トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2006年01月

 4月の健康診断の申込書が来ました。あれからもうすぐ1年、早いものです。健康のためダイエットを思い立ち、しばらくは体重が減ったものの、食欲の秋で持ち直し、今では体重計を避ける日々。
 2月から、またダイエット頑張ります!健康診断の申込書を今日投函しました。

 昨日出生届を提出して来ました。1年4ヵ月ぶり2度目なので、だいぶ慣れました、なんて言うのもどうかと思いますが…

 これで一人の人間が法律上誕生したわけです。そう考えるとなんだか感動して、市役所の窓口で目を潤ませてしまいました。

「芋子が駄目になって電気がつかなくなったんだよ!」あるお客さんがおっしゃいました。
「うちの電気は、その…イモコとかいうやつでつけるんだよ。でも、電池がなくなったみたいで利かなくなったんだよ。」
「あー、リモコンですね。見せてもらえますか?」

 リモコンで操作する室内灯は珍しくなくなりましたが、このお婆ちゃんの部屋に付いているのは最高級品らしく、明るさの調整もできるタイプでした。しかも、リモコンに時計もついていて、設定した時間で自動的に明かりがついたり消えたりする機能もあるようです。

 時計の液晶表示はちゃんとしているので、電池は大丈夫なようです。見ると、リモコンの横の方に切り替えスイッチが付いていました。どうやら、同じ電燈が二台付いている時に切り替えるスイッチのようでした。このスイッチを切り替えてみたら、案の定、リモコン操作が利くようになりました。

 リモコンは、最近いろんな家電製品に付いていますが、小さく設計してあるためにお年寄りにはかなり使いにくいようです。エアコンのリモコンには「冷房」「暖房」の表示がありますが、たいてい小さい文字で表示されます。夏、暑いからエアコンをつけたら、どんどん暑くなる!なんてことも結構あるのです。

「世の中いろいろ新しいものが出来たけど、私には全然便利じゃないねぇ。昔の物の方が間違いがないよ。」

 物が増え、情報が増え、選択肢は確かに増えたわけですが、最近は余りにも複雑化し過ぎていて、果たして自由で便利な世の中といえるのかどうか、お年寄りでなくとも疑問を感じる人は多いのではないでしょうか?

昔の人の名前には、〇助さんというのが多かったようです。佐助さんの場合は、「佐」という字にも「助ける」という意味がありますから、「人の助けになって欲しい」という願いが二重に込められています。

輔とか介は、最近もよく人名に使われているようですが、「助ける」という意味があることは余り自覚されていないのではないでしょうか?

明治期に書かれた文章だったと思いますが、「客体的」という言葉を見つけて「おやっ」と思いました。とても新鮮な感じでした。

私たちは、お客様のようにしていることは消極的で悪いことと教えられ、主体的に生きることを勧められました。

主体的と利己的は同義語ではありませんが、ひとつの生き方の表と裏の捉え方のような気がします。

客体的な生き方を時代が指向しなくなり、利他的な生き方も望まれなくなり、助さんもいなくなったのではないか?そんなふうに思いました。

「うろん語」第二巻目次(その1)を見る

 84ページに「夢と現のあいだに見る夢」という言葉が出てきます。認知症の方が見る幻覚(?)を指しています。

 私のお客様でも認知症の方がいらっしゃって、奥さんのことも誰だかわからなくなってしまっています。先日は、どこかよその家に来ていることになっていたようで、
「こんなに遅くまでお邪魔してすみません」と何度も頭を下げておられました。
「○○○○と言います。こんな怖い顔してますが、心は割と優しいんです。どうかよろしくお願いします。」とおっしゃるので、「こちらこそ」と言って私も会釈しました。

 隣で奥さんの方の施術を始めましたら、
「どこが苦しいの?大丈夫か?しっかりしろ!」と、うつ伏せに寝ている奥さんを励まし始めました。聞けば、この方は軍隊時代に衛生兵として働いていたそうです。

 やがて、彼は奥さんのところに来て、奥さんの方や手をさすり始めました。
「ここは痛いの?こうするといくらか楽ですか?本人の治そうという気持ちが大切だからね。ソラウデなんかは何人も治したんだよ。隣の村からも尋ねて来るんだから」これも、満州時代の本当の話だそうです。

 私がお灸をしようと線香に火をつけると、
「ロウソクの方がいいんだがな。ロウソクは持ってないの。それならこれでもいいや。貸しなさい。後は私がやるから。呪文も私がやるから」

