トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

 やっと第5章まで読みました。量子力学が成立していく過程を概観することができました。大学時代に量子力学の講義で、こういった歴史的背景にも触れて欲しかったと再び思いました。今、振り返ってみると「なんでこの学者さんの理論が重要なのだろう?」「なんでこの学者さんはこんな面倒な方法を考えたんだろう?」という疑問を常に抱きながら、なんだかわからないうちに大学時代が終わってしまいました。まあ、卒業できたから、担当教官の寛大さには感謝していますが…。

 この「なんで」は歴史的な要素だと思うのです。純粋に理論的な部分ばかりが講義されるのですが、歴史的背景,歴史的意義がわからないと理論の必然性を十分に理解したとは言えないのではないでしょうか?

 この本が大学時代に座右にあったら…と思います。そうしたら、勉強ができなかったまた別の理由を考え出したでしょうけど。

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 今年の4月20日に66.4kgだったのを、来年の4月20日に60kgになるという目標です。BMIが22になるのは59.8kgなのですが、さしあたってきりのいい数字にしました。「ダイエットに王道なし」が私の持論でして、食事のカロリーを抑えて運動量を増やす以外に、健康的に痩せる術は無いでしょう。『健康的に』というところが難しいところですね。この条件をはずせば、6kgなら1週間もあればできるでしょう。

 4月から始めたことは、まず食事のカロリーを気にすること。食べ物の種類を減らさずに、カロリーの多い食品の量だけを減らすことを心がけました。運動は、腹筋30回×3セットと腕立て伏せ30回×2セットを一日おきに行いました。これで、6月20日までに3kg減りました。

 しかし、今年も暑くなりました。そこにスイカが登場したのです。果糖は中性脂肪に代わりやすいので、私のような人間は気を付けなければいけないと重々わかっていたのですが、あの赤い誘惑には勝てませんでした。8月20日には、目標64kgに対して64.2kgになってしまいました。

 もうすぐ9月20日。目標63.5kgですが、64kgの辺りを前後しています。スイカは、まだ一個半残っています。昨日、取れたてのブドウをいただきました。今日は豆名月だそうで、食べ頃のだだちゃ豆も控えています。これから、実りの秋。自分との熾烈な戦いが始まります!

 娘が満1歳になりました。1歳児検診に行ったり、法事でお寺に行ったり、親戚の家に行ったりで、疲れたのかもしれません。風邪をひいてしまいました。丈夫な子で、風邪をひくのはまだ2度目です。今回は鼻、のど、せきと本格的です。声もかすれ声になりました。大人と同じ現象が起きるのを見るたびに、こんなにちっちゃくても人間なんだぁと感心します。
 今日も少し大きくなったように見えるのは、1歳になったからなのか、ハスキーヴォイスのせいなのか…。

 ある御客様どうしの会話です。
「うちの息子、嫁の実家に一緒に行って、ずーっと一緒に泊まってるんだよ!」
「そういうのを昔はバカ婿って言ったんだけどねぇ。今の人はそういうのが多いみたいだねぇ。」

 子供を連れてお嫁さんの実家に行った時は、自分は一泊くらいで帰って来て、実家の両親と水入らずにしてあげるのが普通だったようです。それを、最後まで一緒に泊まってお世話になってくるのを、気の利かない「バカ婿」と言ったのでしょう。

「先生は、そんなことしてないでしょうねぇ?」
「あ〜、結構泊まってきます」
「じゃあ、バカ婿だ!(爆笑)」

 先日の地震で安全のために新幹線が停止しましたが、車内に備え付けのトイレットペーパーが無くなっていた!と乗客の一人がインタビューで話していました。「これからJRがどんな対応を取ってくれるのか・・・」と大変怒っていたのですが、我がままな人の八つ当たりにしか見えませんでした。JRにしてみれば乗客の安全を最優先にしたわけです。いつ起こるかもわからない地震のためにトイレットペーパーを大量に新幹線に積んでおけ!と言うのであれば、その前に自分がそういう緊急事態を想定してティッシュペーパーを多めに持参しておくべきではないでしょうか?ただ、この人も突発の事態でちょっとキレただけでしょうから、この人の名誉のためにも何度も全国放送するようなことは放送局が差し控えるべきではないか?とも思いました。

