トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2007年09月

譬喩品第三では、釈迦がシャーリプトラに例え話をしています。この世は火事になって燃えている家のようなもので、苦しいのが当たり前。わたしたちはそこに取り残された3人の子供。そこから逃げ出せば楽になれるのに、そうしようとしません。そこで何とか騙して外に出てくるようにしなければいけません。

3人それぞれの好みに合わせて、「羊が引く車,鹿が引く車,牛が引く車をあげるから今すぐ外に出てきなさい!」と呼びかけます。実際に車は無くても、火事場から救われた子供は「騙された!」と怒ったりはしないでしょう?というお話。

声聞,縁覚,菩薩とそれぞれの立場の違いに合わせて(仏教の)教え方は違うけれども、目的(苦しみから救う)は同じなのだよ、ということのようです。牛に引かれて善光寺参りという逸話もありますが、関係があるような気もします。

信解品第四は、釈迦の例え話を受けて、シャーリプトラが例え話をして謝意を表しています。大富豪の子供が親と生き別れになり、貧しい暮らしをしておりましたが、偶然再会します。そして大富豪のもとで働くことになります。糞尿の処理などの仕事を何年とさせ、自分の死期が近づいたときに人を集めて実の子であることを告げました。いわゆる3Kと言われるような仕事をしていても、いつか見ていろ!みたいな気持ちにさせるお話です。

大富豪が子供にいくら自分と同じ豊かな暮らしをさせようとしても、子供は拒み続けます。仏の教えを前にして、すぐに信じようとしない凡夫を意味しているようです。シャーリプトラはこの富豪が如来だと言っているのですが、大富豪は贅の限りを尽くした生活をしていますし、子供が自分のところから逃げないように金で釣っています。仏教という心の豊かさを金銭的豊かさに例えているところに違和感を感じます。

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25日は、七五三をしました。写真屋さんが衣装も貸してくれますが、今月中なら安いというので。やはり、11月に集中するよりは、割引しても今のうちにやっておきたいということなのでしょう。

美容室の人は「かわいいねぇ!花嫁さんみたいだね!!」を連発。父親は気が気でありません。髪にスプレーをかけて固めていくと、女の子は変わっていきます。

長女は初めて口に紅を差しました。気になるらしくしきりに口を動かすので、紅がどんどん広がっていって大きなお口になりました。美容室の方が隠してくれましたが。

平日ということもあり、神社ものんびりした感じでした。いつまでも着せておきたかったのですが、着慣れない着物に初めての草履で、やはり窮屈そうでした。

長女には少し遅めの、次女は少し早めの七五三です。一度に済ませば楽だと思ったのですが、来年もまたやりたい気分です。

七五三

触察は鍼や灸を行う前段階として、各部のコリぐあいを確認させていただく作業です。

まず、うつ伏せになっていただきまして、肩,背中,腰,足の順で、各筋肉のコリを見ていきます。次に、あお向けで足(主に膝関節),腕,首筋を見ます。最後に、座っていただいて肩から背中を叩打して仕上げます。(お客様の状態に合わせて、追加したり、割愛したりも致します。うつ伏せが難しい場合は横に寝ていただいたりします。)

標準33分の時間を設定しております。お客様の状態や希望に合わせて、延長や短縮を行っています。

この過程で、ある程度のコリはほぐれていきます。最後に残ったコリが、鍼や灸の施術対象となります。鍼や灸は怖いし、触察が気持ちいいので、触察だけにしたいという方もいらっしゃいます。また、鍼の感じ,灸の感じが好きなので、触察は短くてもいいという方もいらっしゃいます。コリをほぐすためには、本人の心地よさが一番大切ですから、要望には可能な限り応じております。

お灸
はり

24日は、今度はBSおかあさんといっしょのファミリーコンサートに行ってきました。コンサートは2度目ということもあり、少し落ち着いていました。

家を出るときから、前回仙台で買ったアネムとスプーの帽子をかぶらせて会場に向かいました。また、同じものを買うはめになると悪いので。

開場になるまで外で待っていましたが、会場の中で売られる帽子だからかぶって並んでいるのはわが子だけでした。「○○ちゃんもこの帽子欲しい!」と指差されて、ちょっと得意顔のわたしたち。

そんなわたしたちにNHKの方が声をかけてくれました。ホームページに載せるので写真を撮らせて欲しいとのこと。おそらくNHK山形のホームページに出ると思います。まだのようですが、きっと載ると思います・・・きっときっと・・・毎日チェックしています・・・ホームページ担当の方、よろしくお願いします。

写真は、会場に向かう車中の様子。ジュースと納豆巻きで、興奮を鎮めているところです。
BSいっしょ

裸になっているときに「モデルさんみたい!」と言ったからでしょうか、長女はモデルさんとは服を着ないものだと思い込んでいます。

「モデルさんてね、服着てる人のほうが多いんだよ。わかった!?」
「うん?」

モデルさん

聖書は少しだけ読んだことはあっても、一応は仏教徒でありながら、お経を意味を解しながら読んだことが全然無いのはいけないと思い、読むことにしました。

うちは浄土宗なのですが、まずは法華経を読んでみようと思いました。尊敬する聖徳太子や宮沢賢治が愛読していたらしいし、聖徳太子ということであれば日本仏教の原点となるだろうと思ったからです。

