる人、胸椎を比較的使う人、腰椎を使う人といろいろなパターンがあるでしょう。さらに頚椎は7個、胸椎は12個、腰椎は5個あるから、その曲がり方の比率は無限通りあるはず。それによって、どの部分の骨や筋肉に負担が多くかかるかが変わります。体の凝り方に、人それぞれの癖があるのはこのためだと思います。

「身体感覚を組み直す」とは、このパターンを変えるということです。だからこれは治療にも絶対役立つなあと思ったのです。しかし、漠然としていて、ズバリとしたヒントはなかなか見つかりません。

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触察料:
・標準は1690円(33分)
・100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・距離が5.2km以内の場合は102円、それを越える分は1kmあたり64円
・これを人数割りします。

追加項目:
・時間外(午後6時〜午前9時)は200円
・当日申込は100円
・鍼灸は1体位あたり100円の他、鍼20円(1本)、灸20円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします。

あいてるねット割引が適用された場合は、1600円でご利用いただけます。是非ご活用ください。
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