 「現代はストレス社会である」という言葉はよく耳にします。では、昔の人はストレスを感じなかったのでしょうか?「昔の人はのん気だったから感じなかった」という説明には、ちょっと首を傾げてしまいます。車も電話も無かった時代、ガスも電気も無かった時代、治水などの天変地異に対する対策が整っていなかった時代、人々が直面した苦難と悲しみは現代の比では無かったはずです。そもそも文明とは、そういった苦難を無くす努力の積み重ねと言えます。文明が進んだ現代をストレス社会と呼ぶのは、おかしいように思います。

 現代人は、大きなストレスを生じるような事態が少なくなってしまったために、小さなストレスにも過敏に反応しているようです。いろんなことに目くじらを立ててストレスを心の中に躍起になって発生させ、その原因を他人に責任転嫁して周りにあたりちらしている・・・そして、ストレスは他の人にも伝染していく・・・。自分の行動を反省しましても、我がままと八つ当たりを繰り返す毎日なのです。

 地球を痛めつけて多大のエネルギーを費やして、至れり尽くせりの文明社会を創り上げるのも、そろそろ限界です。それに、いくら便利になっても私たちは満足しませんから、きりがありません。持続可能な社会を実現するためには、電気のスイッチをこまめに消すことも必要ですが、自分の心の中にストレスの炎を灯さないようにすることも必要です。それには、仏教がとても実用的だと思います。人生の全てをストレスの素と捉え、こだわりを捨てて、まずは一度全てを諦めてしまうこと。そして、全てを有り難いと思える境地を目指していく。それが修行なのだそうです。我慢することが修行なのではなくて、我慢しなくてもよい自分にシフトしていくために修行するのです。(作家の玄侑宗久さんが講演でおっしゃっていました)。滝に打たれたりしなくても、私の祖父母の世代はそういうことを心がけていたように思います。

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 NHKの大河ドラマ「徳川家康」の総集編(2年ほど前にビデオ録画したもの)を、何年ぶりかで見てみました。録画した時には見ませんでしたし、本放送は私が大学生の頃だったと思いますから、本当に何年ぶりかです。

 印象に残ったシーンがありました。私なりの言葉で紹介させていただきます。雪斎(今川義元の軍師で、幼少の家康を教育した)が今死のうという時に、竹千代(家康)を枕元に呼び出し、「情勢の変化で、自分の家族を犠牲にしなければいけないような命令を義元から命じられた時、お前ならどうする?」と問いました。「大局を睨んで判断します。必要とあらば家族を犠牲にしますし、その逆と見ればたとえ義元の命であろうと・・・」と言いかけたところで、雪斎は「親子の情愛をなんと心得る!まだ、わからないことをそんなに簡単に答えるものではない!」と激怒しました。

 答えとしては正解なのだと思いますが、それを実行することはとてもつらいから覚悟しておけよ!という、雪斎最期の教えです。その時、竹千代には妻も子もなく、それを見ていた私も同じでした。結婚すること、父親になることは大変な覚悟がいるのだな、と思ったものです。石橋を叩いて渡るタイプの私が、このせいで結婚に対して慎重になったのは事実ですが、この世に生を受けたからにはこの究極の難題に自分もいつか必ず挑戦しなければと思いました。

 そして今、改めてこの覚悟を、夫として父として再確認したしだいです。ハイ。

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 4月の人間ドックで、脂肪肝の疑いあり!という結果が出ました。そういえば検査の前は結婚式と法事が続いて、食事が豪華だったからなぁ〜と、自分なりに言い訳は考えましたが、やはり何かしなければと思い、ダイエットを思い立ちました。

 とは言っても、一年後のドックの時までに理想体重(BMIが22)になるという目標で、1年で6kgの減量です。「一ヶ月で500グラム痩せる」という極めて地味なペース。「500グラムぐらい1日で落とせるよ。そんなのダイエットとは言わない!」と言われました。でも、ずっと継続させていくのはやはり難しいのです。これから、おいしいものがどんどん食卓に登場してきます。どうなることか・・・