28の章に分かれておりますが、10%で第2章まで進みました。初心者向けに掻い摘んである本なので大変読みやすいです。神々や精霊や妖精や妖怪が登場するような幻想的なお話を読んでいる感じで、男の子向けのアニメの原作をよんでいるような錯覚さえ覚えます。

第1章に相当するのが、序品第一です。霊鷲山にたくさんの高僧と共にお釈迦様が住んでおりましたとさ、という感じのお話です。ここで、文殊菩薩に弥勒菩薩がいろいろ質問しています。この質疑応答でそれぞれの過去世にも触れています。

輪廻転生は仏教の重要な要素のひとつだと思いますが、これは釈迦オリジナルではなくて古代インドで信じられていたことのようです。

第2章に相当するのが、方便品第二です。般若心経にも出てくる高弟のシャーリプトラに乞われて、釈迦が話を始めます。ただ、誤解を恐れてなかなかお話をしません。勿体ぶっている様でもありますが、非常に謙虚な人柄が伺えます。と同時に、誤解がないように細心の注意を払わなければならない、まして押し付けがましい布教などもってのほかなのだ、という教えのようでもあります。

「方便」とは「さとりに近づくための手段」という意味で、現代の意味とは少し違います。ほかに気づいたのが「我慢」。「自分にこだわること。うぬぼれること。」だから我慢するのは良くないことになります。それから「無分別」。「通常の判断を超えること」なので、良いことになります。

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「図説」法華経大全
「図説」法華経大全

14日で長女が3歳になりました。今年のケーキはばいきんまん(バイキンマン?)!「ケーキにばいきん!?」と爺ちゃんに変な顔されましたが。プレゼントももらってご機嫌です。

誕生日じゃないけど次女にも買ってあげました。無いとかわいそうだから。だから、次女のほうが上機嫌かな?

美帆3歳

「他人のなかに存在している自己」という表現に興味を持ちました。これと対極的なのが「自分のなかにあって、本当の自分なんて自分にしかわからないはず」という西欧的で現代的な自己

前者の捉え方の場合、他人との関係において自己が出現してくる。自分というのは、他人の頭の中(心の中?)に散在しているもの。人間を「人の間」と表現するところに、昔はこの考え方が定着していたことがうかがえます。

後者は、自分は自分の頭の中だけに存在しているということ。だから、一人になりたがるんじゃないかと思いました。他人との境界を作りたがる。西洋では小さい時から個室を与えてしっかりとした個人主義を育ませるのだと、昔習いました。プライバシーという概念はこういう文化から生まれるのでしょう。プライバシーの無い日本家屋に住んでいたわたしは、最初はとても違和感を覚えました。(今もプライバシーという概念には疑問を持っていますけど・・・)

前者の場合、利他的精神は自然に生まれてくるように思います。が、後者の場合は利己的に向かうのが自然で、もうひとつ別な道徳(例えば宗教)でコントロール(束縛?)する必要があるのではないかと思います。

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もうひとつ、自己は日々変化していくというのが東洋風で、自己に周囲(自然界)を従わせていくというのが西洋風というのも面白かった。これには仏教が関わっているような気がしました。何度も生まれ変わる中で、徳を積んで、少しずつ仏様に近づいて行きましょう!という教えだから、自分が日々変化しないことには進歩が無いわけです。自己が日々変化するということは養老さんの持論でもあり、僕も気に入っている考え方です。

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やっと、面白くなってきたなと思ったら、対談が終了してしまいました。なんとも残念な本です。

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オートとマニュアルという話が一番面白かったように思います。大脳(マニュアル)で何度も稽古をつけると、小脳にその動作の回路が出来上がり、オートマチックに体が動くようになる。いわゆる「体が覚える」ということですが、大脳生理学的に言うと小脳が覚えているということになります。「身体感覚を組み直す」ということは、小脳の回路を変更するということにもなるでしょう。

わたしの仕事の場合も、最初は一動作一動作考えながらしなければいけませんでしたが、今では凝っている場所で自然と手が止まるようになりました。「痛いところがよく分かるね」と言われると嬉しいものです。

この感覚は経験的に身に付くもので、学校で習うことはできないし、師匠から教えてもらうこともできません。患者さんと自分との間には、師匠すら介在することはできないと思います。ましてマニュアル(手引書)などできるわけがない。

古武術の真髄を本になどできるわけがないという甲野さんの意見は、わたしの仕事の場合もうなづけることです。弟子は師匠の技を盗んでいくのであって、教えてもらえるのではありません。昔の教え方の正しさがここにあると思います。

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「もったいない」という心は地球にやさしいことになるのかもしれませんが、飽食の時代には体にいいとは言えません。何とかして体重を減らしたいときに、もったいないの心は大きな敵として立ちはだかります。

今月初めに65.4kgで、さきほど測ったら64.6kg(ちなみに次女は11.0kg。わたしが測っていたら一緒にのっかってきた!)。毎日食べすぎを感じていたので、意外な結果でした。でも、これから長女の3歳の誕生日、爺ちゃんの77歳の誕生日が控えています。ケーキが付かないと子供たちは承知しない。それなのにきちんと一個食べるわけではなく、グチャグチャに散らかして、集めてみれば半分くらいになるのです。ここで現れるのがもったいないの心。そして妻との譲り合い。「私これ食べるから、あなたはこれとこれね!」

食事とおやつのたびに繰り返されるもったいないの心譲り合いの心。和の心は人間をどんどん丸くしていきます。

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