トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

 数年前、看護婦さんを看護師さんと呼ぶことになったばかりの頃でした。救命士の講習会の名簿に、私の職業が鍼灸士と書いてありました。それから、師と士の違いが気になり出しました。

 昔は看護士という職業もあったような気がしますが、では弁護士はどうして弁護師ではないのだろうとか…きちんと調べれば学術的にはきちんと謂れがあるのでしょうが、それでは味気ないので調べることも敢えてせずに、師と士を交換してみてああでもないこうでもないとひとりで考えていました。

 「師」というと学者先生というイメージを私は抱きます。一方、「士」はサムライとも読むのですごく活動的なイメージを抱きます。前者は理論派、後者は実践派という感じ。更にサムライと言えば、トム・クルーズ,渡辺謙,真田広之。むむむ…僕は断然「鍼灸士」でいきたい!

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 第4章を読みました。以前聴いた精神科医の講演を思い出しました。最近はうつ病の患者が多いけれども、それは現代の座標軸が躁状態の方に傾いているからなのではないか?というお話でした。人間を評価(診断)する絶対不動の基準なんてないのだから、躁と鬱を判断する場合も、躁にずれた人と鬱にずれた人がほぼ同数になる判断基準が最も妥当なのではないか?というような意見でした。

 こういった精神の像(イメージ)とか、身体の像とか、社会の像とか。これは不動のものではなくて、時代と共に変化する無常のものです。それなのに、人はその像に無意識に縛られ、翻弄されているようです。

 現代の福祉の考え方は、健康な身体の像を絶対的な基準としていて、障害者なら欠けているものを補い、高齢者なら衰えたものを鍛えたり補ったりして、健康な身体の像にノーマライズしようというものです。隔たり(バリア)を埋めることに躍起になっていますが、それだけのコストに見合った幸福を障害者も健常者も老若男女みんなが得ているのかどうか?

 たとえば、縄文・弥生時代、平安貴族の時代、武家の時代…今よりも障害者もお年寄りも幸せだったのかもしれません。吉本隆明さんの文章を読んで、より強く思うようになりました。

 20日の目標は61.5kgですが、最近の体重は不明です。腹筋35回×3セット、腕立て伏せ35回×2セット、足を挙げる運動35回×4方向、首を挙げる運動35回×4方向、のトレーニングと、忘れないようにここに毎回書いてだけおきます。

 オリンピックの選手が体重が足りなくて失格とのこと。少々お粗末な話ですが、体重が多い方がいいということもあるんだなぁと思いました。まあ、これを言い訳にせず、僕は減量しなければなりませんが…

 次女(生後20日)を抱いて水戸黄門を見ていました。乳飲み子の頃に別れた母子が再会するというシーンになったら、涙が出てきました。水戸黄門を馬鹿にするわけではありませんが、水戸黄門ごときで泣いている自分が悔しかった。それを見ていた妻が爆笑したことは、言うまでもありません。

 今日は3月の価格を決定しました。12月の消費者物価指数(生鮮を除く)は98.1で、前月比で0.1ポイント上がりましたので、一律1円上げさせていただくことにしました。触察料は1665円となりますが、標準の時間は前月同様33分です

 最近は新聞を読めない日があって、いつの間にか新聞が1週間分くらいたまってしまいました。そんなわけで、毎日古い新聞を読んでいます。

 それで気付いたことがあります。まず、昨年秋に発表された長期予報では、今冬は暖冬で雪も少ないと言われていたこと。

 仙台の病院で起きた赤ちゃん連れ去り事件の犯人の似顔絵が全然似てなかったこと。

 米国産牛肉の輸入再開は、再び禁止されてから知りました。


 情報に疎いのも考えものですが、このめまぐるしい時代に、多くの情報に触れることは、随分無駄も多いのではないか?と思いました。

 定期購読のパソコンの雑誌も読む暇が無くて『ツン読』状態だったので、購読を止めてみました。読まずにただ捨てるのも勿体ないので1年も前のを読んで見ると、私にとっては十分新しいのです。なにしろ、使ってるパソコンが古いんだから、新しい情報なんて必要ないんです。

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 第3章を読み終わりました。人は皆「責任」なく自然に生まれてきて、成長と共に自我を獲得していきますが、体の衰えと共にこれを失って自然に還っていくのが『老い』なのではないか?というのは興味深い意見です。

 成長と共に自然から離れ、周囲との隔絶や違和感を感じながら、鮮明な喜怒哀楽に満ちた人生をおくる。老いるということは、その鮮明さを徐々に失うことであり、自然に還ることである。

 露と落ち露と消える我が身と辞世を詠んだ太閤秀吉も、そんな人生観を持っていたのでしょうか?

 自然から離れようとしている娘たちと、自然との隔絶に悩む自分と、自然に還ろうとしている両親と…その対比は面白くもあり、つらいものでもあります。

 4月の健康診断の申込書が来ました。あれからもうすぐ1年、早いものです。健康のためダイエットを思い立ち、しばらくは体重が減ったものの、食欲の秋で持ち直し、今では体重計を避ける日々。
 2月から、またダイエット頑張ります!健康診断の申込書を今日投函しました。

 昨日出生届を提出して来ました。1年4ヵ月ぶり2度目なので、だいぶ慣れました、なんて言うのもどうかと思いますが…

 これで一人の人間が法律上誕生したわけです。そう考えるとなんだか感動して、市役所の窓口で目を潤ませてしまいました。

「芋子が駄目になって電気がつかなくなったんだよ!」あるお客さんがおっしゃいました。
「うちの電気は、その…イモコとかいうやつでつけるんだよ。でも、電池がなくなったみたいで利かなくなったんだよ。」
「あー、リモコンですね。見せてもらえますか?」

 リモコンで操作する室内灯は珍しくなくなりましたが、このお婆ちゃんの部屋に付いているのは最高級品らしく、明るさの調整もできるタイプでした。しかも、リモコンに時計もついていて、設定した時間で自動的に明かりがついたり消えたりする機能もあるようです。

 時計の液晶表示はちゃんとしているので、電池は大丈夫なようです。見ると、リモコンの横の方に切り替えスイッチが付いていました。どうやら、同じ電燈が二台付いている時に切り替えるスイッチのようでした。このスイッチを切り替えてみたら、案の定、リモコン操作が利くようになりました。

 リモコンは、最近いろんな家電製品に付いていますが、小さく設計してあるためにお年寄りにはかなり使いにくいようです。エアコンのリモコンには「冷房」「暖房」の表示がありますが、たいてい小さい文字で表示されます。夏、暑いからエアコンをつけたら、どんどん暑くなる!なんてことも結構あるのです。

「世の中いろいろ新しいものが出来たけど、私には全然便利じゃないねぇ。昔の物の方が間違いがないよ。」

 物が増え、情報が増え、選択肢は確かに増えたわけですが、最近は余りにも複雑化し過ぎていて、果たして自由で便利な世の中といえるのかどうか、お年寄りでなくとも疑問を感じる人は多いのではないでしょうか?

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