 先日、近くの写真屋さんが0歳児の写真を無料で撮ってくれるというので、妻と娘と3人で行ってきました。突然の来客があって、お昼寝をしていない最悪のコンディションでした。予想通り、いくら機嫌取りしてもカメラを向けると泣き出す始末。お店の人も一生懸命あやしてくださって、なんとか笑顔に見えなくもない顔(実は泣き顔)を撮ることが出来ました。要した時間は約1時間。デジカメでの撮影とは言え、恐縮してしまいました。

 出来上がった写真を取りに行った時に、カメラを買ってきました。今まで使っていたデジカメが故障して買い替えを薦められていたのです。写真屋さんの術中にはまってしまったなぁという気もしますが、営業努力はかってあげなくちゃあね。

 今日は10月の価格を決定しました。価格は、毎月発表される消費者物価指数(生鮮を除く)を参考に決めています。先日発表された7月の数字は97.7で、前月比で0.1ポイント下がりました。が、値段は据え置きとさせていただきました。

 ガソリン価格の動向が気になりますね。スタンドの前を通るたびに、値段をチェックする癖がつきました。7月31日にスタンドに行くのをすっかり忘れてしまい、8月1日に行かざるをえなくて悔しい思いをしました。8月31日は、この雪辱(!)を晴らしました。9月1日にド〜ンと上がってるのを見て、胸がすっとしました。

 6月25日にテレビ朝日系で放送されました「キャノンスペシャル ジュラシック・コード」は、脳が継ぎ足しで進化してきたことによる弊害が取り上げられていました。爬虫類の脳と言われる脳幹は自分が生き残るためだけの脳であり、それに哺乳類の脳と言える大脳辺縁系が継ぎ足され、更に大脳新皮質が継ぎ足されて、我々人間の脳ができました。
 面白かったのは、人類の歴史とは爬虫類の脳(が持っている闘争本能)を抑える工夫の歴史なのではないか?という視点です。西洋文明発祥の地としての古代ギリシャで見られたスポーツ,演劇,音楽は、いずれも闘争本能を抑える工夫と見ることができます。


 逆も言えるのではないか?と私は思いました。爬虫類の脳を抑えることに成功している間だけ、人間は歴史を持ち得るのではないか?と。闘争に明け暮れていれば、歴史的遺産は戦火にまみれ消失していきます。島国で外敵からの襲撃に殆ど遭わなかった日本の方が、周囲の異民族からの侵略で王朝の交代が有った中国よりも、古い歴史的資料が残っているという話を聞いたことがあります。
 平和を志向する宗教や哲学が生まれ普及して、比較的平和な時期が続いて、歴史の蓄積が始まるのではないでしょうか?歴史とは平和な時代にできる小さな泡沫。大きな波が来れば消えてしまう。オーパーツと呼ばれる誰が作ったかわからない遺跡は、残念ながら波にのまれて破裂してしまった泡沫のひとかけらなのではないでしょうか?


 前回、私たちには心がけるべき「体の使い方」「心の使い方」「頭の使い方」があるのではないか?ということを書きました。「人間は社会的(ポリス的)動物である」という言葉がありますが、進化論から言えば真実は逆なのではないかと思います。人間はもともと社会的にデザインされているわけではなく、いろいろな人間が発生し、いろいろな文明が生まれる中で、たまたま社会的な人間たちが古代ギリシャなど文明が栄えた地域に多かったのでしょう。
 皆で社会的になろうと努力しないと、反社会的な動きは自然に発生して、私たちの文明や歴史はバブルのごとく簡単にはじけてしまうことでしょう。そういう努力は、我が国の歴史の中でもずっと続けられてきたようです。個人のレベルでは、爬虫類脳が持っている本性を煩悩と呼び、その克服のために修行をしたりしました。国家のレベルでは、「和を以って貴しとなす」の十七条憲法や、争いの種を徹底的に排除した江戸幕府の政策などが挙げられます。「和」を第一目標にするような国は、世界でも珍しいのではないかと思います。その辺りが番組の中で触れられていなかったのは、私としては残念でした。

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