 私はすっかりお株を取られた形になったのですが、「夢と現のあいだに見る夢」につき合わせていただきました。戦時中の満州に研修に行ったようで私は楽しさ半分でしたが、奥さんの目には涙がありました。

 来月20日の目標は61.5kgですが、最近体重を測るのを忘れていました。腹筋35回×3セット、腕立て伏せ35回×2セット、足を挙げる運動35回×4方向、首を挙げる運動35回×4方向、のトレーニングはいわずもがな。

 今は妻が産院にいるので、そこと妻の実家と自宅の往ったり来たり。妻が食べ切れなかった食事を食べたり、頂き物のお菓子を食べたり…。動いてもいますが、食べてもいます。体重を測る暇がありません。なにしろ、体重を測るには心の準備に時間がかかりますから。

 二人目の子供、次女が昨日産まれました。母子ともに無事だったのが、なにより嬉しいところです。お腹の中でもよく動く子供でしたが、産まれてからもよく動きます。手で顔を隠したり、泡を吹いたり、こちらをじっと睨んだり(まだ見えない筈だが)。

 長女は複雑です。ママが入院してから、ママとずっと会っていません。それでも、暴れることもなくおとなしくしているのを見ると、なんだか涙が出てきます。「ママはお仕事」という一言で納得しているのか、事情を尋ねる言葉も知らず悩んでいるのか・・・。

 今日、二人だけの車の中で私を慰めるように「パパ」と呼んでくれました。「ミミ(娘の愛称)」と返したら、「はい」と淡白で事務的な返事が返ってきました。物憂げな横顔にドキリとしました。

 今日は2月の価格を決定しました。11月の消費者物価指数(生鮮を除く)は98.0で、前月比で0.2ポイント下がりましたので、一律2円下げさせていただくことにしました。触察料は1664円となりますが、標準の時間は前月同様33分です。

 動物ものの番組で、樹上に生活する猿の生態が紹介されていました。この猿は、高い木が並んでいる森の中で木から木へ飛び移って移動しながら生活し、木の下に下りてくることは殆どないらしいのです。襲ってくる敵がいないという点で非常に安全なわけですが、生活は大変不便なことになります。ところが、この猿たちはお互いに協力し合い、規律を守って仲良く生活しています。そうしないと不便な樹上生活は続かないのでしょう。

 ということは、困難は人間をもいい方向に変えてくれるのでは?と思いました。ここのところ大雪で道が狭くなってしまい、車の運転はなかなか大変です。私はいつもとても意地悪な運転をする(毎日反省しているが、なかなか直らない)のですが、雪道になると変わります。そうしないとすぐに接触事故を起こしかねないですから。

 日経新聞の「やさしい経済学−ニッポンの企業家」の欄が、新年から松下幸之助になりました。彼の言として、次のようなことが書かれています。「災害をうけなかった町は、発展しない。恵まれたと思ったところは、実は恵まれていない。悲惨な状態につきおとされた町が、十年後には数倍の発展をする。これは何が原因であるか。私は心の問題だと思う。」

 本当にそうなのか・・・?降り積もった雪は、私たちの心をも真っ白に、きれいに、してくれるのだろうか?そして春になって暖かくなると、私たちのきれいな心もあとかたもなく・・・???

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 45ページに「病気して死ぬだけのじぶん」という言葉が出てきます。病気して死ぬのを待つだけの人生に何の意味があるのか?非常に重い疑問だと思います。

 そもそも、人生に意味があるのか?という疑問の答えを私は知りません。漫画『浮浪雲』の中で、「人生に何の意味もなし!ただ生きるのみ」という一節を見つけた時に、ホッとした記憶があります。人生には、もともと意味が無いのでしょう。意味があるにしても私たち人間には理解できない次元の問題だと思います。

 それは老若男女で事情は同じなのですが、若いといろいろやりたいことがあり、恋人がいたり、子供がいたりで、ゆっくり考える暇が無いし、体の衰えも自覚されないので、悲嘆することは余りありません。しかし老いてくると、友達もひとりひとり去って行き、日々からだの衰えも感じざるを得ず、この重い疑問が毎日のしかかって来るのでしょう。

 だからこそ、老いた身で生きていくことは大きな意味があります。この疑問の重さに耐え続けているということだから。でも、こんなことを言ってもお年寄りの慰めにはなりません。「どんな言葉をかけてあげればいいのか・・・」そんな疑問に悩みながら、そして答えなど見つかりそうもないことに半ば気付きながら、私たちも老いに一歩づつ近づいていきます。

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